やりきれないさ、
「い、痛っ……」
シャロンに肩を借り、屋敷の外へ向けて歩いているクロエが、辛そうに呟いた。
「クロエ、大丈夫か……?」
「大丈夫、筋肉も骨も痛い……神経が無事なのが幸いだ……」
「それ大丈夫じゃねぇじゃん……」
シャロンが言い返して、
「……でも、前にその魔法使った時、特に痛そうにはしてなかったよな? 初めて使った時もそうだし……」
「ああ……そうだったな」
「じゃあ、何で?」
その疑問に、クロエが答える。
「たぶんだが、心持ちが中途半端な状態で使ったから、だと思う……」
「成程……」
シャロンは納得した様子で頷いた。
二人はいつしか、豪邸の近くまで辿り着いていた。
「よし、もう少しで脱出……あっ」
シャロンがそう言いかけて、足を止めた。
「何だよ、連中が戻ってきたとか……」
クロエがシャロンの視線を追うと、その先に一人の男が、愕然とした様子で立っていた。
その顔は、クロエが調査をした中で判明していた、マリアの所属事務所の社長の特徴と一致していた。
「……じゃ、ないのか」
「そうじゃなくてもアウトだろ、これ……」
クロエ、シャロンの順に言った直後、
「おっ、おっおおおおおお前達、俺の家の敷地で何やってやがる⁉」
社長が怒鳴った。
「……今晩は」「ごきげんよう……」
「『こんばんは』でも『ごきげんよう』でもねぇよ、ウチで何してやがる⁉」
怒り狂う社長を見て、クロエとシャロンは顔を見合わせ、
「……少しカマかけてみる」
「りょーかい」
クロエとシャロンは小声で言い合った。
「……おい、いい加減に……!」
そう言いながら近付いてくる社長を見ながら、クロエが話しかける。
「……あの、挨拶、しないんですか?」
「それ以前の問題だろ……!」
「成程確かに。明らかに不法侵入ですし、ね。ところでこの豪邸プールもあるんですね、吃驚しましたよ」
「……そ、それが何だよ……」
社長が口ごもった。
「いえ……毎週パーティーを開いていると聞いたもので、興味が抑えられなくてつい。な、相棒?」
「ええ、そうなんです」
シャロンはクロエに敬語を使い、にこやかに答えた。
「…………」
「まあ、そういう事で。で、プールなんですけど……」
「……見たのか?」
社長が反応したのを見て、クロエはわざと聞き返す。
「はい? 何ですって?」
「プールを見たのか?」
「……プールって、洒落てますよね。いい趣味だと思います。皮肉でなく、ね」
「質問に答えろ……!」
「質問って……何ですか?」
怪訝な表情をしたクロエに、
「だから! ウチのプールを、見たのか、と聞いているんだ!」
社長は、怒鳴り散らした。
「……私は、プールが庭にあるのを遠目に確認しただけなんですけど、それがどうかしたんですか?」
「…………は?」
「確かにプールがあるのは見ましたけど……別に近付いてませんよ?」
「…………は?」
「……何か、見られちゃマズイものでもあったんですか?」
「…………」
社長が黙った。
「そうですね……例えば、集めた人を利用して、何かよからぬ事をしているとか。あくまで『想像』ですが」
「…………」
クロエの『想像』を聞いて、社長は目を逸らした。
「……それで、プールがどうしたんですか? 先程も言いましたが、遠目に見ただけですよ」
「そ、それは……」
社長が何か言おうとした、その時だった。
突然、社長の首に何か白い物が巻き付いた。
「なっ、がっ⁉」
それは、白く太い糸で、
「なっ──」
一瞬で社長の首を絞め上げた。首から鈍く聞くに堪えない音が響くまでに、二人が駆け寄る隙すら与えなかった。
「何だ……⁉」
「シャロン、あそこだ! 屋根の上!」
クロエが指した延長線上──豪邸の屋根の上にいたのは、少し前に『蝙蝠女』を抱えて逃げ出したはずの『蜘蛛男』だった。
『蜘蛛男』の右手からは、白く太い糸が伸びていた。その先の方が社長の首に巻き付いている。
『逃げると言ったな……半分嘘だ。最低限、証拠隠滅しろとよ』
「……ふざけんな、人の命を何だと思ってやがる‼」
叫ぶように言ったシャロンを見て、『蜘蛛男』は鼻で笑う。
『……それはそこの死体にこそ言うべきなんじゃねぇの?』
「何⁉」
『お前等見ただろ、プールで泳いでた連中。溺れてるようなモンだけどよ』
「そうだが……」
『あの連中が誰に集められたのか、知ってるはずだぞ?』
「…………」
そう言われたシャロンは少し考えて、
「…………」
社長の遺体を見た。
『正解だ。因果応報、ってやつだな』
『蜘蛛男』がそう言った直後、警察車のサイレンが遠くから聞こえてきた。
『来るの遅ぇよ……』
『蜘蛛男』は呆れたように呟いて、右手を二人の背後の壁に翳した。糸を放ち、器用に文字を書いた。
その内容は、『三日後の夜、アンタレスホールにて行われるマリア・トーマス嬢のコンサートに再び参上する』、といったもので、その下には、『蜘蛛男』と署名がされていた。
『じゃあ、今度こそ……あばよ!』
『蜘蛛男』はそう言い残して、闇の中に飛び去って行った。
それから少しして、無数の警察車が駆けつけてから。
クロエとシャロンは、豪邸の敷地の一角、警察官の邪魔にならない場所に座っていた。二人共、ぼんやりと一点を見つめ、言葉を交わさなくなっていた。
そんな二人に近付く、独りの人間がいた。
「おい、そこのお二人さん、ちょっといいか?」
顔を上げた二人が声が聞こえてきた方を見ると、そこには、一人の男が、二人に優しげな表情を向けて立っていた。
男は三十代後半で、まるで酸いも甘いも知り尽くしたかのような、哀愁にも近い雰囲気を漂わせていた。
この男が、マリアにクロエ達の探偵事務所を紹介した男、トランク・マクレーン刑事だった。
「……トランク刑事」「どうも……」
「よう。二人共、災難だったな。悪さするからだぜ?」
「返す言葉もございません……」
クロエは力なく言った。
「……や、悪い。人死にを真ん前で見ちまったのに、配慮が足りなかった」
「いえ、不法侵入したのは間違いないので、悪さはしてますよ」
「…………」
トランク刑事は少し黙って、
「そうか……」
それだけ言って、話題を変える。
「……隣、いいか?」
「じゃあ、私の隣に」
クロエは自分の隣を軽く叩いて言った。
「悪いな」
トランク刑事はそうことわってから、クロエの隣、そこから少し離れた場所に座った。
クロエは深呼吸をして、それから、気を取り直したように話し始める。
「……事の次第は、先程の事情聴取で全て話しました」
「ストーカーが文字通りのバケモノで、その正体を探ろうとしたら、関係ありそうかつ怪しいヤツが浮かんで潜入。そしたら水晶を腕に挿してプールで泳いでる集団を発見。直後に黒ずくめの覆面集団が出てきて、ストーカーのバケモノとその仲間のコウモリ女と戦った、と?」
「はい」
「ニワカには信じ難いが……コレを見せられちまったらなぁ……」
トランク刑事は、クロエとシャロンが撮った『蜘蛛男』や『蝙蝠女』の写真を見ながら言った。
「……それで、プールで泳いでいた人達は、どうなりましたか……?」
「ああ……全員、病院に緊急搬送された。無事に社会復帰出来るかは、保障しかねるが……」
「……そう、ですか」
「何しろ初めての事態なんだ。治療法なんて……」
「…………分かりました」
クロエはそう言って、ふらつきながら立ち上がった。
「シャロン、行こう」
「……うん……」
シャロンが立ち上がるのを確認してから、クロエはゆっくりと歩き始めた。
シャロンがクロエの隣に駆け寄り、肩を貸す。
「お、おい、大丈夫なのか? 病院とか行かなくて……」
トランク刑事が心配する声を聞いて、クロエは顔だけを向けて、
「心配してくださって、ありがとうございます。……でも、今私達がやるべき事は、バケモノを止める事です。……元の依頼の解決にも、直結してますし」
クロエはそれだけ言うと、前を向いて、再び歩き始めた。
徐々に遠ざかる二人の少女の背中を見ながら、
「気負い過ぎなんだよ、いくらミスタ・ホワイトの後継者にならないといけないからって……まだ子供だろうに……」
トランク刑事は、複雑な表情になって言った。
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