第13話 折れない願い -Stand Up & Stand Up-

・1・


 ようやく広い場所に出た。

 空間の歪みに飛び込み、体感時間にして数秒。その間にどれだけの時間・距離を移動したのかわからない。

 ただ一つわかるのは、それらに意味はないということ。


 ここは夢と現実の境界線。あらゆる時間に属さず、どこでもない場所。力ある者しか踏み込めない神域だ。


 そこはひどく殺風景な場所だった。途方もなく広い室内。壁や床の材質は黒色の金属。中央には色を失った地球儀のような巨大な球体と、その側で座する赤眼の女性が見えた。


「来たか、吉野ユウト」

「オーレリア。どうして人間を滅亡させようとするんだ? 式美はそれを望んでいないはずだろ」


 ユウトは桜子の姿をしたオーレリアに問う。春哉のことを本当に想っているのなら、まだ考え直す余地はある。しかし、


「……500年だ」


 彼女は虚空を見つめて語り掛ける。懐かしむでもなく、惜しむでもなく、ただ淡々と。機械のように。


「私はその間一度たりとも……人間として生きたことがない」

「……ッ、どういう意味だ?」

「フッ……神なんかに縋る人間はどうしようもなく臆病で、残酷な生き物だということさ」

 そんな人間生きるに値しないとでも言うように、彼女は言い捨てた。


(復讐……なのか?)

 それにしては、彼女の纏う気配に怒りを感じない。むしろ――


「春哉だけだ……私を人間として見てくれたのは。あいつにとって私は魔法で召喚しただけの、ただの道具なのに……それでもあいつだけは」


 オーレリアの手が震える。


「一夜の夢で終わらせたくない。そう想えば想うほど、あいつにもっと私という存在を刻み付けたいと願ってしまう。他の有象無象は邪魔なんだよ!」


 その瞳は口よりも雄弁だった。すでに彼女にとって復讐は愛に呑まれてその意味を変質させていた。


「私は祭礼桜子だ!! 他の何者でもない!!」


 目的を終えれば無と消える虚像。オーレリアとて、春哉の分身体とそこは変わらない。

 なら自分がその目的に成り代わればいい。桜子を取り込んだのもそのためだ。永遠に叶うことのない願いの中で、彼が愛する女として共にあり続ける。この方法以外に、オーレリアの幸せはあり得ない。


 理想写しは人の感情を読み取る性質を本質的に内包している。故にこの場に充満した彼女の魔力が、ユウトに矛盾した感情をありありと伝えるのだ。


 とっくに理由は破綻している。

 とっくに感情は決壊している。


「お前は……」

「これ以上の語り合いは不要だ。文句があるなら私の黄金錬成理想を止めてみせろ!!」


 オーレリアは何もない虚空から身の丈ほどある黄金の槌を取り出した。


「……ッ、それも魔具か!?」

「ドヴェルグ……錬金の槌。私の錬金術ちからの核さ。特別に見せてやろう。奇蹟を超えた錬金術の到達点。錬生術アルス・マグナの力を!!」


 黄金槌で床を叩くと、まるで音叉のように大気が振動した。耳をつんざき、心臓を揺さぶられているようで、呼吸のタイミングさえ狂わせられる。


「ぐ……ッ」

「……魔装」


 直後、黄金が弾けた。


 桜子オーレリアの体を金色の鎧が包む。赤い双眸が限界まで煌き、濡れ羽色の黒髪は本来の彼女と同じ白金に変わった。


「砕けろ」

「!!」


 オーレリアは右手を水平に構える。するとその後ろから空間を歪めて無数の黄金ぶきが射出された。


『Eclipse Dupe ... Mix!!』


 ユウトは両手に黒いボウガンを召還し、扇状に配置された矢を次々と乱射する。破魔矢と黄金武具の数はほぼ同等。互いに衝突し、相殺した。


「ほう……ならこれはどうだ?」


 オーレリアは右人差し指をくるくると回し、渦を作る。


 


「ッ!?」

 空気が一気に凍り付いた。

(あれは……まずいッ!!)

 黒き螺旋はオーレリア以外の全てを圧縮した。空気、音、光さえも。全てを飲み込み、徐々にそのサイズを膨らませていく。際限はない。

 このまま放っておけば、伊弉冉のカウントダウンを待たずして世界が飲み込まれる。


『Scale Overdrive!!』


 次の瞬間、まるで紙をくしゃくしゃにするように、景色が壊れた。


 強固なはずの金属の壁に無数の亀裂が走り、床の一部は崩壊する。

「く……ッ!!」

 この程度で済んだと安心すべきか……。臨界を突破する直前、ユウトは先端が天秤の造形をした錫杖を振るっていた。

「あああああああああああッ!!」


 歪を抑え込む。聖なる光が黒点球を包み込んだ。


 小型ブラックホールはいわば乱れの坩堝。その乱れを安定化させる魔法メモリーを持っていたのが幸いした。錫杖の力を一気に解放し、彼は何とか崩壊を抑え込むことに成功したのだ。


「そんな魔法まで持っていたか。だがその大道芸、いつまで保つかな?」

「させない!」


 肩で息をするユウト。だが止まれない。オーレリアの攻撃を一つ一つ対処していては埒が明かない。こちらから攻めなければ。

 彼は一瞬で彼女との距離を詰め、黒白の双銃剣を手元に召還する。


「……フン」

「!?」


 しかしユウトは目を疑った。気付けばその距離はおよそ50メートルまで広げられ、しかも空中に投げ出されていたのだ。

(俺の空間ごと……ッ)

 空間を切り取り、別の場所に貼り付けたような。この感覚は言葉では正確に言い表せない。

 オーレリアは何もない空間から全長100メートルはある巨大な剣を、ユウトの頭上に振り下ろす――いや、落下させる。

 対してユウトは二つの銃剣を一つに合わせ、


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」


『MixMixMixMixMixMixMixMixMixMixMixMixMixMixMix!!』


 2乗。2乗。そのさらに2乗。

 ありったけの魔法を掛け合わせて、虹色の輝きを得たその刃を巨大剣と同じ大きさにまで増大させた。


 ガガガガガガッ!!


 二刃の衝突はもはや金属同士の衝突音のそれではない。

 爆発だ。


 炎を迸らせ、雷を轟かせ、辺りを一瞬で地獄へと染め上げる。


「はぁ……はぁ……」

「その力、目障りだ」


 何を思っているのだろうか。その目はひどく後悔と憎しみに満ち溢れている。

 オーレリアは再度、黄金武具を無数に顕現させ、いつでも発射できるように構える。その手を振り下ろすだけで万の死が訪れるだろう。


「理想の真似事。あるいは大衆の希望を束ねる指導者気取りか……いずれにせよ、この世で最も醜いものだ」

「……確かに、俺はどこまで行っても人に助けられてばかりの半端者だ。……でも、だからこそその人たちに手を差し伸べられる。お前が式美に心から手を差し伸べたいと思ったように……」

 きっと自分と彼女は根っこの部分では同じ。痛いほど、理想写しが共鳴するのがその証拠だ。だから、

「やり方を間違えるな」

「……無駄話が過ぎたか」


 彼女は死の引き金を引く。だが――


「……ッ」


 彼女の手が止まった。


 バキ、バキ……バキ……。


 ガラスにひびが入るような音がする。


「どういうことだ……もうあいつに力は……」


 空間に走った亀裂から業炎が迸り、耐え切れなくなった世界が悲鳴を上げた。


 そこにいるのは、獄熱の獅子の鎧を纏った少年。


「……春哉」


 式美春哉は今一度神の力を従え、神域に足を踏み入れる。


・2・


 ――数分前。



「ハッ!!」


 掌底は空間の歪に虚しく弾かれる。ミシミシと筋肉が、骨が悲鳴を上げた。


「ハッ! ハァッ!!」


 それでも何度も何度も。皮膚が裂け拳が血に濡れても、目の前の壁を壊そうと彼は挑み続ける。

 以前と決定的に違うのは、もう式美春哉はワイズマンではない。ただの人間だということ。


「く……ッ、まだ……」


 だが、そんなことは些細なことなのだ。

 一度折れ、再び立ち上がった心は屈しない。


「何度だって……!!」


 歪の先。彼女が待つ場所へ辿り着くために。


「おおおお!!」


 いくらやっても無駄だと、人は言う。

 ただの人間なんだと、人は諦める。

 その通りだと、自分は流された。


 だけど、そう思わなかった人たちがいた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 パキッ。


「!!」


 その時、壁にほんのわずかな軋みが生まれた。


「てあッ!!」


 さらにもう一撃。それは深さを増す。


「おおおおおお……はああああああああああああああああッ!!」


 次の瞬間、春哉の拳を中心に大輪の花が咲くように、空間にすさまじい亀裂が走った。


「……ハァ……ハァ……」

 その拳に、熱い何かが集約する。

 荘厳な装飾が施された赤いメモリー。形状は違うが、それはユウトが使うものと酷似していた。


「もう一度、力を貸してくれるのか?」


 春哉はアグニに願う。


「……魔装!!」


 二人の女性を救いたいと、心から叫んだ。


 直後、握りしめた拳に業炎の獅子が宿った。

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