調査その二・シャロンの検証結果
事務所に戻ったクロエは、帽子とゴーグルを帽子掛けに掛けた。その足で、事務所の一角にある、地下室に続くドアを開けた。そのまま躊躇する事なく、足を踏み出す。
螺旋階段を足早に降りていき、真っ直ぐ進むと、そこにはドアがあった。クロエは、これも躊躇せずに開けた。
ドアの向こうには、『秘密の実験室』とでも言うべきであろう空間が広がっていた。
その部屋の一角に、何かを呟きながら思案に暮れている、ローブの代わりに白衣と眼鏡を身に着けたシャロンの姿があった。
「シャロン、戻ったぞ」
クロエがシャロンに呼び掛けたが、返事はなかった。
「……おい、シャロン!」
クロエはもう一度、今度は大声で呼び掛けた。
シャロンはクロエの方を見て、
「おう、帰ってきたか」
「ああ。何か考え事でもしてたか?」
「……その言い方だと、何回か呼んだのか?」
「二回」
「……悪い」
「気にするな。単純にそう見えただけだから。……で、何考えてたんだ?」
「あ、ああ……とりあえず、こっちに来てくれ」
シャロンはそう言いながら眼鏡を外した。
クロエは頷き、シャロンの隣まで移動した。
「……一応、魔法関係を利用して、出来る範囲の限界まで調べてみたんだ」
そう言ったシャロンの口調は、どこか苦々しげだった。
「その言い方だと、いい結果が出なかったって事か?」
「一部正解。まずはそこから話す」
シャロンはそう言うと、軽く咳払いをして、
「俺が調べたり検証を行って、結果を出せた事は、『蜘蛛男の正体』、『トラクロアの変身原理のために必要な魔法』、この二つだ。一先ずは、確信に迫れそうな事を、と思ったんだ」
「分かった、続けてくれ」
「ああ。まず前者からだな。まず、前提としてなんだが……『時の投影』って魔法があるだろ?」
「ああ、探偵の商売敵のあれか」
クロエが嫌そうに言ったのを聞いて、シャロンは肩をすくめた。
「まあな。代わりに準備物が面倒過ぎる上に魔法としても難易度が異常で、しかも効果範囲が手間暇と比べて狭ければ、利用出来る時間も短い。要は、『好き好んでやる奴はいない』魔法だけどな」
シャロンが恨み言のように言ったのを聞いて、今度はクロエが肩をすくめる。
「そりゃ大変だよな……。でも、今回はそれに頼らざるを得なかったんだな?」
シャロンはクロエの言葉に頷き、答える。
「ああ。普通のストーカーだったら、根気強く捜査して尻尾掴んで……ってやるんだろうが、今回は相手が相手だからな。なるべく先手を打てるかもしれない手段に出たんだが……」
「その言い方だと、何も分からなかったのか?」
「いや、何もってワケじゃない。魔法が使えるギリギリまで街中で起こった事を調べて、街のどこかの廃工場で、誰かと、『蜘蛛男』の仲間の女が、例の『クリスタル』を取り引きしてるのを見れたんだ」
「……ん?」
クロエは少し考えて、疑問を口にする。
「誰かさんって……、顔は見えなかったのか?」
「……残念な事に、そいつらを見つけたのは魔法の発動限界寸前でな。それに、よしんば余裕があったとしても、すぐに『クリスタル』を左胸に突き刺して変身したから、どのみち無理だったと思う」
「……そうか」
クロエはどこか悔しそうに言って、続きを促す。
「──分かった。二つ目はなんだが……結果を出せた事で大事なのはこっちなんだ」
シャロンは、真剣な表情で言った。
「トラクロアに変身するために必要な魔法、か?」
「そうだ。ただ……これはあくまで一つの説なんだ。その説を強固にするために、もう一つ聞きたい事がある」
「何だ?」
「『蜘蛛男』を殴った感触、人間っぽかったか?」
それを聞いて、クロエは意外そうな表情になって、
「いや……人間よりかは、硬かったけど……」
「殴った個所、損傷はあったか?」
「いや……なかったが……どういう事だ?」
シャロンはそれに答えず、額に手をやった。盛大に溜め息をつき、何度か頭を振る。
「……マジかよ……勘弁してくれ……」
「おいシャロン、何が言いたい? 何も解らん」
クロエがそう言うと、シャロンは額から手を離した。
シャロンはクロエを真っ直ぐ見て、
「……俺の仮説、強固になった」
「……今ので何が分かったんだ?」
「えっとな……凄く簡単に言うと、『蜘蛛男』……と言うかトラクロア全般なんだろうが……あいつ、体の原子とか分子そのものを作り替えてる」
「……どうやって? というか、原子って、物質の最小単位だろ? 無理だろ」
「そう思うだろ? 出来るんだよ」
「どうやって?」
「原子に別の粒子を物凄い速さで衝突させる。例えば窒素……今吸ってる空気の大半の物質なんだが、それの場合だと、酸素の同位体と陽子になるんだとよ……付いてた名前は、『核変換』」
クロエはそれを聞いて、暫く考え込んで、
「……全然分からん。というか想像がつかん」
「だよな? 俺もだ。言いたい事は何となく分かるけど、あんまり理解出来てない」
「マジかよ」
「マジ。……で、だ。これな、やるのは別にいいんだ。ここは魔法都市だからな。法律の範囲内でなら誰にだって魔法使う権利がある。でもこれには問題があるんだ」
シャロンが深刻な表情で言った。
「問題?」
「ああ。一つは施設。ちゃんとした設備がないと、原子に粒子をぶつけるのは無理。原子は自由に動き回るから」
「ああ……動き回るって部分は教えてもらったな」
「覚えてたか。センセイ嬉しいぞ。問題は二つ目だ。大問題だ」
「……何だよ?」
「原子を分解する場合、2000度以上に温度を上げる必要があるんだよ」
「…………」
クロエは二十秒程黙って、
「何て言った?」
聞き返したが、
「原子を分解する場合、2000度以上に温度を上げる必要がある」
殆ど同じ内容の答えが返ってきた。
「…………」
「言いたい事は解るな?」
「……仮に、設備なしに核変換を行えたとして……周囲の物体が尽く溶けると?」
「もしくはもっと酷い事になるかって事でいい」
「でも、そうはならなかった……」
「そうだな。……それで、だ。核変換に似てるのに高熱が発生しないって魔法、見た事あるんだよ」
シャロンはそう言って、クロエを見つめた。
一分程そうしてから、クロエが口を開く。
「……私が怪しい、と?」
「魔法だけ見れば」
「……魔法使う時、ああいうのを体に差したりしてないぞ?」
「ああ。だから、トラクロアじゃないんだろうけど……でも似てる」
「……そうか……」
クロエは少し考えてから、
「……なら、その辺、直接聞いてみるか?」
「……は?」
そう言うのを聞いて、シャロンはポカンと口を開けた。
「……どうやって?」
「何人かから情報をもらったんだ。マリアさんの所属事務所の社長、人身売買とか人体実験とかやってるってもっぱらの噂だそうだ」
「……随分火薬臭いけど、連中が来る確証あるのか?」
「確証はない。けど……その社長のパーティー、白いスーツの誰かが来る事があるんだそうだ。そんな派手な格好の奴はそうそういないだろ?」
「……いないな。少なくとも、俺が知ってる範囲だけだが」
「だろ? 調べてみる価値はあると思うんだ。噂の真偽も確かめられるし」
「……そうだな……」
シャロンは少し考えてから、
「……断ったら、独りでも行く気だろ?」
「当然」
「……分かった、分かったよ。一緒に行く。けど、無理無茶無謀はナシだ。……死んだら元も子もないからな」
シャロンが険しい表情で言って、
「……善処する」
クロエは、どこか辛そうな表情で、短く答えた。
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