願い/約束

 微睡みの中、少女の声が耳を震わす。

「か、神様、お願いです。どうか、お母さんを助けてください!」

 息を切らせながら震える声で少女は願う。

 私は願いを聴く者だ。その願いが真に心からの願いならば、私は願いを叶えて挙げられる。だが、それは一生に一度だけ。

「お嬢さん、健気で勇気あるお嬢さん。君のその願い、聞き届けよう」

 少女の目の前に降り立ち、その頭を優しく撫でる。

 少女はまるで幻を掴むかのように、私の手に触れる。

 その手は小さく、細く、震えていたが決して弱々しくはなかった。

「ありがとう。神様」

 少女の手が離れ、涙を拭うのを見届けた後、少女の村へ向かう。

 村は火に包まれていた。盗賊に襲われ、村人達は逃げ惑っていた。

 少女の母親は無事ではあるが、今にも襲われそうだった。

 手を叩く。それだけで盗賊達は消えた。決して殺したわけではない。ただ、ここから遠い場所へ送っただけだ。

 少女の願いに盗賊を殺すことは含まれていない。

 私は願われた事しかしない。出来ない。それが私という存在だ。

 家屋を燃やす炎を消しながら壊れた家を直していく。

 少女の母親は何が起きたのか理解出来ず、周囲を見渡している。それは周りの村人も同じだった。

 私は少女の母親の前まで行き、カーテンを開けるように目の前の空間を開く。

 空間が歪み、そこから少女を待たせていた森の景色が顔を覗かす。

 母親が少女の名を呼ぶ。少女も狭間を通って母親の元へ駆ける。

 親子はお互いが無事である事を確かめるように抱きしめ合う。

「君の願いは叶った。さようなら、勇気あるお嬢さん」

 そう言葉を残し、少女のお礼の言葉を聞く前に私は姿を消した。


 賑わう街並み、空舞う花弁、歓声を挙げる民集、香辛料や脂、酒が漂う酒場。

 私はとある国に来ていた。この国は建国から100年を向かえ、国を挙げての祭りを行っていた。

 大通りは人で埋め尽くされ、ジョッキを片手に乾杯をする男達のせいで、エールの飛沫が周りに降りかかる。

 群衆の中に見知った魂を見つけた。

「やぁ、久しぶりだね。狭間の従者」

 灰色のローブを着た少女に声をかける。

「――!お久し振りです。¢£$∂様」

 発音も発声も出来ないというのに彼は私の名を呼ぶ。

 彼の後ろで隠れるように女性が彼のローブを強く握っている。

「変わらず君は彼女の従者なんだね」

 これは感嘆の言葉では決してない。彼の願いを叶えた者として、私は彼が幸せかを知りたかった。いや、私は知っている。彼が幸せである事を。だが、それでも私は彼の口から幸せだと、聴かなければいけない。

 それは私と同等の存在である彼女が愛している彼が幸せであれば、彼女とあの子が救われるから。

「はい。おかげさまで永遠にお嬢様に仕える事ができてます」

 屈託のない満面の笑顔で彼はそう語る。嘘も気遣いもない子供のような純粋な笑顔なのは、今の姿が少女だからだけではない。

「そう、それは良かった。今日この国はなくなる。早めに出た方が良い」

「分かりました、ありがとうございます。行こう、お姉さん」

 彼は私にお辞儀をした後、後ろの女性の手を取り、人混みの中へと消えていった。

 私は彼が見えなくなるのを見届けた後、王宮を見つめる。


 その部屋は意識を白く塗り潰すかのような強い臭いが充満していた。

「だ、誰だ!貴様!」

 ベッドの上に裸の女性を侍らす、怠惰な王が叫ぶ。

 薬と女に堕ちた大臣達の傀儡は大声で兵を呼ぶが誰一人として来ないことに焦りを見せ始めた。

「わ、私はこの国の王だぞ!」

「初代国王の願いにより、君を含めこの国は消える」

「な、何を言っ――」

 これ以上の言葉は不要であり、意味をなさない。故に、この国は世界から消えた。

 初代国王は繁栄と栄華を体現する国を作った。多くの民が王を慕い、王もまた民を愛した。この繁栄は永遠に続くかに思えたが、時と共に腐敗した思想を持つ者が現れ、民から搾取するようになった。

 国を守り、導くべき国王は私腹を肥やす者達によって人形へと変わり果て、国もまた衰退していく。

 この未来が視えた初代国王は願った。

 苦しむ民を視たくない。消してくれ、と。

 願いはなされた、これで初代国王の魂は安らかに眠るだろう。


 暗闇。

 何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。

 だが、こちらを覗く視線だけは認識出来た。

 その視線はずっとあった。ずっと私達を見つめていた。温かくもあり、悲しくもあり、憧れを含んだ心がその視線にはあった。

 故に私は問う。

 キミの願いはなんだい、と。

 しばらくして、声が響いてきた。

 “外を見てみたい”、と。

 その願いを私は知っていた。この子がそれを望む理由を、私は、私達は知っていた。

 だから、この願いを叶える。いや、叶えて挙げなくてはいけない。それが私の使命であり、運命であり、役割であり、約束だから。

 だが、私はこの子の願いを叶えることは出来ない。なぜなら、この子は全能者なのだから。

 だからこの子は望めば何でも叶うし、何でも出来る。と同時に、何も出来ず、何もなせない。矛盾を内包し、矛盾が成立している。それが全能者、それがこの子だ。

 私は真なる願いを叶える存在だ。全知全能に近い存在だ。それでも私が叶えられないのは、私の存在がこの世界でしか成立しないからだ。対して、この子は世界の外側に居る。だから、私の力は届かない。

 それでも今は、この瞬間はこの子は私を、私達を覗いている。今ならば、力が届かなくとも、言葉だけしか届かないとしても、私はこの子の願いを叶えよう。

 目を閉じて、開いてごらん。そこには外への扉があるよ、と。

 願いが叶ったかは、もう私達には分からない。けれど、私達は、私はあの子の願いが叶ったと、願っている。

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