月の道
世界はとても静かだ。
満月の刻、浜辺で波の音を聞きながら月を眺めるのが私の日課だ。
だというのに、あの男達はうるさい飛行機に乗って私に求婚を申し込みにやってくる。
別に私が特別綺麗な訳でもなく、かといって私に何かあるわけでもない。
問題があるとすれば、それは私の先祖にあるのだろう。
その子孫である私は周囲から特別視されている。全くもって大変迷惑な話だ。
先祖を余り悪くは言いたくないが、過去の人を持ち出されても私には何一つピンとこない。
だから、私はいつもこう言って求婚者を追い返す。
『財も権力も家族も友人も、何もかも捨てる事が出来ますか』
と、問いかけるのだけれども、誰一人としてそんな覚悟は無く、いつも諦めて帰ってしまう。
それも仕方のない事なのかもしれない。
彼らは全てを貰って、受け継いで来たせいで、自分で作るということを知らない。だから失う事を恐れている。
この島のように、自給自足の生活を彼らに出来るはずがない。
けれど、何もかも捨ててまで私を求めるのであれば、その人は私を必要とし、それが愛なのだと量ることが出来る。
でも、そんな人は一人もいない。
人はとても弱くなった。何世紀も前の人はこの星の頂点に立って、自然を保護していたが、今では自然が人を保護している。
これはおばあちゃんのそのまたおばあちゃんのさらにそのおばあちゃんから語り継がれてきた話だ。
一度資源の無くなったこの星は、とても荒れていたそうだ。そのせいで文明は一度退行してしまった。
私の先祖は人ではなかったそうだ。宇宙人だったのかもしれない。
その人は資源の無くなったこの星にもう一度潤いを取り戻そう、と言ったそうだ。そして、生産と消費が再開された。
けれど、それは従来に比べてとても緩やかに行われていた。
人々は気付いたのだ。文明の退行から、資源の枯渇から自分達は生き急ぎ過ぎたのだと。
それからの人々からは熱気が消え、静かな人生を謳歌している。
これはこの星を、人類を救った先祖のお話し。
と、ここまでは誰もがおとぎ話として聞かされている。
でも、この話しには続きがあって、これは正真正銘私達家族しか知らない、月の銀色の道のお話し。
人類は頑張りすぎた。急激な発展は、あっという間に星の資源を食い潰した。
人類は低迷した。技術の発展は自らの首を締める行為だった。
それでも、人類を救いたいと思う存在はあった。
彼は最初、銀色の身体でかろうじて人型をした存在だった。最初は言葉もジェスチャーも伝わらず、私達は困惑していた。
けれどその数分後、私達の会話を聴いてなのか分からないが、突然かたごとだが言葉を話した。
「アナタガタヲ、スクオウ」
私を含め、その場の全員が喜びを露にはしゃぐ。
それから、彼は急速に言葉を覚え、彼がこの星に来た理由を語った。
「私はあなた方を救いに来た。今一度あなた方人類が生きていける時間を与えよう。私ならこの星の資源を元に戻せる」
そう彼は言った。
もう私達の星は死にかけていた。どこの国も僅かな資源を巡って戦争をしている。私の国は僅かながら資源があり、他国から攻められていた。
戦争をするだけの気力と資源があるなら、戦争で消費する以外の使い道はないのか、と日夜負傷する兵士の手当てをしながら私は思っていた。そんなときに彼が現れ、人類を救うと言った。
そのまもなく、世界に資源が溢れた。そして同時に人々から熱が消えた。
誰も争わなくなって、競いあわなくなって、全ての銃を宇宙に捨て、生産と消費が少しずつ再開された。
私はこの急激な変化に恐怖した。人はこんなにも簡単に変わってしまうのか、と。
彼の事は好きだ。彼の言葉には嘘はなく、真実だけを口にする。
けれど、彼が人々を変えてしまったのかと思うと少し怖い。その事を彼に伝えると、
「私はあなた方の感情や意識を変えられるほど高度な存在ではない。だから怖がらないでほしい」
そう彼は懇願する。
どうして彼は悲しげな目で私を見るのか。
かろうじて人の形をしていた彼は、もう私達と何一つ変わらない人間の姿になっていた。
彼いわく、人間の構造を学んだという。私達を理解する為に彼は銀色の綺麗な身体を捨ててしまった。
彼は人間の身体だけでなく、心も学んだのかもしれない。
私は初めて誰かから好意を受けた。私の知らない感情を彼は知っている。
わからない。一体この感情は何なのか、何もわからない。
人々から熱が消えて1年が過ぎた。私達は結婚し子供が産まれた。銀色の綺麗な髪の女の子。これが『本当の』愛なのだろうか。
世界は静かで、文明の光は随分と減った。穏やかな時間がゆっくりと過ぎていく。
都市の光が減ったことで、月の光が夜を照らしてくれる。
月を見上げると、少し違和感を覚える。月が少し大きくなっている。
その日から、彼は月を見上げ険しい表情を浮かべるようになった。
一ヶ月たった頃、彼の表情の意味を私は理解した。
月にヒビが入っていた。
このままでは、月の欠片が落ちてきてしまう。
やっと静かになったのにもう終わってしまうのか。
私が終わりを確信していると、彼はやさしく言った。
「私はこの星に来て多くの事を知った。人は変わる、それこそが人の強さなのだろう。そして私も変わった。変わったからこそ君を愛する事が出来た。だから君を、私の家族を守る為にもう一度私は変わろう」
それはまるで別れの言葉。いや、別れそのものだった。
みるみる肌が銀色に変わり、優しげなその顔が消えていく。
体温の無くなった手が離れる。もう一度掴もうと伸ばすが、彼の身体は重力に嫌われたかのようにどんどん私から、星から離れて行く。
私は叫ぶ、彼の名を。そして気付いた。
あぁ、これが『本当の』愛なのか。この消失こそが『愛』なのか。
涙が枯れた頃、月を見上げるとヒビを埋めるように銀色の筋がいくつも見えた。まるでそれは網のように月を包みこんでいた。
彼は守ってくれた。私を、私達を。星を守る為じゃなく、人類を守る為でもなく、ただ家族を守った。
これからは私達家族を月と共に見守ってくれる。その柔らかな光のように静かに。
これがずっと昔からいい伝わってきたお話し。その真意は定かではないけれど、月に銀色の道のような模様があるのは事実。
月に行けばこのお話しの真意を確かめる事が出来るかもと思った事もあるけれど、今現在、その技術と知識を人類は捨ててしまった。
だから、私はこうして満月の刻、今だ熱を持つ変わった旅人に貰った望遠鏡を覗きこみ、月を眺める。
ざらざらした、月の表面に敷かれた銀色の道。固そうな見た目なのに少しだけ柔らかく、歩く度に心地好い感触を感じる。
そんな夢想をしながら、次の満月を静かに待つ。
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