調査の前に

 翌日の早朝、『ホワイト探偵事務所』。


 クロエとシャロンは、同時に目を覚ました。


 あの後、クロエ、シャロン、マリアの三人は、警察の事情聴取を受けた。三人の事情聴取が終わる頃には、夜中の二時を回っていた。

 クロエとシャロンはマリアを自宅まで送り届け、警護は一先ず警察に任せた。

シャロンは、事務所に泊まる事にした。情報共有は寝て起きてからという事にして、そして今に至る。


 クロエは二階の自室から、シャロンはその隣の部屋から同時に出てきた。二人共、着替えは済んでいた。


 クロエ、シャロンの順に急な階段を降り、廊下の突き当りにあるドアを開けて事務所に入る。

二人はキッチンに向かうと、そこで顔を洗った。

クロエはキッチンでコーヒーの匂いがする白湯を二杯分淹れ、二つのマグカップに注いだ。赤い方をシャロンに渡し、白い方を持つ。


 クロエは机用の高級そうな椅子に、シャロンは丸テーブル用に置かれた椅子に座り、コーヒーを一口飲んで、


「……薄い」「薄っ⁉」


 同時に言った。




 それから少しして。

 クロエは、シャロンがマリアと逃げた後に何があったのかを一通り説明した。


 一通り聞き終えたシャロンは、どこか腹立たしげにぼやく。


「……成程、『トラクロア』、ねぇ……」


 それを聞いて、クロエが軽く首を傾げる。


「……何か不満な事でも?」

「ある! なんだよ、それ⁉ そのクリスタルを作る技術、明らかに魔法使ってるだろ⁉」


 シャロンは怒鳴った。


「……まあ、確かに私もそう思ったが──」

「そんな事に魔法使うなんて許せない! それに第一クリスタルの機能は何だよ⁉ 俺の『ソウルクリスタル』のパクリじゃねぇか‼」

「……ああ、そっちでキレたのか」

「そりゃそうだろ⁉ 機能は違くても本質的には似たようなモンだ! 俺のは魂の複製を、やろうと思えば人間の魂でも出来る。あっちは何だ? 心の傷を増大させて超人にするだって? 同等以上に駄目だろ! 商品化なんて以ての外だ‼」


 一気に捲し立てる怒り心頭なシャロンを見て、クロエは冷静に話しかける。


「シャロン落ち着け。ここで怒鳴っても聞いてるのは私だけだ。相手には伝わらない」

「だからって──!」

「シャロン」


 クロエは睨んだ。


「う……わかった、わかったよ。俺も怒るのは保留するから、その目は止めてくれ」

「ああ。……わかってくれればいいんだ」


 シャロンは睨むのを止めたクロエを、どこか不憫そうな表情で見て、すぐに目を閉じた。溜め息を吐き、落ち着きを取り戻し、目を開ける。


 クロエはそれを見て、話題の内容を少し変える。


「そのトラクロアなんだが……私が知らない単語だ。どういう意味だ? どこかの神話から取ってるのか?」

「いや、知ってる限りだと、似たような響きの単語はあってもトラクロアなんて単語はない」

「となると……造語か?」


 クロエの考えに、シャロンは頷き、


「たぶんそう。トラクロアの性質から考えるに……『トラ』の部分は、トラウマ」

「……トラウマ」


 シャロンはクロエが繰り返してから続ける。


「で、肝心の『クロア』の部分なんだけど……これがわからない。二つ候補はあるんだが……」

「挙げてみてくれ」

「一つは、クリノクロア。灰色の鳥の羽とか猫の毛並みっぽい模様の鉱石。魔法で使う事もある」

「もう一つは?」

「パイロクロアっていう……ものすっごく簡単かつ雑に説明すると、複数の物質でできている、八面体の石」

「成程……」


 シャロンは、クロエが頷くのを見てから、盛大に溜め息を吐いた。テーブルに手を突き、体を反らせる。


「パイロクロアの方は置いておくとして……クリノクロアって、普通なら見えないようなヤツを見る時に利用するんだ。トラクロアって、人類の新たな姿、なんだろ?」

「ああ、そう言ってたな」

「だから、クロアの部分を考えて、真っ先にそれが浮かんだんだけど……」

「……だけど?」


 シャロンはすぐに答えず、ゆっくりと天井を見上げた。数秒何か考えてから答える。


「非論理的だけど……何かしっくりこない」


 それを聞いて、クロエは、ああ、と頷いた。


「成程。シャロンと知り合って二年になるが……こういう時の、お前の『しっくりこない』は当たってるから──」


 クロエはそこまで言って、急に黙り込んだ。

 暫く経っても続きを話さない事を不思議に思い、シャロンが話しかける。


「……な、何だよ? どうかしたか?」

「いや……もう少し待ってくれ」


 そう言ったクロエの表情は、目を見開き口をほんの少し開けた。まるで、何かを思い出そうとしているかのようなものになっていた。

 数秒経ってから、その表情は確信したそれに変わる。


「…………ああ、そうだ、あった」

「な、何が?」


 クロエは首を傾げるシャロンを見て、思い出した事を告げる。


「シャロン。『フォークロア』って単語、あっただろ?」

「あ、ああ。民間伝承とか、そんな感じの──」


 シャロンはそこまで言って、


「──あぁーっ⁉」


 叫びながら立ち上がった。


「しっくりきたか?」

「しっくりきた! そうだ、フォークロアを充てるなら納得が行く!」


 大声で言うシャロンを見て、クロエは頷く。


「トラウマは心の傷──心に刻まれた出来事、とも言えると思う」

「ついでに、フォークロアは民間伝承、つまり──」

『トラウマを、一個人の民間伝承と捉えた』


 二人の声は、完全に重なった。

「ああ……すっきりした。クロエ、ナイス閃き」

「そりゃどうも」


 クロエはそう言って、更に話題を変える。


「さて……問題がいくつかある」


 クロエが真剣な表情になり、かつ深刻そうに言ったのを見て、シャロンも表情を引き締める。


「一つは、あの蜘蛛男をどう止めるか。ミセス・トーマスに直接接触してきたんだ、次に機会が生まれるか……もしくは、そうじゃなくても、間違いなく現れるだろうさ」

「……今のまま、止められそうか?」


 シャロンの問いに、クロエは何度か首を振った。


「……マジか……って、そういえば」

「何だ?」

「話を聞いた限りだと……クロエお前、魔法使わなかったのか?」

「うっ……」


 クロエが言い淀んだのを見て、シャロンは呆れた表情になった。


「……クロエ、お前……何で?」


 シャロンの問いに、クロエは十数秒黙って、絞り出すように声を出す。


「いや……その……使いたく、なかった」

「……下手すりゃ、死ぬところだったのに?」

「……それでも、だ」

「…………」


 シャロンは黙り、少し考えてから、意見を述べる。


「……俺としては、『利用出来るなら全部利用しろ』、がモットーだ。命の危険があるなら、尚更」

「…………」

「だけど」


 そう言って、意見を付け加える。


「クロエが唯一使える魔法の事を考えると、躊躇するのもわかる。……怖い、って思ったのか?」


 クロエは暫く考えて、


「……正直、怖い」


 短く答えた。


「まあ……そうだよな。天才の俺でも、クロエの魔法の原理も由来もわからない。そんな得体の知れない力を躊躇わずに使えだなんて、流石に酷だわな」

「……シャロン」

「……そんな泣きそうな顔すんなって! クロエは人間だ、怖いモノなんていくらでもあるだろ、大抵の場合。私だってそうだ、実験中に部屋ごと木端微塵になったらどうしようとか、よく考えるぜ?」

「……シャロン、それはたとえとしてはどうかと思う」


 クロエが呆れた様子で言うのを見て、シャロンはクスリと笑う。


「かもな」

「おい……」

「ま、要はさ、クロエは泣き顔よりかはクールな表情のが合ってるって話だ」

「……そうか?」

「おう」

「……そうか」


 クロエはそう言うと、少しだけ笑った。

 それを見たシャロンが、話を進める。


「さ、話を続けようぜ。問題、あといくつあるんだ?」


 クロエは少し考えて、


「蜘蛛男には、少なくともあの美女が味方している。それに、あの女は、クリスタルの売人らしい。女の背後にいるヤツがどの程度の規模なのかは知らんが……」

「下手すれば、そいつらも纏めて敵に回す、と?」

「ああ。最低でも、女は敵に回す。味方にする気なんて少しもないが、どう出てくるかがわからない。だから、最大の不安材料だ」


 クロエはそう言って立ち上がり、向かって左側にある窓まで歩く。それから少し考えて、


「……調査が必要だ」

「そう来ると思ったぜ」


 シャロンはそう言うと、クロエと同じように立ち上がった。顎に右手の指先をあてがうような仕草をして、クロエに訊ねる。


「手筈は?」

「いつも通りに。私は街を駆け回って聞き込み。シャロンは魔法関連で調べる。地下室も使っていい」

「よっしゃ、任せてくれ。天才が隅から隅まで調べ尽くしてやるぜ?」

「頼んだ」


 クロエはそう言うと、スーツを着込み、壁にかけてある、白い帯が巻かれた中折れ帽を手に取って被った。

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