魔法都市探偵クロエ
秋空 脱兎
プロローグ
夜明けにて偲ぶ
さっきまで何が起こっていて、何が終わったのか。
そして、これから何が始まるのか。
その時の彼女は──『クロエ』という名を与えられたばかりの少女には、理解出来ていなかった。
「…………あの」
クロエは、自分をアスファルトの地面に降ろし、目の前で力なく倒れた男に話しかけた。
男は三十代後半で、黒い中折れ帽を被り、黒いスーツ姿だった。冷たさと優しさを同時に放つかのような、そんな男だった。
男は、息こそあれど、返事をしなかった。
少し待ってから、クロエはもう一度声をかける。
「…………あの、ホワイトさん……?」
クロエがホワイトと呼んだ男が、指先をピクリと動かした。少し間が空いてから、ゆっくりと顔を持ち上げる。
「……大丈夫だったか、ミセス・クロエ?」
ホワイトは、クロエに優しい笑顔を向けた。
クロエは首をゆっくりと降りながら、問いかけに答える。
「……大丈夫、ですけど、でも、ホワイトさんが……」
ホワイトの背中には、いくつもの穴──銃創があった。そこから、血が止めどなく流れている。致命傷だった。
「……ああ……」
ホワイトは、まるで今更思い出したかのように呟く。
「……飛び降りる時にチクリとしたが……そうか」
「『そうか』、って……そんな、私を庇って……」
クロエの両目に涙が溜まり、溢れそうになる。
ホワイトはハンカチを取り出し、それに涙を吸わせるように、優しく拭った。
「いいんだ、泣かないでくれ。……君を助ける事が、今回一番の目的だったんだからな……」
どこか涼しげに言うホワイトの顔からは、血の気が引き始めていた。
「……そうだな……」
ホワイトは少し考え、クロエの左肩に右手を置く。
「いいか、ミセス・クロエ。今から俺が言う事をよく聞いてくれ」
「……は、はい……」
「……まず、だ……ハッキリ言ってしまえば、俺は、もうじき死ぬ」
ホワイトの物言いに、クロエが目を見開く。
「……すまない、言いたい事はあるのだろうが、最後まで聞いてくれ、もう時間がない……。それで、だ……『ホワイト』っていう名前の事務所を訪ねろ……探偵事務所だ、そこに行け……俺の名字もくれてやる!」
クロエが小声で反芻するのを聞き終え、ホワイトは続ける。
「……そこに行ったら……シャロン・ヴィヴィッド……金髪の女の子だ、そいつを頼れ! ……必ず、力になってくれる……」
ホワイトはそう言ってから、右手を持ち上げ、被っているソフト帽を取った。
「いいか……ミセス・クロエ……いや──ミセス・ホワイト。君はもう、自由なんだ。誰かに縛られる事はないんだ、けっして……。だから……」
そこまで言って、ホワイトは、クロエの頭に帽子を被せる。
「強く生きろ……生きてくれ……! 自分を守れるくらいには、強く……!」
ホワイトは、地面に突っ伏した。
「…………ホワイト、さん?」
クロエが呼びかけても、ホワイトは反応しなかった。
「ホワイトさん……? ホワイトさん、ホワイトさん……!」
クロエが肩を揺さぶり、何度も呼びかける頃には、ホワイトは、呼吸をしていなかった。
それから、暫くして。
クロエは、何度呼びかけても何も答えなくなったホワイトを見ながら、
「…………」
自分を連れ出した男に被せられた帽子を、両手でそっと取った。
「……『ホワイト事務所』、だったよね……」
そう呟いて、少しふらつきながら立ち上がった。
クロエは、場所も知らない『ホワイト』という事務所に向けて、弱々しくも確かな足取りで歩き始めた。
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