第12話 自分の戦場 -Your fate will be decided by-
・1・
『手術中』と書かれた赤いランプが、暗い廊下に座り込む春哉を照らす。
壁に背を預けた式美春哉はそんな赤灯を力なく眺めていた。
「……」
いくら予知の力があるとはいえ、現実は魔法のようには上手くできていない。手術はその一瞬に全てを賭けた医者と患者だけの戦いだ。
あらゆる危険を回避できたとしても、最後にはやはり魔法が介入する余地など微塵も無い。
これはあくまで『絶対に治せない病』を『治せるかもしれない病』にグレードダウンさせたに過ぎないのだ。
しかしそれでもかまわない。
力を失った今の春哉には、それが何にも代えがたい希望に思えた。
「希望があれば……理想は現実にできる、か……」
綺麗事だ。
だが結局、春哉は心の中で桜子を諦めていたのかもしれない。偽りの夢に逃げること。それは本物の祭礼桜子を見捨てることだとわかっていたのに。
でも吉野ユウトは違う。彼は今も戦っている。
決して綺麗事で終わらせようとはしていない。
そこが自分と彼の明確な『差』なのかもしれない。
「……桜子さん」
漏れ出た言葉はもう悲哀に満ちてはいない。むしろ僅かだが希望の熱を帯びていた。
「すみません。すぐに戻ります」
希望が未来を変える。
きっとこれからの春哉の行動がまさにそれだ。ならもう立ち止まらない。
だから喪服姿の少年は黒い上着を脱ぎ棄て、立ち上がれるのだ。
ここは、少年の戦場ではない。
・2・
シンジは自分の両手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。それだけで周囲が一気にシンジの領域に染まる。ビリビリと皮膚が焼け、この場で彼が絶対的な強者であることを知らしめていた。
「さすが博士。
まるで子供のような無邪気さで笑う彼の赤い両目は、危険な輝きを灯している。
「お、お前、何で……も、もしかしてゆ、幽霊?」
篝がとても遠くからビクビクしながらシンジに尋ねた。
「博士さ。この伊弉冉の世界での死は蓋を開くまで現実にはならない。僕の死も単なる記録でしかないのさ。博士は散らばった僕のデータをかき集めて、式美春哉の召還魔法で再構築したって言ってたね」
「あの悪魔……と、とととんでもねえ悪魔を呼び出しやがった」
「そんなことより、仲間ってことでいいのかい?」
怯える篝を他所に、飛角はシンジに確認する。もし敵ならいよいよ絶望的だ。
「君たちの仲間じゃない。でも僕は博士と取引をした。現実世界で僕を蘇らせるってね。そのためにはあの刀が必要だ。だからそこのホムンクルスは倒してあげるよ」
「余裕コイてんじゃネェ!!」
アグリアは少女から邪龍に姿を変え、彼女の半身を侵食していた氷を完全に取り払う。そして全長20メートルはあろうかという巨体を持ち上げ、滝のような炎をシンジに向かって吐き出した。
「余裕?」
『Penetrate』
しかしシンジは別の魔法。次元を切り裂く茨の槍を召還し、手元で回転させる。
「!?」
するとまるでそこだけ切り抜かれたように、炎波が不自然に穿たれた。
「どうした? こんなものかい?」
「ッ……、まあいい。どうせ後数時間で世界はオワル。それまでせいぜい――」
次の瞬間、邪龍の片翼がシンジの刃に喰い千切られた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
激痛に身悶え、龍は落ちる。
「世界が終わる? 興味ないな……僕は戦えればそれでいい。時間がないんだ。ほらさっさと立って。これじゃ戦い甲斐がない」
それはまるで、無駄話はいい。とっととやる気を出せと言うように。
「■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!」
アグリアは声にならぬ叫びをあげ、怒りに任せた炎を周囲に撒き散らした。
「ハハハ!! そうそう。戦いはこうでなきゃね!!」
シンジはそれを軽々と避け、全てを喰らう斧・
・3・
岩石舞う嵐が鎌首をもたげた。
「二度も同じ手は喰いません!!」
アリサはパンドラを二丁拳銃に変形させ、消滅の魔力を弾丸に変えて引き金を引いた。
弾丸は竜巻を半ばで抉り取るようにして、その息の根を止める。
「あら、恐ろしい」
優雅に佇むメドを中央に見据え、アリサは攻撃の手を緩めることなく時計回りに動き続ける。
敵と遭遇した時点で、ユウトは先に行かせた。彼とここで共闘するのは時間のロスでしかない。それはお互いにちゃんと理解していた。何よりこの程度の困難、一人で乗り切らなければ吉野ユウトの眷属失格だ。
(やってみせます!)
二つの拳銃を合わせ、パンドラはまるでパズルでもするかのように質量を無視した変形を繰り返す。その果てに現れたのはアンチマテリアルライフル。アリサは間髪入れずに引き金を引いた。消滅の魔力と合わせたその貫通力はメドの風の防壁を易々と突破し、彼女の右腕を喰い千切る。
「く……ッ、私の、腕を!!」
痛みを忘れているのか、怒りの形相でアリサを睨みつけるメド。彼女の輪郭がボコボコと泡立ち、殻を破る。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
巨大な黒龍へと姿を変え、周囲の竜巻が暴れ狂った。
「ッ!!」
さらに二発、銃口が火を噴く。しかし、射出された弾丸は邪龍に届かず、豪嵐にさらわれてしまった。
「飛び道具は効きませんか……なら!」
大地が割れ、隆起する。文字通り地形が変わる中、アリサはアスレチックを攻略するように最適な動きで勢いを落とさず、パンドラを槍に変え突貫する。そして眼前に立ちはだかる竜巻にあえて体を任せ、気流を利用して邪龍の頭上を取った。
「串刺しにするまでッ!!」
「丸焼きにしてあげますわ!」
龍のブレスを裂いて、アリサはありったけの叫びを上げた。
・4・
カツカツカツ、と革靴で走る軽快な音が廊下に鳴り響く。
式美春哉は全力で走っていた。自分を裏切ったオーレリアを救うために。
「あーキミキミ。こっちじゃない。そっちの方が早く着いてオススメだよ?」
そんな時、少女の声が春哉を呼び止めた。
「暗いからさ、迷わないようにね♪」
「……ッ、ありがとうございます」
明かりの少ない暗がりの廊下。お互い顔も確認することなく、春哉は少女がやってきた道とは別の道へと走っていった。
「ふーむ。真っ直ぐなイケメン君もイイものだなぁ。ね、インベザちゃん?」
僅かな光が少女を照らす。
黒のマリンキャップ、まるで自分の体はキャンパスだとでも言うような半身の刺青。それを包むほとんど水着のようなパンクな服装。
その少女は自分が腕を掴んでモノのように引きずっているボロボロのホムンクルスに同意を求めてみた。彼女が通った後には、インベザの血で一本の赤い線が廊下に引かれている。
「実際問題、これだけ状況をしっちゃかめっちゃかにした稀代のテロリストさんの実力がこんなもんとは……
明羅という謎の少女はインベザの頬をペチペチと叩く。
「……う……はる、や……さん……」
彼女はすでに意識が朦朧としていた。人間の理想形が、ただの人間にいいように弄ばれている光景はあまりに異様で、違和感がない。
そんな時だ。
『どうやら君が式美春哉の情報提供者で間違いないようだね』
廊下の一画に取り付けられたスピーカーから神凪夜白の声が流れてきた。その声を聞いて、明羅の唇が悪魔のように吊り上がる。
「ハーロハロー♪ 元気かな我らが同胞候補ちゃん」
『その口ぶりだと、君も神凪……ということかな?』
「なーにもううすうす気付いているんでしょ? その直感は勘や推測なんかじゃないよ? 全部真実さ。私らはそういう存在。『神凪』の名を持つってことはそういう事だし」
脳に湧き出る直感が真実。ならば夜白の脳裏に浮かぶこの言葉もまた実在するというのか?
『……
「ビンゴ☆」
パチンと指を鳴らし、明羅は夜白を祝福する。
「おめでとう神凪夜白。君はあたしたちの仲間になる資格を得た。一緒に愉快に素敵に世界を弄ぼうぜ? つーかあんたを連れて来いって爺がうるさいんだよね」
『僕は誰ともわからない人間にほいほい付いていくほど愚かじゃない。君たちの仲間になんてなる気はない。君にはうちからデータを盗んだ報いを受けてもらうよ』
彼女の言葉が終わると同時に、10人の警備兵が姿を現す。いずれも対魔獣用にカスタマイズされた戦術武装を装着し、人間に使用を許されているとは到底思えない大型ライフルを構えて明羅を狙う。
警告は一切なく、少女の体にライフル弾の雨が襲い掛かった。
「が……ッ……」
時間にして10秒間。悲鳴を上げることすら許さず、死の音は奏でられた。
銃口から立ち上る硝煙。穿たれた壁の穴。壁や床に飛び散った血が、薄暗い廊下の景色を現代アートに一変させた。
『ホムンクルスを倒すほどだ。ずるいとは言わせ――』
「クヒヒ……わかってるくせにぃ。この程度じゃ私は止められないってさぁッ!!」
次の瞬間、兵隊10人全ての体が宙を舞った。
「うが……ッ」
「なんだ、と……」
「う、うあああああああああッ!!」
絶叫をあげる警備兵の体が煙の中に引きづりこまれていく。バキバキと枝が折れるような不気味な音が空気に伝播した。伝染した恐怖に侵された兵たちは逃げようとするも、得体のしれない触手に足を絡め取られ、一人、また一人と恐怖と苦痛の叫びが木霊する不可視の死中へと引きずり込まれていく。
そして訪れる静寂。あれほどけたたましい銃声を奏でていたのが嘘のようだ。
「アハハハハハハ!! あーーー美味しいよう♡」
監視カメラの視界が晴れたそこには、血だまりの中心にいる明羅とインベザ以外誰もいなかった。死体はおろか、戦術武装の破片さえ。
『君、本当に人間かい?』
「ヤダー。乙女のヒ・ミ・ツ♡」
挑発的な笑みをカメラに向ける彼女に、夜白は思わず唾をのんだ。
画面越しに見えるのは彼女の知らない次元の強さ。恐ろしいはずなのに、興味の方が勝っている自分がいる。
「ま、いいや。夜白ちゃんはまだまだ私らの側に染まってないみたいだし、もう少し様子を見てあげる。あ、腕輪と魔具の情報は頂いてくよ? 爺もそれで納得するでしょ」
ドチャッとねちっこい音を立てて、お代とばかりに瀕死のインベザを投げ捨てると、明羅はクルリと踵を返した。
「チャオ♪」
夜白はそんな彼女の後姿をただただ見送ることしかできなかった。
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