屍者のコエ

 人間は高みを目指さずにはいられない生き物だ。それによって人類は革新と進歩を遂げてきた。

 だが、どんなに素晴らしい発明も思想も粋すぎると醜いものになってしまう。

 まずはじめに人類は病気をこの世から根絶させた。ナノマシンセルによる体内監視は病気が発症する前に発見し、予防する。

 今の時代、元気でない人間はいない。そして、死亡率が大幅に減ったことで人口は激増し、幾つもの海上都市が作られた。

 人の高みは限界がなく、とうとう人間は死を克服した。

 今では、例え手足をなくそうとも数日のうちに治すことが可能だ。けれど、どんなに再生医療が発達しようとも死人を生き返らすことは出来なかった。魂を解明するまでは。

 人間には確かに魂と呼べるものが存在する。

 それは脳に有ることが発見された。脳波とは異なる波形が観測され、それが魂なのだと学者は言った。

 それは光のように波と粒子の特徴を持っていた。

 よく脳をコンピューターと例えることがあるが、まさしくその通りだった。

 それはレコードのように決められた命令しか出せないが、基盤となる脳が自己を確立させ、意思を造り出している。

 故に、脳に命令となるコードをインストールすることで擬似的な魂を造ることに成功した。

 死者は生前のように話し、家族や恋人と生活した。

 けれど、屍者は生前と全く同じではなかった。

 屍者は自分から話すことも行動することもなかった。ただの受動器。外部の刺激に応えるだけのただの反射。

 それでも大切な人を亡くした生者にとってそんなことは気にすることではなかった。重要なのは、大切な人と語らい、一緒にいること。それ以外必要ではなかった。

 私の妻も屍者だ。

 妻は余り屍者が好きではなかった。

「私は普通に老いて、貴方を看取って死にたい」

 それが生前の妻の望み。

 妻は反屍者派のテロに巻き込まれて死んだ。

 妻は生前、屍者になることを拒んでいたが、妻の両親が彼女を屍者にすることを望んだ。

 今でも覚えている。目覚めたときの妻の戸惑いの目を。

 妻の両親が覚えているか、と問いかける。普通の屍者であればなんのタイムラグなく話すが、妻は僅かな間を置きたった一言。

「恐ろしい」

 それ以降、妻は口を開くことはなかった。

 生者に反応しない屍者に医者は戸惑い、妻の入院を勧め、彼女の両親はそれを了承した。

 入院の間、私の両親も来たが、妻は何も反応を起こすことはなかった。

 一月が経ち、物言わぬ屍者に妻の両親は諦め、全て私に任せると言った。

 私は屍者となった妻に戸惑いを隠せないでいた。本当にこれは妻なのか。生前の妻の言葉が思い出される。

「屍者は生前と同じなのかな。ただ生者を模倣してるだけの機械なんじゃないかな。

 私は怖い。それを容認する世界が、それを不思議に思わない生者が」

 魂は確かに模倣出来ているのだろう。けれど、そこに意思は存在するのだろうか。

 妻の意思が、妻の想いが、そこには存在するのだろうか。

 それを証明することは誰にも出来ない。

 脳にある記憶と経験によって対応する屍者は、共に生活する生者は“普通”の真似事をしている。

 ふと、鏡に映った自分の顔が不気味に見えた。

 偽りの笑み。自分が物言わぬ妻と生活を始めてから今まで、ずっとこんな顔をしていたと思うと、吐き気がする。

 死者と暮らす。そんな異常を異常と思わなくなった今の時代、自分も異常を異常と思わない人間になろうとしていたなんて。

 妻に問いかける。

「私はどうしたらいいのだろう」

 もちろん妻は何も言わない。

 人は魂を作ることができても、心を作ることも治すこともできない。

 私はどうしたらいいのだろう。

 生前の妻の言葉を叶えるべきか。それとも妻を裏切り、自分を騙してこのままでいるか。それとも、私も屍者となりこの身が朽ちるまでずっとそばにいるか。

 妻は相も変わらず、窓辺の椅子に座り外を眺めている。

 屍者は二度目の死を迎えると二度と動くことはない。

 魂のインストールは脳に負荷を与える為、二度目のインストールには耐えられないという。

 今ここで、妻の首を絞めれば妻はこの生きてるか、死んでるかわからない状態から解放される。

 けれど、それでいいのだろうか。本当にこれは妻の望むことなのだろうか。

「私はどうしたらいいんだ」

 両手で顔を覆い、嘆く。

 生きる事は死が悲しいものではないと知ることなのだと、妻は言っていた。じゃあ、生きているとは何なのだろう。ただの状態の一つなのだろうか、それとも実感としての事だろうか。この妻は生きているのだろうか。

 顔を上げると、妻がこちらを見つめていた。何の反応のなかった屍者が、私を見ることもなかった妻が、私を見ている。

 自然と私の手が妻の首に置かれていた。

 あぁ、私はもう一度妻を殺すのか。

 手に力を込める。ナノマシンセルによって動いている心臓の鼓動が、血管を通して伝わってくる。

 焦点の合っていない妻の目が私の視線を離さない。そこに感情が意志があるのかはわからない。

 妻の唇が動く。声は出ない。けれど、その言葉はわかった。

 あ、り、が、と、う。

 妻は静かに涙を流す。

「もう少し歳をとってからそっちに逝くよ。待っていて」

 ボキッ、嫌な音が部屋に響く。骨の折れた感触が手の中で反響する。

 ありがとう。

 その言葉は私が妻に赦されたいが為にそう見えたのかもしれない。けれど、残された生者が出来ることなど本当に少ない。

 私は君を想って生きるために、君を殺した。生者の勝手な思い上がりだけれども、今は、今だけは君を想って涙を流させてほしい。

 

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