第11話 呼び覚まされた狂戦士 -Enemy or ...-

・1・


「アリサ、大丈夫か?」


 アリサはダイブを終了し、一度現実の世界に戻っていた。彼女の役割の大部分は、御影と篝と共に外部との通信環境を樹立した時点ですでに完遂している。何より精神だけの状態では、この先戦えない。


「はい。まだ少しふらつきますが、問題ありません」


 なにせ魂と肉体の分離など初めての経験で、正直まだ自分が地に足を付けている感覚がなかった。まるでずっと宇宙にいた宇宙飛行士が、数年ぶりに地球に帰還したような感覚と言えばいいのか。

 けど心配そうな表情を見せるユウトを少しでも安心させようと、アリサは気丈に振舞う。


「それより夜泉さんとのこと、詳しく説明していただけますか?」


 突然の鋭い切り返しに、ユウトの肩がビクッと震えた。

「あ、あれは……夜泉が……不可抗力というか、人の命がかかってるし」

「……はぁ」

 吉野ユウトという人間は誠実で優しい側面を持ちながらも、とにかく押しに弱い所がある。本質的に、好意を包み隠さずぶちまける夜泉のようなタイプにはそもそも弱いのかもしれない。


「……ッ」


 だから思い切ってアリサもユウトに正面から抱き着いてみた。顔は胸に埋め、腕を背中に回してギュッと力を籠める。


「ア、アリサ!?」

「私は……あなたの眷属です。だからあなたの側にずっといます。それなのに毎度の事ながらユウトさんは他の子とイチャイチャイチャイチャイチャイチャ……私なら……」


 ゆっくりと見上げる少女との距離はおよそ10センチ。ユウトは思わず狼狽する。

「私では、満足できませんか……?」

「い、いや、満足とかそういう問題じゃなくてだな……その……」


 顔を赤くするユウト。シャツ越しに鍛えているのか逞しい胸板の感触と彼の鼓動が聞こえてくる。あたふたしながらも、けど決して押し返そうとはしない。嫌がる素振りもない。ただアリサの想いを尊重してくれるその姿勢は素直に嬉しい。だが――


「……チョロすぎです」


 その姿に、帰る前に御影が彼の事を『被害者型天然ド変態』と評していたのをアリサは思い出した。まったくその通りだ。いつもはガードが堅いのに、こういう時だけ途端に隙が多くなる。


「そんなんだから彼女にからかわれるんですよ」

「うッ……」


 呆れたようなジト目でユウトを見上げるアリサ。その視線から逃れようとするユウト。

「と、とにかくだ!」

 ユウトは強引にアリサの肩を掴んで引き離し、そしてその表情を真剣なものへと切り替えた。

 その意志を理解して、肩に乗った彼の手に自分の手を重ねる。

 ユウトは静かな声で言った。


「――行こう。今度こそ、明日を創るんだ」


 その言葉にアリサはコクンと頷いて――そして二人は、一度超えれば退路はない、幻想領域の中へと足を踏み入れた。


・2・


「あんなデカいのが三体も……これなんてムリゲー?」

 赤い龍を見上げる位置に辿り着いた飛角と篝。そのあまりの迫力と、雨のように降り注ぐ重圧に篝が呻き声をあげた。

「まぁ倒さないと私らがお陀仏だし」


「また会ったな、おねえチャン」


 その時、天上からマグマのような高密度の獄炎が降り注いだ。

「ッ!!」

「ワキャッ!!」

 飛角はほとんど反射的に篝を抱えると、全力で地を蹴って転がり込むように真横に避ける。

「うきゅぅ……」

「はぁ……はぁ……っぶねぇ」

 死が差し迫った恐怖に飛角の呼吸が思わず乱れる。突然の急発進急停車で篝は目を回していた。

 今のは天から自分を見下ろす邪龍が垂らした唾液のようなもの。その程度の細事で、二人の命は呆気なく消えるところだった。


「もっと……もっと……」


 沸騰したやかんのように全身から熱気を放つ邪龍は徐々にその体が凝縮され、見覚えのある少女の姿へと変わる。


「刻み付けル。自分に、相手に!! 迸るこの炎で、私の愛ヲ!!」


 黄金の炎に照らされ、自分の体を抱いて狂ったように身悶えるアグリア。その体から大量の溶岩が汗のように流れ出ていた。まるで彼女自身、制御できないとでもいうように。

 元通り小さくなったとはいえ、前に会った時とは完全に別格だということは、彼女の纏うオーラですぐにわかる。

 一歩近づくだけで、まるで針で刺されたような痛みが全身を走った。


 すでに自身の体を魔獣に近づける龍化を完了させた飛角は、龍の翼を広げ、一気にアグリアとの距離を詰めた。


「ハッハーッ!!」


 炎の爪と龍の拳が交差する。

(なッ……重、い……ッ)

 想像の遥か上を行く、小さな体からは考えられない攻撃の重み。外見は少女でも、質量はあの邪龍のままということなのだろうか。まるで爆走する10トントラックに正面から衝突したような衝撃が飛角の体を駆け抜ける。

「う……おおッ!!」

 たまらず飛角の体が後方に押し飛ばされた。さらに宙を舞う彼女を先回りして、直上からアグリアの振り下ろしが襲いかかる。

「がッ、ぐ……ッ……!!」

 額に生えた二本の角に集約した魔力を振り向きざまに一気に解き放つ飛角。一直線に煌く光線が地面を裂いた。しかし、アグリアはそれを片手で捻じ曲げる。


「なかなかやってくれるじゃないかサ!!」


 全くの無傷、というわけではなく、焼け焦げた腕を見て彼女は声を絞り出す。


「悪いけど、こっちも負けられないんだよね」


 力任せに振るわれる暴力の応酬。だが地を這う黄金の炎は、その激しさを増すばかりだった。


・3・


「結論を言うと、君の体からワイズマンの因子は綺麗さっぱり消えている。もう以前のように力は使えないよ。当然、あの魔具も」

 一通りの検査を終えた春哉に、夜白はそう伝えた。

 きっとオーレリアに刺されたあの時だ。あの時春哉の全ての力は彼女に奪われてしまったのだろう。


「君の腕輪を調べさせてもらった」

 神凪夜白は春哉から押収したネビロスリングをそっと机の上に置いた。

「……」

 春哉は黙ってその腕輪を受け取る。


「正直、驚いているんだ。エクスピアのファイアーウォールを突破しただけでなく、ここまで再現以上のスペックを持つ腕輪を作れる者がいるなんて。いったい誰なんだい?」

「直接会ったことはありません。ただ彼女は……と名乗っていました」

「!!」


 自分と同じ名前。

 心当たりはある。かつて魔龍ワイアームの牙城に攻め入った時、そこで相対した元人間のネフィリム、ジャタ――神凪青銅という男が確かこう言っていた。



 あの時は考える余裕がなかったが、こうして落ち着いて考察してみると、自分以外に神凪を名乗る人間が複数存在することは容易に想像できる。

(今もどこかでこの状況を見ている……か)

 ことあの腕輪を見る限りでは、彼女が残していた改善余地が全てクリアされていた。それほどまでの技術と叡智。夜白に勝るとも劣らないのは誰の目にも明らかだ。

 いずれにせよ、彼女にとっては注意すべきことだった。


「僕の魔法で何をしたんですか?」


 唐突に、今度は春哉が夜白に質問する。彼には感覚的にわかるのだろう。


「あぁ……ちょっとした助っ人を用意したんだよ」


 彼の言う通り、夜白はネビロスリングから戦闘データを収集し、自身の魔法で召還の魔法を一度だけ『再現』した。


 伊弉冉の中にあって魂を捕らわれていない、とある人物を呼び出すために。


「彼もそろそろ現地に到着する頃だ」


・4・


 炎の勢いは際限なく増す。

 最初は互角だった力のぶつかり合いも、今では飛角の方が押され始めていた。腕をだらんと落とし、彼女は大きく肩で息をする。


「あ? スタミナ切れカ? アハハ!」

「にゃろう……少しはへばれよちっさいくせに」

「そもそも私らホムンクルスは人間とは体の構造がチゲェんだよ。疲れとか知らねえナァ!!」


 アグリアが地面を殴ると、飛角の足元がオレンジ色に輝き、噴火する。

「くっ……」

 噴火範囲は扇状に広がり、周囲を地獄へと変貌させた。

 遠くで見守っていた篝が慌てて逃げ回っている。が、何とかなりそうだ。


「反撃は無し。どうやら私の勝ちみたいだネ」


 勝利を確信した者の笑みを浮かべながら、アグリアは一歩踏み出す。




 その時、遠方から氷の弾丸が彼女の肩に鋭く突き刺さった。




「が……ッ、何ィ!?」


 肩を穿った氷はまるで花を咲かせるように、しかも熱が氷を溶かすよりも早く、異常な勢いでアグリアの半身を侵食していく。ただの氷ではなかった。やがて氷の成長が少女の体躯を超えると、重さに耐えられずアグリアは膝を付いた。

「誰だ!!」

 その襲撃者は酷く楽しそうな声で返してきた。




「ずるいなぁ。僕に黙ってこんな楽しそうな祭りをしてるなんて」




「お、まえ……」

 その声には聞き覚えがあった。篝も幽霊でも見たかのようにびっくりしすぎて真っ白になっている。

 いや、実際間違いじゃない。


 


 そこに立っていたのはシンジ。かつてワーロックへと至った戦闘狂。皆城かいじょうタカオに敗北して消滅したはずの少年だった。


「何、で……?」

「やぁ、随分楽しそうじゃないか。僕も混ぜてよ」


 あの時と同じように、狂人は嗤っていた。

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