従者/孤独

 私は死んだ。そして生まれ変わり、また主の元へ仕える。それが私の運命であり、願いであり、生きる意味だ。


 急速に身体中の何かが失われていくのを感じながら私はゆっくりと息を引き取った。


 意識をはっきりと感じたのは3歳の頃、私の居場所はここではないと、私の魂が叫んだ。

 草原の中、見えるはずのないその場所を見つめる。

 ここから北西の方角。最果ての地、誰も踏み入ることの出来ない禁忌の場所。

 行かなくては、主の元へ。

「―――、そろそろ戻ってらっしゃい」

 母が私の名前を呼ぶ。けれど、その名前は決して私の名前ではない。それはこの身体の名前ではあるが、私自身の名前ではない。

 もうこの身体は成長した。これ以上ここにいては寿命を無意に減らすだけ。

 母に返事を返し、帰路に付く。私の本当の家に、戻るべき場所に、あの方の元に帰る為に。

 さようなら、私を産んだお母さん。貴女の娘は我が主の元へ帰ります。どうか、私がいなくても幸せに生きてください。


 私は奴隷。私の所有権はご主人様の物。だから、ご主人様が野獣の群れに私を置いてったのは当たり前。それが、ご主人様が望んだ事であれば、尚更私はそれを受け入れなくちゃいけない。

 闇の中で目をギラつかせる狼達は、もうすぐそこまで迫っていた。私は何もせずにその場で死を受け入れる。

 狼達は眼前まで迫ると急に脇へ避け、ご主人様達を追っていった。

 私は何が起きたのか理解できず、ご主人様の悲鳴が聞こえているのに動けなかった。

 私が振り返った頃にはご主人様達はもう原型を保っていなかった。

 狼達は食事がすんだのか、ゆっくりと私の方へ近付いて来る。

 どうして私を先に襲わなかったの。

 どうしてご主人様が死んでるの。

 どうして私はまだ生きてるの。

「お前達、そこまでにしておきなさい」

 幼い声が木々の間から聞こえ、狼達は雷にでも打たれたかのようにピシャッと動きを止めた。

「人間の肉は毒だというのに、そこまで飢えているとは」

 木の影から小さな女の子が姿を表した。まだ10才ぐらいの少女。だというのに、まとっている雰囲気はとても子供とは思えなかった。

 少女は微かに怯えている狼達に近づき、その頭を撫でると、その狼は胃の中の物を全て吐き出した。撫でられた狼だけでなく、その場に居る全ての狼達がご主人様達の肉を吐き出した。

「これで多少毒は抜けた。これを君達の故郷に植えるといい」

 少女は雑嚢から小さな袋を取り出し、一匹の狼に咥えさせる。

「さあ、お行き」

 少女の優しげな声が狼達を森へ帰す。

 狼達の姿が見えなくなるまで見送ると、少女はこちらに向き直る。

「お姉さん、運がよかったね」

 運がよかった?違う。私はご主人様の盾になれなかった。

「お姉さんは奴隷なのかな」

 少女の質問に私は無意識の内に頷いていた。

 そっか。と一言だけ漏らすと、ご主人様達が抱えていた荷物の中から金貨の入った袋を取り出す。

「これだけあれば十分だね。お姉さん、このお金で人生をやり直しな」

 少女は金貨の入った袋を私の両手に乗せる。重い。何十枚入ってるのだろうか。たしかにこれだけあれば、人生をやり直すことが出来る。でも、私の人生って何?

「それ、外してあげるね」

 少女は私が着けている首輪に触れる。私は直ぐにその手をはがそうとする。

 主人以外の人間が奴隷の首輪に触れると呪いが罹るようになっている。だから直ぐに少女の手をはがそうとしたのだが、呪いは発動せず、首輪が外れた。

「それじゃあ、わたしはこれで。元気でね、お姉さん」

 少女は振り返ることなく遠ざかっていく。私は金貨の袋を持ったまま、少女の後を追った。

 暗闇に目が慣れているとはいえ、月明かりもない中を歩くのは危険だ。それなのに少女はなんの迷いもなく歩いていく。

 枯れ木や小石を踏んで、足の裏を怪我しても少女を見失わないように追いかける。

 血の足跡を残しながら追うが、少女の足取りは衰える事なく私からどんどん離れていく。走って追いかけるも、その背中は闇の中に消えてしまった。

 必死に少女の姿を追うが見つからず、その場にへたりこむ。

 足の怪我からか、ご主人様を失った悲しみからか私は泣いてしまった。

「お姉さん、こんなところで泣いていたらまた獣に襲われてしまうよ」

 木の影から少女は現れ、私の足の怪我を診る。

 少女は雑嚢から真新しい包帯を取り出し、慣れた手つきで私の足に巻いていく。初めて知る、誰かからの優しさを。

「私の、ご主人様になってください…」

 私の口はいつの間にか、そう少女に懇願していた。

 年端もいかない少女に私は一体何を言っているのか。という疑問は私の中には一切なかった。ただ、私は一人では生きていけない弱い人間、ただそれだけの理由だった。

 少女は少し思案したあと頷いた。

「いいですよ。でも、普通の生活はもう望めませんよ」

「普通って何ですか?私にはわかりません」

 小さい頃は暖かな家庭に憧れていた。でも、そんな幻想は夢でしかなかった。

 夢を見て脱走しようとした子達は見せしめに殺された。その子達に私は未来の自分を視た。夢を見たら死ぬ。私はどこに行っても奴隷なのだから。

「そう、なら行こうか。余り時間をかけたくないから、ついてこれなくなったら置いていくからね」

 私は深く頷き、立ち上がる。足の痛みはなく、不思議と身体が軽くなったように思えた。

「道のりは長いから靴は買っておかないとね」

 ご主人様は私の包帯を巻かれた両足を見る。

「そんな、ご主人様に何かを買ってもらうなんて」

「本当について来るなら言うことを聞いた方がいいよ。それに買うのは君の金貨でだから」

 ご主人様は私が抱える金貨の袋を指差す。

「これはご主人様の物です。私の物は私を含め、全部ご主人様の物です」

「そういうの要らないから。それにわたしはお金を持ってないから」

 町で生活するにしても旅をするにしても、お金は消耗品を買うために必要なのにご主人様は持ってないという。

「ほら、お姉さん、置いていくよ」

 私は置いていかれないようにご主人様を追いかける。

 森を抜けた後、近くの町で靴を買い、私の分の旅の支度を整えた。

 その後、私とご主人様は二つの国を越え、私達は大陸の北端にたどり着いた。その間、ご主人様はとても優しく、ついてこれなかったら置いていくと言っていたのに何度も私がついてきているか確認していた。

「この海の向こうにご主人様の故郷があるんですね」

 ご主人様の旅の目的。それは主の元に帰ること。その為にご主人様はこの一年旅をした。

「うん、そう。もうすぐ帰れる」

 ご主人様は枝の葉を一枚取り、浜に下りていく。

 私も後に続いて下りる。柔らかな感触が伝わってくる。

 生まれて初めて見た海は静かで、朱く美しかった。

 ピーーっと、ご主人様は葉笛を鳴らす。

 鳥の鳴き声のような音色がさざ波に溶けていく。すると、波が次第に止まり、静寂が木霊する。

 一体何をしたのか分からないが、ご主人様は意味のない事をしない人だから、その時がくるまで待つ。

「来た」

 ご主人様が水平線を指差す。目を凝らして見ると、鏡のような海の上に何かが浮いている。それは少しずつ近づいてき、そのシルエットがはっきり見えるようになってきた。

 それは浮いていたのではなく、海の上を歩いていた。一歩一歩、波紋を刻みながら小舟を引いて、黒曜石のように黒い馬が近づいて来た。

「今回は二人分だけど、よろしくね」

 ご主人様が黒馬の頭を撫でると黒馬は嬉しそうに低い声で鳴く。

「さぁ、乗って。日が落ちる前に着かないと入れないから」

 ご主人様の手に捕まり、急いで小舟に乗り込む。

「いいよ、行って」

 ご主人様の声に、黒馬は前足を上げ一声鳴くと海の上を走り出した。まるで、お伽噺で読んだソリに乗っているようだった。

 波がないお陰か小舟は揺れる事なく、島が見えてきた。

「あれがご主人様の屋敷ですか?すごく立派ですね」

 岸辺に建てられた黒い屋敷。今は夕陽が当たって少し赤黒く見える。

「ううん、あの屋敷はわたしの主の持ち物だよ」

 自分の主を誉められたのが嬉しかったのか、ご主人様は少しはにかむ。ご主人様の笑顔らしい笑顔を私は初めて見た。

「ほら、お嬢様に挨拶しに行くよ」

 またご主人様の手を取り、小舟を降りる。そしてそのまま手を引かれ、屋敷の中へ案内された。

 内装は外装と同じく黒を基調とし、所々に金の装飾が施されていた。

 ご主人様に引かれ、屋敷の奥へと進んで行くと、一際目立つ扉が見えてきた。

 ご主人様は扉の前で私の手を離すと、服装を整える。その所作に私はこの扉の奥にご主人様の主が居るのだと直感し、私も襟元を正す。

「これからお嬢様に会うけれど、何も話さなくていいから」

 ご主人様のその声音にはなんの暖かさもなかった。

 ご主人様は軽いノックをし、部屋の中へ入る。私も僅かに震える手を強く握り絞め、ご主人様の後に続く。

 その部屋には暖炉の暖かさに包まれながら本を読む美しき女性がソファに腰掛けていた。

「ただいま戻りました」

 ご主人様は女性の側で跪く。私もご主人様の一歩後ろで同じように跪く。だが、顔を上げることができない。

 その女性の高貴な雰囲気の所為ではない。

 ご主人様の主だからじろじろ見たら不敬になると思ったからでもない。

 ただ、生物の本能としてこの女性が恐ろしいと感じた。

「おかえりなさい。我が従僕。待っていましたよ」

「御待たせして申し訳ありません」

「いいえ、いいんですよ。今回はいつもより早かったですから。

 それで、その子は?」

 視線が突き刺さる。今にも逃げ出したいのに身体が石になったかのように動かない。

「戻る途中で拾いました。わたしがいない間、お嬢様の身の回りの世話をさせようと思います」

「そうね。貴方がいない間、とても退屈だからいいかもしれないわね」

 女性はソファから立ち上がると、私の目の前までやって来た。

 震えが止まらない。スルリと、冷たい指先が私の頬に触れる。顔を上げられると、蒼い瞳が私の目を覗き込む。恐ろしい程に美しい瞳に見つめられ、私はご主人様に助けを求めていた。

「ご主人様、助け、て」

 ご主人様は訳が分からない表情で問いかける。

「どうして?お姉さんはあんなに死にたがってたのに」

 たしかに私はあの時、死にたいと思っていた。奴隷はご主人様がいなければ生きてはいけないから。だから私はあのまま狼達に殺される事を望んだ。

 だけど、貴女は私を助けてくれた。だから私は、

「大丈夫。失敗したら、ただ死ぬだけだから」

 そう、にこやかにご主人様は言う。

 私は何て夢を見ていたんだ。私を助けてくれた人ならずっと私を助けてくれるなんて。

 奴隷は奴隷。ご主人様の物だ。物に夢を見る資格なんてない。

 女性が私の首筋に歯を断てる。痛みはなく、身体の中に何かが入ってくる。そして、私の身体が人でない何かに変わるのを感じた。

 こうして、私はこの屋敷の使用人となった。


「その時訪れた国では建国記念日で、国を上げての祭りが行われていたんです」

 ご主人様とお嬢様がお茶をしながら旅の話しをしている。

 私がここの使用人になって、もうすぐ20年になる。

 ご主人様は綺麗な女性に成長した。私はあの時から何一つとして変わっていない。それはお嬢様も同じだった。

 私はあれから屋敷の仕事をご主人様から教わった。野菜の栽培や狩りの仕方、薬学や魔法の事も学んだ。

 今では仕事の半分を任せられ、ご主人様はお嬢様との時間が多く取れて喜んでいた。私もご主人様が喜んでくれて嬉しかった。

 夜、戸締まりを終え、自室へ戻っている時、ご主人様の部屋から明かりが漏れているのを見つけ、そっと閉めてあげようとドアノブに手を掛けた時、室内からお嬢様の小さな声が聞こえた。

「今回はここまでね。また会いましょう」

 覗くつもりはなかったが嫌な予感がし、隙間から覗き込むと、お嬢様が鋭利なナイフを振り上げていた。

 瞬く間もなく、そのナイフはご主人様の心臓を貫いた。

 ご主人様は目覚める事なく静かに息を引き取った。

 私は声が出ないように必死に口元を押さえていた。そうでもしなければ何もかも吐き出してしまいそうだったから。

「貴女もそこに立ってないでこっちへいらっしゃい」

 心臓が跳ね上がる。恐る恐るドアを開け、中へ入る。

 お嬢様は優しくご主人様の骸を撫でていた。

「これから何度も目にするだろうから教えて上げる」

 ロウソクの火が揺らめき、お嬢様の白い肌を僅かに赤く染める。

「私は何千年も生きているの。死ぬ事もなく、老いる事もなく、絶対的な力を持って存在していた。

 最初は人間達から神だの、神の使いだのと崇められていたけれど、時代と共に私を怪物と呼ぶ声が広まった。私を殺そうとした人間も居たけれど、私を殺す事は出来なかった。

 勘違いしないでほしいけれど、私は決して人間が嫌いではないの。ただどうでもいいと思ってるだけ。

 だから私は人間達から離れてこの島に来た。そんな時、この子と出会った。最初は私への同情からだったけど、いつしかお互いに好きになっていった。でも、私は不老不死でこの子はただの人間。寿命でこの子が先に死ぬのは明白だった。

 だから、貴女と同じように私の眷族にしようとしたの。でも、この子は眷族になれず死んでしまった。でも、その数年後、この子は帰ってきた。姿も性別も違ったけど、帰ってきたの。

 それからよ、この子が死んで生まれ変わって帰ってくるようになったのは。もう、三百年以上前になるわ。

 でもね、何度もこの子が老いて死んでいくのを見て、妬ましく思うようになってしまったの。

 だってそうでしょ。私は死ぬ事も老いる事もできないのに、この子は老いて死ねる。そんな残酷なものは見たくない。そんな事をこの子にさせたくない。だから、私はこの子が老いていく前に殺す事にしたの。

 この子は私の物なのだから、貴女にならわかるでしょ?」

 そう、静かに語り終えるとお嬢様は口元を歪ませる。

 狂ってる。お嬢様もご主人様もどうかしてる。好きだから、愛しているから、殺し、殺され、仕え、仕えさせる。

 この二人の愛は歪だ。人の領域じゃない。

「はい。お嬢様の言う通りです」

「そうよね。それじゃ、この子を焼いてあげましょう」

 ご主人様の骸を海岸に運び、火葬を始める。

 ご主人様が燃えていく。お嬢様はうっとりとした表情でその火を見つめている。

 これから何百年とこの怪物達と過ごすのだ。人であることは棄てなくてはいけない。ご主人様の遺灰が海風に運ばれるのを見届けながら私は誓った。

「それじゃ、あの子が帰ってくるまで待ちましょう」

「――はい、お嬢様」

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