検体提供
二日後の夜、シガミティクの郊外。
高級住宅が立ち並ぶ地区の一角に、マリアの所属事務所の社長が住まう、やたらと白く、四角いデザインの豪邸があった。
その豪邸の手前には広い道路が伸び、それを挟んだ向かい側には、街路樹が立ち並ぶ歩道があった。
クロエはその街路樹のすぐ脇を歩きながら、時折、目線だけを向けて豪邸の方を見ていた。
その視線は、豪邸を警備する人々に向けられていた。
「…………」
クロエは立ち止まると、警備員の数を数えて、
「…………ふむ」
小さく呟き、素早く街路樹に手を伸ばして何かを手に取り、足早にその場を去った。
クロエはその足で、そこから二百メートル程離れた場所にある小綺麗な公園に向かった。公園に入り、木の陰に隠れ、青いカメラ越しに豪邸を監視するシャロンの元に向かう。
「……おう、戻ったか」
シャロンは振り向かずに、クロエが声をかけるよりも早く言った。
「ああ。回収してきた」
クロエはそう言いながら、街路樹から取ってきた物──カメレオン型の変形した二機の『カメレオンウォッチャー』を見せた。
二機の『カメレオンウォッチャー』は、少しの間クロエの掌の中で動いてから、四角い腕時計の形態に戻った。
「ほれ」
クロエは腕時計の片方をシャロンに手渡した。
「どうも」
シャロンはそれを受け取り、後端からカメレオンの『ソウルクリスタル』を引き抜き、青いカメラのレンズの右側に差し込んだ。
「こう、こう、こう、と……」
シャロンがいくつかのボタンを押すと、カメラ本体の下側から、白い枠がある一面黒い写真が十二枚出てきた。
クロエが自分の赤いカメラで同様の操作をすると、同じような写真が同じ枚数だけ出てきた。
「合わせて二十四枚か……」
クロエはそう呟き、シャロンの隣に屈んだ。
「まあ、『二ヶ所を往復して屋敷に変化があったら写真撮れ』って命令だったから、たぶん妥当だろ……お、出てきた」
シャロンがそう言うのとほぼ同時に、持っている写真がひとりでに現像を始めた。
クロエは現像が始まった自分の写真とシャロンを交互に見て、
「……インスタントカメラ、だったか。便利だけど……なあシャロン、お前、一体何を専攻してるんだ?」
「え? 魔法学だけど?」
「……カメラって、魔法関係あるのか?」
「あるぞ。全部説明すると長くなるから省くけど、仕組みにも性能を決めるのにも、どっちも関わってくるんだ」
「そうなのか……」
クロエが一応納得したのを見て、シャロンが話を進める。
「ま、そういう事だ。とりあえず、写真を確認してみようぜ。どっからか侵入出来るかもしれないし」
「あ、ああ、そうだな……」
クロエは一応同意し、写真の精査を始めた。
一時間後。
社長の豪邸の裏門を警備している二十代中頃の男は、欠伸を噛み殺した。
「ああ……暇だな、突っ立ってるだけって……」
男はそう呟いて、右手首に巻いている腕時計を見た。
「まあ、交代にはまだ早いか──」
男はそう呟こうとして、
「おにーぃさんっ?」
「うおぉっ⁉」
突然、背後から少女の声が聞こえてきた。
男が振り向くと、そこには、十代中頃の、長い金髪と空色の瞳の少女が立っていた。
「ビックリした……」
「えへへー、ごめんなさーい」
悪戯っぽく笑う少女を見て、男は呆れながら、軽く咳払いをした。
「……あのねお嬢ちゃん、ここには近付かないで欲しいんだけどなあ」
「そうかもって思ったんですけど……その、道に迷っちゃって……」
「迷う……? ここ、住宅街だぞ?」
男に怪訝な表情を向けられた少女は、少し恥ずかしそうに、軽く俯く。
「ここにはいつも友達に送ってもらって来てて、あんまり道を覚えてなくて……ごめんなさい」
「いや、謝る事じゃないけど……」
「えっと、それで、道を教えて欲しいなって」
「…………」
男は少し考えて、
「じゃあ、手短に、な。……何か、行きたい方向の目印とかあるかい?」
「えっと、黄色い看板のドーナッツ屋さんがあったんだけど……」
「黄色い……ああ、『ドーナッツドーナッツ』って店か? 最近店開いた」
「あ、そうそれ!」
「あーそれなら、広い道路に出てからあっちに──」
男がそう言いながら方向を指差しで教えようとした、その時だった。
男の背中に何かが抱き着き、後ろ側へと体重を掛け始めた。
「な──ぐっ⁉」
男は何か言うよりも早く、誰かに布で口と鼻を覆われた。
男の意識は、それから数秒もせずに途切れた。
「…………ふう」
男が意識を手放したのを確認してから、誰か──クロエは、小さく溜め息を吐いた。
「上手く行ったな」
金髪の少女──シャロンが満足げに言った。男の隣にしゃがみ、腰のベルトに大量に据え付けたポーチの一つから細いロープを二束取り出した。
シャロンは、クロエが周囲を警戒している間に、男の手足を素早く、かつ固く縛った
「よし、クロエ、頭の方持ってくれ。俺は足の方持つ」
「わかった」
クロエは返事をし、男の両肩の下に手を回した。シャロンは両足首を掴み、
「せーのっ!」「せぇのっ!」
息を合わせて持ち上げた。
二人は男を近くの茂みの中に丁寧に隠し、裏門の前に戻った。
「次は私の番か。シャロン、見張りを頼む」
「りょーかい」
クロエはシャロンの返事を聞いてから、門の鍵穴まで目線を下げた。スーツの内ポケットからクリップを二本取り出し、それぞれ真っ直ぐの伸ばした後に先端を直角に曲げた。
クロエは変形させたクリップを鍵穴に差し込み、ピッキングを始めた。
鍵穴を弄り回しながら、クロエがシャロンに聞く。
「……なあ、こういう時こそ魔法が活躍するものじゃないのか?」
「あー……俺もそうしたいんだけど、市販であれなかれ、鍵穴がある物は『解錠魔法』的な類の魔法を尽く無効化するようになってるからなあ……」
「『条件を満たしてなければ物理的にも解錠不可能』、なんてのは……まだ技術的に無理なのか?」
「そう、まだ無理。だから、今一般的な錠前の類は、ある意味その場凌ぎなんだよ」
「成程……それでも『一部だけでも魔法を尽く無効化』なんて、かなり高度な魔法だろうが……よし開いた」
クロエは会話を締め括ると同時に解錠に成功した。
「行こう」
クロエはシャロンに言うと、豪邸の敷地に足を踏み入れた。
「分かった」
シャロンは返事をして、後に続く。
特に警備員に発見されることもなく、クロエとシャロンは豪邸の中まで侵入した。
「……のはいいけど、なあクロエ、ちょっと順調すぎやしねぇか? そもそも裏門をくぐってすぐ裏口があるとかもちょっと考えられないし……」
一階の廊下を歩きながら、シャロンが小声で話す。
「……かもしれないな……」
クロエが周囲を見渡す。
豪邸の中は、パーティーが開催される日であるにも関わらず、照明が一切点けられていなかった。
「さっきっから誰ともすれ違わないし、警備のやつすらいないだなんて……」
「この規模の屋敷だ……」
クロエはちらりと廊下の隅を見て、
「……清潔に保つには、最低でも使用人が数人はいないとならない……はずだ」
「罠か?」
「可能性は少しずつ高くなってる」
そう言った次の瞬間、クロエが立ち止まった。向かって右側を見る。
「これは……」
「おい、どうし……」
クロエの視線を辿って、シャロンは絶句した。
二人の右側の壁は一面ガラス張りになっていた。
その先──庭には、人が数十人入ってもまだ余裕があるであろう広いプールがあって、そこでは、十人程の若い男女が、悲鳴にも聞こえるはしゃぎ声を上げて泳いでいた。
その男女達の胸や腕には、六角柱の結晶が突き刺さっていた。
泳いでいるというよりは──溺れる事から必死で逃れようとしているようだった。
「何だよこれ……」
シャロンは愕然としながら呟き、
「……あ……」
直後、クロエの口から只の音とも取れる声が漏れた。
「……クロエ?」
シャロンが隣を見ると、
「お、おい……?」
クロエは体を震わせ、両目を見開き、口を開けたまま荒い呼吸を繰り返していた。明らかに動揺していた。
「大丈夫かよ……?」
「あれは……ああ、見覚えがあると思ったら……そうか……」
クロエはシャロンの声に耳を貸さず、ブツブツと独り言を言い始めた。
「な、なあ、何がだよ……?」
シャロンがクロエの肩に手を置こうとした、その時だった。
いくつもの足音が二人に向かってきた。その数、十人程。
「マズイってクロエ、見つかった!」
「…………」
「……おい、クロエ、おい!」
シャロンに何度も呼び掛けられて、クロエは漸く我に返った。
「あ、ああ……!」
クロエは軽く頷き、周囲を見渡す。すぐに隠れられる場所はなかった。
「……迎え撃つしかないか」
「来るぞ……!」
シャロンが言った直後、足音の主、約十名が姿を見せた。
庭からの明かりに照らされたのは、手袋や靴を含めて黒ずくめのスーツ姿で、その顔は、髑髏の上から脊椎が巻き付いているかのような形状になっていた。
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