潜んでいた者
骨頭の何者か達は、即座にクロエとシャロンを取り囲んだ。
「何だコイツら……」
シャロンは呟きながら、ローブの内側、腰の後ろに左手を突っ込む。
「コスチューム・プレイって訳ではなさそうだな……若干、殺意が滲んでいる」
クロエは帽子を被り直し、軽く構えた。
次の瞬間、黒づくめ達が動き出し、二人に襲い掛かった。
クロエは真っ直ぐ突っ込んできた一体を左前蹴りで押し戻し、左の一体の懐に潜り込んで左拳を鳩尾に捻じ込んだ。右の一体の拳は素早く受け止める。
シャロンは軽く飛び退きながら、左手を出し、下投げの要領で振った。手の中に握られていたガラス玉が飛び出していき、黒ずくめ達の眼前で破裂した。破片が黒ずくめの方にだけ飛散する。
「相変わらず便利そうだな、それっ!」
クロエは自分の右側で起こった事を黒ずくめの肩越しに見ながら言った。相手の両腕を跳ね上げ、がら空きになった顔面の、人間ならば左目があるであろう位置を狙って殴り飛ばす。
「便利だよ、準備面倒だけどなっ!」
シャロンは言い返しながら、右から突っ込んできた一体の顎を右掌底で打ち上げた。
「っ、広いところのが良さそうだな……クロエ!」
「解った!」
クロエはそう答えて、黒ずくめの一体の背後に回り込み、
「らぁっ!」
気合いを込め、右足で背中を蹴り飛ばした。黒ずくめの一体が吹き飛び、ガラスの壁に激突した。ガラスを叩き割りながら庭に飛び出し、プールに腹から落下した。
二人は、シャロン、クロエの順に庭に飛び出した。黒ずくめに追われながらプールサイドを駆け、広くなっている場所で止まりながら振り返る。
クロエがちらりとプールの方を見ると、男女は未だに水の中にいた。
「気付いてないのか……⁉」
クロエは困惑しながらも、先頭に立って突っ込んできた黒ずくめを右前蹴りで押し戻し、そのまま突っ込んでいく。
その直後、プールから激しい水音が聞こえてきた。
クロエとシャロンがそれぞれ黒ずくめと取っ組み合いをしながらプールを見ると、黒ずくめの一人が慌てて上がってくるのが見えた。
黒ずくめは二人を見遣ると、
「…………‼」
立ち上がり、逃げ出すような足取りで二人から逆方向にむかって走り出した。
「何だ……?」
シャロンが怪訝な表情になった、その時だった。
突然、女性が現れ、黒ずくめの行く手を阻んだ。
女性は、『蜘蛛男』と行動を共にしていた美女だった。
『う、うわあああぁぁっ⁉」
黒ずくめは美女を見て悲鳴を上げ、
「……どこに行く気ですかぁ?」
美女は黒ずくめに対して、平然と間延びした声で話しかけた。
『い、いや……その……』
「まさか……敵前逃亡ですかぁ?」
『…………』
「図星、ですか。……契約違反ですねぇ」
美女は溜め息交じりに言うと、スーツの内ポケットから、先端が鋭い正六角柱──『エキストラクトクリスタル』を取り出した。ネクタイをずらしてボタンを外し、左の鎖骨周辺を露出させる。そこにある六角形の刺青のような紋様に、躊躇なく突き刺した。
結晶の色が白い半透明に変化した。体内に埋まり、肉体と同化する。
それと同時に、肉体にも変化が起こった。体の表面に波紋のような光が幾重にも走り、それが通った場所が、蝙蝠のように変化していく。
美女の肉体は、五秒と経たない内に、蝙蝠のような黒い姿に変貌を遂げた。
「クロエ、まさか……⁉」
「ああ……恐らくあれもトラクロアだ……‼」
「条件が整っていないのに、肉体が……⁉」
二人が驚愕する中、トラクロア──『蝙蝠女』と呼べるであろう姿になった美女が動き出す。
『蝙蝠女』は、黒ずくめの両肩を掴むと、その首に、自分の牙を突き立てた。
『がっ、うわああああああああああっ⁉』
激痛に悶え、驚愕が混じる悲鳴を上げる黒ずくめに対して、
『大丈夫ですよぉ、すぐに良くなりますからねぇ』
『蝙蝠女』は牙を突き立てたまま器用に話し、更に深く突き刺す。
暫くそうしてから、『蝙蝠女』は黒ずくめから牙を引き抜いた。
黒ずくめは何も言わずにその場に倒れ、すぐに立ち上がった。
『さ、もういいのでしょう? ほら行きなさいな』
『蝙蝠女』が言うのと同時に、黒ずくめがクロエに向かって走り出した。
クロエは組み合っていた黒ずくめを殴り飛ばし、数歩だけ後ろに下がる。
「なっ、何だ⁉」
「解らん、とにかく一旦退くぞ!」
困惑するシャロンにクロエが言った。
「あ、ああ!」
シャロンは返事をして、自分と黒ずくめの間に右足を捻じ込み、前蹴りの要領で押し退けた。黒ずくめが仲間を巻き添えにして倒れる。
それを見ると同時に、シャロンが走り出した。クロエも後に続く。
「クソッ、ここまで来て……!」
「捕まるよりかマシだ、急げ!」
二人は豪邸とプールの反対方向、車を四、五台は停められそうなガレージの前まで走ったが、
「っ⁉」
そこまで行って、シャロンが急に立ち止まった。
「おいシャロン──⁉」
クロエが文句を言いかけて、急に黙った。
「……見えたな、クロエ?」
「…………ああ」
「……ダメだわ、挟まれた」
二人の行く先には、
『よお……!』
『蜘蛛男』が立っていた。
「……マジか」
『マジだよ。俺も、お前達の後ろで退路を断ってる連中も』
クロエが後ろを見ると、『蝙蝠女』と黒ずくめが徒党を組んで向かって来ていた。
クロエは、自分にしか聞こえない程度の音量で舌打ちした。
『舌打ちしている場合かぁッ!』
『蜘蛛男』は怒鳴ると、右手をクロエに翳した。その掌から太く毛羽立った糸が飛び出し、クロエの両腕を巻き込む形で胴体に巻き付いた。
「しまっ──」
『死ねオラアアァッ‼』
『蜘蛛男』はクロエが抵抗するよりも早く動き、その勢いでクロエを宙に浮かばせ、真後ろにある、シャッターが下ろされたガレージに向けて放り投げた。
クロエは黒い塊のような影になる程の速度で投げ出され、ガレージのシャッターを突き破り、その奥に消えた。
「クロエ⁉」
シャロンはガレージの中に向かおうとしたが、
『行かせませんよ』
それよりも早く、黒ずくめに取り囲まれた。
「────っ」
シャロンは立ち止まった。
『蝙蝠女』はそれを見て、『蜘蛛男』に指示を出す。
『……クモさん、念のため、お嬢ちゃんの死体を見てきてくれませんか』
『あ? 何でだよ、自分で行け』
『私はこの生意気そうなお嬢ちゃんの見張りで忙しいですし、貴方の方がガレージに近いんですよ』
そう言われて『蜘蛛男』は少し考えて、
『……ハイハイ、そーですね……』
渋々承諾し、ガレージの方へと向かう。
『素直に従えばいいのに……さて』
『蝙蝠女』は気を取り直すかのように呟いて、シャロンを見て舌なめずりをした。
『どう、可愛がってあげましょうか……?』
「……俺にそういう趣味はねぇぞ」
『あら、血を吸われたら、意外と私の虜になる人は多いみたいですよ?』
「…………」
シャロンは一瞬怪訝な表情を見せ、少し考えて、言葉の意味を理解して、
「何を勘違いしてるか知らないが……」
何かを言いかけた、その時だった。
突然、ガレージから轟音が聞こえてきた。
『──ぐぁっ……⁉』
それと同時に、ガレージの中から『蜘蛛男』が吹き飛ばされたかのように飛び出し、地面を転がった。
『今のは……⁉ クモさん、何が⁉』
『解らん、急に何かがぶつかってきて次の瞬間コレだ!』
『蜘蛛男』と『蝙蝠女』、黒ずくめ集団が困惑する中、
「まさか……」
シャロンは、音にすらならない程の小さな声で呟いた。
その直後、ガレージから、何かがゆっくりと出てきた。
その何かは、帽子を取り、ベスト姿になったクロエだった。スーツを脱いだ代わりなのか、ガレージに突っ込む前には着けていなかった黒い手袋を両手に填めていた。その左手には、今まで被っていた、白い帯が巻かれた黒い中折れ帽があった。
その両の瞳は、一瞬だけ夕日色に輝くと、すぐに元の色に戻った。
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