第一章 始まりのS/帰れストーカー

夜更けの訪問者

 大きなものは原動機エンジンから、小さいものなら水回りまで。ありとあらゆる物事に『魔法』という概念が関わる。それが、『魔法都市』──『シガミティク』。

 そんな『シガミティク』の一角にある路地裏のやや奥まった場所に、『ホワイト探偵事務所』と書かれた看板を掲げた事務所がある。


 その事務所の中は、最低限装飾には気を遣ってはいるが、特に飾り立てるつもりはない、といった雰囲気だった。


 事務所の一角にある大きな事務机の前の高級そうな椅子に座り、何度目かのうたた寝から本格的な睡眠に入りかけて、慌てて目を覚ました人間がいた。


 人間は、十代中頃に見える少女。白いシャツの上から黒いベストを着ていて、黒いネクタイを締めている。下は黒いズボンに、黒い革靴。精悍な顔つきで、短い黒髪に、鋭い両目にはそれと同じ色の瞳が嵌まっている。


 名前は、クロエ・ホワイト。職業は、『ホワイト探偵事務所』の探偵。


 クロエが窓の外を覗き込むと、通りの向かいの街灯に明かりが灯っていた。見上げると、空が黒に近い濃紺一色に染まっていた。


「……また、あの夢か」


 クロエは苦々しげに呟き、気怠そうに立ち上がった。

 向かって右側にあるちょっとしたキッチンに向かい、コーヒーを淹れる道具一式と、今日仕入れたばかりの焙煎済みのコーヒー豆を引っ張り出した。


 クロエは、ケトルに水を大体八分目まで入れ、コンロに乗せてから火を点ける。コーヒーを淹れる準備を一通り、適当に済ませてから、ケトルの下の火を見つめる。


暫く経ってから、ふと思い出したかのように、どこか悲しげに呟く。


「何回見ても慣れるものじゃないって、ああいうのを言うのかねぇ……」


 その直後にケトルが甲高い音を奏で、お湯が沸いた事を知らせた。

 

クロエは火を消して、フィルターに入っているコーヒー豆を挽いた粉に、そっとお湯を注いだ。粉が膨らむのを待ってから、大小の円を描くように、二杯分程注いだ。


 クロエは二杯分のコーヒーが完成したのを見て、コーヒーサーバーをドリッパーの下からどかして、適当に選んだ大きなグラスを代わりにそこに置いた。

 最後にコーヒーサーバーを軽く回して、白いマグカップに一杯分を注いだ。


 クロエはマグカップを持ち上げ、中身を見つめて、


「はぁ……」


 溜め息をつき、コーヒーを飲もうとした時だった。


 走っているような騒々しい足音が聞こえ、事務所の出入り口の扉が勢いよく開かれた。


 扉を開けたのは、十代中頃に見える少女。襟のない白いシャツの上から、各部に赤い線が走っている黒いフード付きのローブを羽織っている。下は飾り気のない赤いスカートに赤いローファー。端整な顔つきで、腰まで届く金細工のような輝きを放つ髪を持ち、優しそうな形の目には、空色の瞳が嵌まっている。そして、何故か大型のアタッシュケースを両手で持っていた。


 名前は、シャロン・ヴィヴィッド。十七歳で、自他共に認める天才魔法学者。


「よっ! 天才のご到着だ、クロエ」

「わかったわかった、天才魔法学者シャロン・ヴィヴィッド様、な」

「……いや、その言い方はないだろ、クロエ? 別に間違っちゃないけどさぁ」


 シャロンは軽く抗議したが、


「ああ、言い方が悪かったかもしれないな」

「あっさり認めるのかよ」

「ああ。わざとだから」

「……お、おう」


 クロエの返答で怒りの矛先が鈍り、少し黙った。

 シャロンは、仕切り直すと言わんばかりに声を明るくして、


「それよりさ、見て欲しい物があるんだよ!」

「ここ数日、食事と風呂以外は学園の研究室に引き籠った成果か?」

「正解!」


 クロエの問いに満足げに頷き、玄関から丸テーブルの前まで移動した。クロエもその隣に移動する。

 シャロンはそれを待ってから、話を再開する。


「その成果ってやつを……よいしょ、っと」


 シャロンはそう言いながら、アタッシュケースをテーブルの上に上げた。


「──今から見せようと思って」

「明日は学園が休みなのに待てないような物か?」

「当たり前だろ?」

「成程、そりゃ楽しみだ」


 クロエが笑みを浮かべた。


「なら、驚く事になるな」


 シャロンはクロエに不敵な笑みを向けると、アタッシュケースの鍵を外し、ロックも解除して、蓋を開けた。


 アタッシュケースの中には、クロエが知らない、二つ折りの直方体の物体が二つあった。その左上には、何かを別途で収めているらしい小箱が縦に二つ並んでいた。


「……何だ、これは?」


 クロエが首を傾げたのを見て、シャロンが楽しそうに笑う。


「ふっふっふ、驚くなよ、クロエ? ……これは、携帯電話ってやつさ」

「……いや、その単語、聞いた事すらないんだが」

「まあ、そりゃそうだ。俺が発明して、名前付けたんだから」

「……シャロン、お前なあ……分かるワケないだろ、それ」

「ははっ、悪い悪い」

「ったく……」


 クロエが呆れ気味に言って、話題を戻す。


「それで? その携帯電話の何が凄いんだ? 持ち運べるだけで十分凄いが」

「よくぞ聞いてくださいました! 俺の唯一の教え子だけあるな!」

「分かったから、どうなんだ?」

「何とこの電話、交換手が必要ありません!」

「…………」


 シャロンの回答に、クロエは唖然とした。


 電話をかけるために欠かす事の出来ない電話線は、ここ『シガミティク』はおろか、大陸中に張り巡らされてはいる。電話機さえあれば、どこにでも連絡は取れる。

 しかし、電話をどこにかけようとも、電話交換機を仲介しなければならない。電話交換機は手動で操作する必要があり、そのために交換手が必要なのだ。


「……本当かよ」

「怪しむなら、ここで実践しようか?」

「いや……別にいい」

「そうか? ……とにかく、交換手必要なし、たとえ片方が『シガミティク』の外にいても、時間を取らずに通話出来る、そんな代物だ」

「……シャロン、これ発表でもしたら、交換手に夜道で後ろから撃たれるぞ?」


 少し心配そうに言うクロエを見て、シャロンは何でもないかのように答える。


「あ、それは心配なく。これを公表する気はないし、何より……」

「何より?」

「小耳に挟んだだけだが、自動交換機の開発はだいぶ前からやってて、近々実用に耐えられる物が完成するってさ。遅かれ早かれ、ってやつだな」

「そうなのか……」


 シャロンは、感心した様子のクロエに、更に話しかける。


「おいおいクロエ、まさかこれだけと思ってんのか?」

「……おい、まさか──」

「甘い甘い。この天才を舐めてもらったら困るぜ?」


 シャロンはクロエの言葉を遮り、携帯電話を手に取った。

次に、小箱の片方を手に取って開けた。

 中身は、掌より一回り小さく、透明な六角柱状の何かの結晶だった。その中心部には、熊の横顔のような焦げ茶色の紋章が刻まれていた。


「……『ソウルクリスタル』……」


 『ソウルクリスタル』とは、シャロンが発明した、生物の魂を複製・記録する事が出来る結晶の事だ。本来の使用目的は犬や猫のような動物が何をどのように考えるかの調査だったのだが、生物──即ち人間すらも対象になってしまっていたので、シャロンは発表を控えている。


「……って事は」

「ふふふ、瞬き厳禁な」


 シャロンはそう言うと、結晶──『ソウルクリスタル』を携帯電話の下半分の側面に空いている穴に差し込んだ。


 次の瞬間、携帯電話が一人でに閉じ、シャロンの手の中から離れ、熊のような姿に変形して、テーブルに降り立った。


「──どうよ! 名付けて『ベアーフォン』!」


 誇らしげ胸を張るシャロンをよそに、クロエは熊のように変形した携帯電話を見て、


「……これも、変形するのかよ」


 感心半分、呆れ半分に呟いた。


「そう──っていうか、俺が探偵業のために作った発明品、全部動物に変形するだろ」

「……それもそうか」

「そうだよ」

「……で、こいつはどういう役回りなんだ? 陸上なら、か、カメ……」

「『カメレオンウォッチャー』、な」

「そう、そいつ。……そいつがいるだろうが」

「あの子はほら、鈍足じゃないか。カメレオンだし」

「実物のカメレオンは見た事ないんだが……まあ、遅いな」

「この子は熊だから。熊って、意外と足が速いモンなんだ」

「ほーう……」


 クロエは何度目かの感心を見せながら、携帯電話──『ベア―フォン』を見た。


「毎回だけど──これ、もらっていいのか?」

「もちろん。あ、でもケースの方から取ってくれよ。この子は所有者を俺にしてあるから、不用意に触ろうとすると引っ掻く」

「そうか。それじゃあ……」


 クロエがそう言って、アタッシュケースに残っている『ベア―フォン』と熊の『ソウルクリスタル』を手に取り、懐に収めた、その時だった。


 事務所のベルが二度、三度と鳴らされた。

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