調査その一・クロエの聞き込み
クロエは事務所を出る前に、飛行士が使うようなゴーグルを手に取った。
事務所を出てドアを閉めると同時に帽子を取り、代わりにゴーグルを首にかける。そのまま、ガレージに向かう。
ガレージには、二台の大型のオートバイが停まっていた。一台は黒く、もう片方は赤い。
クロエは黒いオートバイの点検を一通り終えると、後輪の左右を挟むように取り付けられた箱の左側に、帽子を仕舞った。
「……頼むぞ」
そう言って、クロエは黒いオートバイに跨った。ゴーグルを付け、エンジンを始動させる。それから、少し何か考えて、オートバイを発進させた。
クロエには、街中に仲間がいる。情報屋や、いつも締め切りに追われ続けている文章書きや、学生。中にはホームレスも。人種や職業に関係なく、ありとあらゆる方面に情報網を敷いている。シャロンもその中の一人に入っている。
最初にクロエが話を聞いたのは、魔法学園の生徒の二人組であるサラとスーだった。
この二人組はシャロンの一つ上の学年であると同時に噂話好きで、特に芸能や学生関係の話にはかなり明るい。
街に五つある大通りの一つであるウェン・クロイ通りで二人を見つけたクロエは、その通りにある、学生にはややお高めのカフェである『カフェ・時の列車』に誘い、話を聞く事にした。
カフェの奥、他の客に話が聞こえにくい場所に座り、各々が一通り注文を終えてから、ウェーブがかかった夕暮れのような赤髪の少女──サラが最初に話し始めた。
「──ていうかさぁ、クーちゃんって太っ腹よね。いっつも私らみたいな貧乏学生には入りにくい場所連れてってくれるし」
「そうそう。探偵って儲かるお仕事なワケ?」
便乗するように、早朝の海のような肩までの長さの蒼い髪の少女──スーが言う。
クロエは少し苦笑して、質問に答える。
「いや、正直にいうと全然儲かってない。情報料の一環として、こういうとこに入るって訳で。勿論、こういう時に支払うカネはケチってはいない」
「またまたー。私らの情報網甘く見てるワケじゃないでしょ? そこそこの頻度で依頼が来てるの知ってるんだからね」
スーは冗談半分といった風に言い返したが、
「……まあ、確かにそうだな」
クロエは少しも笑わずに答えた。
「……相も変わらず、冗談通じないんだから。半分本当だけどさ」
「あ……すまない、つい本気にしてしまった」
そこまで言ったところで、三人が注文した物をウェイトレスが持ってきた。
クロエはいつも飲んでいるものよりも高いブラックコーヒーだったのだが、
「……え……? あ、いや……別に悪いとは言わないけど……それ、本当に大丈夫なのか?」
学生二人が頼んだのは、本体が見えなくなる程に、赤と青のクリームがこれでもかと言わんばかりに乗せられた、メニュー表では『ライナーコーヒー』とされている謎の飲み物だった。
クロエは本気で心配したが、
「え? このくらい普通だよ? クーちゃん探偵なんだからさ、色々知っとかないとねえ?」
スーは言葉通り、普通だという風に返した。
「いや、知らなかった事よりも……クリームの色合いがどぎついというか……」
「キレイじゃん?」
「確かに綺麗だけど……いや違うそうじゃない、それを飲んでも大丈夫なのかが問題なんだ」
「大丈夫じゃないならとっくに誰かがそうなってるでしょ?」
「……そう、だな」
クロエはそう言って、少し黙った。
その間も、サラは黙々と『ライナーコーヒー』なるものを飲み続けていた。
自分のコーヒーを一口飲み、気を取り直したクロエは、本題に入る。
「……とりあえず、本題に入ろう。サラ、スー。君達に声をかけたのは、いつものように、二人から情報を買いたいんだ」
クロエはそう言って、昨日の夜中に起こった事を、トランク刑事に許可を得た範囲で話した。
一通り話し終えて、クロエはコーヒーを一口飲んだ。
「……話せる範囲としては、これで全てだ。何か、関係ありそうな情報を耳にしたりしていないか?」
先に反応を示したのは、スーだった。
「あー、ナルホドそういう事ね、色々腑に落ちたわ」
「というと?」
「えっとね、クーちゃんが言った辺りで女の人が襲われたって情報は、もう入っていたの」
クロエはそれを聞いて少し考えて、
「……成程、可能性はありそうだ」
納得した様子で頷いた。
「そりゃ夜中にあれだけ騒げばねえ。……しかし、噂が本当になるとは」
サラの物言いに、クロエが反応した。
「噂? どういう事だ?」
「それがね、彼女の周り、その手の黒い噂が絶えないの」
スーが割り込むように言う。
「……例えば?」
「例えば、ストーカーが絶えない、とか。これは事実になったけど。他には……一緒に暮らしていた両親が、二か月前から姿を見せなくなった、とか」
サラがスーと交代するように言い始めた。
クロエはそれを見て、メモを取り始める。
「……続けていい?」
「どうぞ」
「あとは、白いスーツの誰かとホテルに入って行ったとか」
クロエは右の眉を上げた。
「どうかした?」
「あ、いや……さっきの話の中に出ただろう、男には女の仲間がいたって」
「うん」「うん」
「そいつもそんな服装だったんだ」
「えっ⁉」「えっ⁉」
サラとスーが驚いて身を乗り出した。
「あ、いや、無関係な可能性もある。……頼む、続けてくれ」
二人はいまひとつ釈然としない表情のまま座り直して、スーから話を再開する。
「あと、これはあんまり大きな声で言えないんだけど、彼女の勤め先、何か凄くヤバイ事やってるって話もあるのよ」
それを聞いて、今度はクロエが身を乗り出す。
「……どんなだ?」
「えっと……サラ、私が言っていい?」
「いいよ」
「じゃあ……」
そう言って、スーは身を乗り出し、クロエに顔を近付ける。
「なんか……人身売買とか、人体実験らしいんだ」
「……今どき、そんな事をしている、と?」
「うん。それこそ噂だから確実な証拠はないんだけど、でも勤め先の社長の自宅で毎週パーティーやってるみたいでそれで……」
「……それで?」
「なんか……そこに行った若い人達が戻ってこない、とか……」
「……急に怪談染みてきたな」
「うん……。それと、そこに白いスーツの誰かが入っていく事もあるらしいんだ。あくまで噂だけど。……これ以上は、売り物になりそうな情報はないかな」
スーはそう言うと、いまだに本体が見えていない『ライナーコーヒー』を飲み始めた。
「…………ふむ」
クロエは呟くと、コーヒーを飲み始めた。
四時間後。
クロエは、学生二人に奢ったカフェとは別のオープンカフェにいた。適当な席に座り、帽子を日除け代わりにして、昼休憩も兼ねて目を休めていた。
「……う、マズイ、このままだと寝る……」
クロエはそう呟くと、顔に乗せていた帽子を持ち上げ、姿勢を正した。聞き込みで得た情報を書き取った手帳をスーツの内ポケットから取り出し、広げる。
「…………やっぱり、そう簡単に尻尾掴ませてくれる訳ないか……」
いくらか手帳を捲ってからクロエが呟き、思案に暮れようとした、その時だった。
「よぉ、ミセス・ホワイト。何やってんだ?」
誰かが、クロエの背後から話しかけてきた。
クロエが振り向くと、そこには、一人の男がいた。中肉中背で、ややボサボサの短い髪と、エメラルドグリーンの瞳を持っている。服装は、ストライプが入ったスーツの上下。
男の名は、レディプス・スレッド。クロエの仲間の一人で、情報屋。
「どうも、ミスタ・スレッド。いやなに、ちょっと休憩していただけですよ」
「休憩ねぇ……。という事は、何か仕事でも入った、と?」
「ええ、まあ」
クロエはそう言って、少し何か考えてから、
「そうだ、丁度良かった。この街の誰よりも芸能関係に詳しい貴方にも、話を聞こうとしていたところだったんです」
それを聞いて、レディプスは片眉を持ち上げた。
「ほう? 何だ、芸能人のスキャンダルでも探るのか?」
「いいえ、その真逆……かどうかは怪しいですけど、とりあえずスキャンダルではないです」
「……ふむ、聞かせてもらおうか」
レディプスは少し考えてからそう言って、クロエと向かい合う形で座った。
クロエは眠気覚ましも兼ねてブラックコーヒーを、レディプスは昼食にとホットドッグとカフェオレのセットを頼んだ。
クロエは注文の品を待っている間に簡潔に事件の経緯を説明した。レディプスが考えている間に、それぞれが頼んだ品物が届けられた。
カフェオレを一口飲み、更に少し考えてから、レディプスが口を開く。
「……成程。ただ付き纏うだけでは飽き足らず、ヤバイ代物にまで手を出す、か。……最低な奴だな」
レディプスは声を幾分か低くして言った。
クロエはそれを聞いて、話を進める。
「『蜘蛛男』という名前に、心当たりは?」
「ないな。彼女にはストーカー染みたファンが複数いるが、直接手を出したりするような奴等じゃない。連中、その辺は弁えてるんだ。もしその中の誰かが『蜘蛛男』を名乗るにしても、もっと紳士的に行動するはずだ」
レディプスは、クロエの問いを即座に否定した。
「……口では何とも言える、とは言うが……一先ずは、『蜘蛛男』のような奴は、彼女のファンの中にはいない、と?」
「ああ」
「……そうですか……では、彼女の勤め先の噂の方は、何か知っていますか?」
「ああ、それなら知ってる。……とは言っても、その勤め先の社長宅の警備が、最近急に物々しくなったって事以外は、女子学生二人組と同じ内容だけどな」
「……早急に調べる必要が出てきたかもな」
クロエはそう言うと、コーヒーを一気飲みして、
「……う、舌火傷したかも……」
そう言いながら立ち上がり、懐から財布を取り出した。1ラロド紙幣を三枚取り出し、テーブルに置く。
「支払いと私の分のチップは、これで払っておいてください。情報代は、こちらで」
クロエはそう言うと、財布から100ラロド紙幣を三枚取り出し、レディプスに直接手渡した。
「では、私はこれで──ん?」
クロエはそう言いかけて、財布を懐に収めてから、更に探って、
「……これか?」
振動している『ベア―フォン』を取り出した。閉じている状態から展開して、下半分の中央にあるダイヤルの、その真ん中にあるノブを捻り、上半分を右耳に当てる。
「……どうした? うん……わかった、こっちもキリがいいところだったから、これから戻る。……わかった」
クロエはそこまで言って、『ベア―フォン』を耳から離し、閉じた。
「……な、なぁ、それ、何だ?」
レディプスが怪訝な表情で聞いた。
「……あー……『企業秘密』って事で」
クロエは、適当に誤魔化した。
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