第二図書室の窓の外はグラウンドである。だから先ほど飛び降りていった式神も、きっとまだグラウンドに居るはずである。部屋を飛び出した後、公継は全速力でグラウンドへ駆け出す。

 野球部が練習している横を、小走りで駆ける式神が見えた。

「居た!」

「みっ!?」

 式神も公継に見つけられたことに気づいた。

 途端、スピードを上げて走って逃げる。

「逃がすか!」

 式神たちは確かにすばしっこい。体が小さいのに人並みの体力があるのだから当然である。

 しかし男子高校生の体力をなめてもらっては困る。

 どんどんと式神との距離をつめていく。

「もらったぁ!!!」

 ヘッドスライディングを決めるようにとびつき、伸ばした右手で式神の尻尾を思いっきりつかんだ。

 ――公継の後ろ、息を切らしながら必死に追いかけている瑞葉が変な声を出した気がしたがこの際気にしてはいけない。

 とりあえず一匹は確保できたのだ。一息つきながら公継は立ち上がり、左手で砂埃を払い落とす。

「やっと追いつきました……」

 一拍遅れて瑞葉が追いつく。

「でも、ありがとうございます……」

「ああ、これであと五匹だ」

 笑いながら公継が式神を渡そうとしたとき、ふと、公継の足元に野球のボールが転がって来た。公継は左手でボールを拾い上げる。

 少し向こうで見知った顔の野球部員が公継に両手を振っていた。

 公継はそちらの方へを思いっきり振って投げて返す。

 硬式野球のボールにしては、柔らかいものを投げたような気がした。

「きみつぐ、くん……」

「悪い悪い。今、渡――」

 右手に握っていたはずの式神が居ない。

 そのかわり左手には投げて返したはずのボールがあった。「おい宮藤!?」と、先ほどボールを投げ返した野球部員が慌てたような声で公継を呼んでいる。

「――悪い、間違えた」

 投げられた式神は野球部員のグローブの中で完全に目を回していた。 




「公継君、ひどいです……」

 部室棟の廊下を歩きながら、瑞葉は唇をとがらせる。

「……あれは事故だ」

 故意ではなかった。勢いで誤ってやってしまったのだ。ばつが悪そうに公継は顔をそらす。

 式神の気配を部室棟から感じたということで来てみたものの、どう探すかと二人は思案していた。部室棟のあたりに居るというのは、気配からして間違いなさそうだと瑞葉は感じていた。しかし細かくどのあたりに、というところまでは近づかねば分からないようだった。ひとつひとつ部室の前を通っていくのが堅実だろうか。

「うっ!?」

 ――などと頭をひねっていたところ、瑞葉が突然口を押えた。

「今度はどうした?」

「……苦い」

「苦い?」

「……甘い」

「どっちだよ」

「おばあちゃんに飲まされたお茶の味がした後、あんこみたいな味がして」

 しかしそんな味がしそうなものなど、そもそも持っていない。ということはと、二人は一番近い部室に目を向ける。

 茶道部の部室だった。

 ドアを開けると、式神が茶道部の面々に混ざっていた。

 しかもしっかりと着物を着ている。

 上品な仕草で抹茶を飲み、お菓子を小さく頬張り、嬉しそうに耳をぴくぴくと動かしている。その様子に茶道部員の女子が「可愛い」と目を輝かせ、頭や尻尾を撫でていた。

「あの、すみません。その子うちの子です。ご迷惑をおかけしました……」

 くすぐったい感覚をこらえながら、恐る恐る、瑞葉が声を出す。

 茶道部の上級生がいきなり瑞葉の手をつかんだ。

「ねえ、あの子、茶道部に入れてよ! むしろ貴方も茶道部に入ってよ!」

「へ?」

 先輩は目を輝かせながら、瑞葉を部室の中へと引っ張ろうとする。

 瑞葉は助けを求めるような眼差しを公継に向けた。公継の口から乾いた笑いが漏れた。公継は素早く式神と瑞葉を回収する。

 さすがにもう首根っこはつかまなかった。

「すみません先輩。俺たちまだ用事があるんで! 失礼しましたッ!」




 無事に茶道部から逃げてきた後、式神を還し、二人はひとつ息をつく。

「みーっ!」

 しかし休む暇はないようである。式神の鳴き声がグラウンドの方から聞こえてきた。陸上部が練習している横にふたつ、小さな影が見える。

 体操服姿の式神二匹だった。

 一匹はストップウォッチを持ち、もう一匹は笛を吹いている。

 一匹の笛の合図に合わせて陸上部員たちがスタートを切り、ゴール地点でもう一匹がストップウォッチを止めている。

「あれは、陸上部の手伝いか……?」

 何でそのようなことをしているのか。

 首を傾げながら二人が近づくと、陸上部に入っているクラスメイトに声をかけられた。

「よう宮藤。それと樟倉寺さん。あいつら、ちょっと借りてるぜ」

「何であいつら、手伝いなんてしてるんだ?」

「暇そうにしてたから頼んでみたら、ノリノリでやってくれて」

 外に出てみたものの、ということであろうか。ともあれ確かにあの二匹は楽しそうである。三三七拍子で笛を吹いたりしているが、あれはよいのだろうか。陸上部員たちは笑って見ているだけなので、多分よいのだろう。

「ひょっとして、あいつらを探してたのか?」

「ええ、そうなんです」

 クラスメイトがおいでと手招きすると、二匹ともこちらに駆けて来た。

「お疲れ様。手伝いありがとな」

「「み!」」

 クラスメイトにわしゃわしゃと乱暴に撫でられながら、どういたしましてと言いたそうに式神たちは胸をはっていた。

 その横で、そろそろ慣れましたと、瑞葉が小さくつぶやいていた。




 残るは校舎だった。

 グラウンドからも部室棟からも、残る式神の気配はない。二人は校舎の中を探し始めた。廊下を歩きながら右を左を上を下をしっかりと見て探す。

 そうして美術室の前を通った時だった。

 たまたまだった。

 美術室の窓が開いていて、美術部がデッサンをしていた。

 そのデッサン対象が、ちび瑞葉だった。

 美術室の真ん中で白い布をかけられた机の上に乗って、きりっとした表情で、少年よ大志を抱けと言い放ちそうなポーズをとっている。

「本当にあいつら、自由だな」

「私としては、あれは一応分身みたいなものですから、自分がはしゃいでいるみたいでちょっと恥ずかしいのですが……」

 確かに見た目からして小さい瑞葉である。

 気持ちは分かると公継は心の中でつぶやいた。

 とりあえず式神の回収である。二人は美術室に入り、近くにいた美術部の顧問の先生に、あれは瑞葉の式神であり、逃げ出したので探していた等の事情を話した。

「申し訳ないのだけれど、もう少し貸してもらえないかしら?」

「それはデッサン練習が終わるまで?」

 ええ、と顧問の先生が頷く。

「あんな尻尾の質感を静止した状態でゆっくりと観察して描ける機会なんて、そうそうないですもの」

「本物の狐は動き回りますからね、そりゃあ」

 しかしそれは建前であるような。確信はないが公継はそう感じていた。美術室の中から自分と同類のにおいを感じるような気がしている。

「公継君。目が遠くなってません?」

「気のせいだ」

 もし同類であるのなら――ゆっくりと描きたい気持ちが分かってしまうのが、公継は少し複雑だった。

 ずっと同じポーズをとり続けていたせいだろうか、式神がひとつ大きなあくびをした。

「動かないで!」

「みゃっ!?」

 怒られて小さく跳ねた後、式神は再び背筋を伸ばしてポーズをとった。

 案外大変そうだった。




 ともあれ少し時間はかかったものの、式神は無事に美術室から回収できた。

 残りはただ一匹である。

 しかしこの一匹だけ、日が沈み、部活を終えた生徒たちが帰る頃になっても見つけられていなかった。

「どこにいるんですかぁ……」

 瑞葉は今にも泣きそうな顔になっていた。

「どうしよう……。このままでは私が式神にされてしまいます……」

 式神にされる。祖母に電話をかけてから言っていることである。具体的にどのようになるのか、どれほど重大なのか、公継は詳しく聞いてはいなかったが、これまでの様子を見るにとんでもないことだというのは分かる。

「なあ、ひょっとしたら最初から三十九匹だった、とかはないのか?」

 瑞葉は首を横に振る。

「まだ気配がするんです……」

 半べそをかいている瑞葉の顔を見て、公継はひとつ息をついた。

 日は落ちた。そろそろ帰らねば先生に怒られそうである。だがこのままでは、帰ったところで目を潤ませた瑞葉の顔が夢に出てきそうだ。それどころか瑞葉が気になって眠れなさそうだ。

「大丈夫だ。徹夜になっても付き合ってやる」

「でも、もう遅いですよ?」

「何なら俺一人でも探すぞ」

「だ、だめです! 私のせいなのに、そんなことはさせられません!」

 公継は瑞葉に笑ってみせた。

「それじゃあもう一度、第二図書室から探すか」

 そう言った直後、公継は大きなくしゃみをした。日が落ちたからだろうか、肌寒さを感じる。

「……さすがにちょっと冷えてきたか?」

 上着は第二図書室に投げたままだった。慌てて飛び出したのだから当然である。

 公継は放置していた上着を拾い上げ軽く埃を払い、気合を入れるように羽織った。

「ふみゅっ!?」

 上着の胸ポケットで何かがつぶれたような声がした。

 公継と瑞葉の間に妙な間が流れた。

 顔を見合わせた後、上着の胸ポケットを見る。

 最後の一匹が胸ポケットの中で寝ぼけ眼をこすっていた。

「…………いたな」

「…………いましたね」

 灯台下暗しだったのか、それとも探しているうちに戻って来たのか。

 公継は式神をそっと指先でつかんで持ち上げ、瑞葉に渡す。

 式神を瑞葉の手の上に乗せた瞬間だった。先ほどまで寝ぼけていた式神が突然、機敏な動きで手の上から跳んだ。

 まずい。公継が慌てて手を伸ばす。

 だが公継の手は空を切った。

 逃げられる。

 そう思ったのだが、式神は瑞葉の尻尾に着地した。

 思いっきりしがみついて、尻尾に体を埋めるようにして丸まり、再度眠り始めた。

 気持ちよさそうな寝息が聞こえた。

 うらやましい。その一言だけが、公継の心に浮かんだ。

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