第5話

美空ひばりの 驚くほどすごい 過去 生前の 原点に


人間や 生き物の 才能を見る

美空ひばりの 唄には 彼女の 生前から 受け継いだ

才能を 命の限り 唄いつくして

祖先からの 魂の 叫びのような 訴えかけるものが あります。

血液型 典型的O型


悲しい酒 美空ひばりさんの 唄です

https://youtu.be/zi1yedKi3FE


美空ひばり 本名

加藤 和枝(かとう かずえ)


母親 結婚前の 本名 諏訪 喜美枝 すわきみえ

写真上が 子供時代の 諏訪喜美枝

下が 加藤 和枝である。


美空ひばりという 芸名は 喜美枝が つけたもので

加藤和枝が 生まれて間もなく


ラジオから 流れる 浪曲や 流行歌の時だけ 泣き止んだ ために

喜美枝は この子は ひょっとして 歌が わかるのではないかと

貧乏なのに 蓄音機を買い 浪曲 流行歌を 流したところ

一回で 全て 完璧に 覚えたといいます。


美空ひばりの 最初に 覚えたのは


「小倉百人一首」の七五調の句だったといいます。満3歳の冬(1940年)には、

百句のほとんどを節をつけて諳(そら)んじることができたといいます。

このことが世に言う「ひばり神話」の出発点になっています。

まだ文字は読めず、意味はわからないままに、すべてを「耳」で覚えていたのです。


これは 話すことが できるように なる時

美空ひばりは すでに 一回で 全ての 曲を 歌えたわけで

音楽というものは こういうものだと

つくづく 思う次第です。


また 母親 加藤喜美枝は 東京 山谷の 生まれで 育ち


美空ひばり 1968年頃

山谷ブルースで 有名に なった 岡林信康と かなり

親しくなりますが

ここに 美空ひばりの 天才の 原点の 1つがあるのです。


「美空ひばり」の「歌声」は、父と「山谷」に住んでいた祖母からの遺伝


美空ひばりはの 生家

その「屋根なし市場」は、

遥々、東京下町、「山谷」(荒川区南千住)の生粋の江戸っ子気質(かたぎ)と関東平野を貫いて(あるいは荒川から東京湾へと流れ込む<川の流れのように>)、

その”根底”でつながるのです。母となる諏訪喜美枝の実家は山谷にあり、

石炭卸商を生業にしていました。


この「山谷」こそ、あまり語られることはありませんが、「美空ひばり」の気風(きっぷ)と「歌声」の大きな源流の一つになっている場所なのです


美空ひばりの「歌声」は、父・増吉と、「山谷」に暮らしていた母方の祖母・諏訪シサから受け継いでいる、と言われています(『ひばり伝ー蒼穹流謫』齋藤慎爾 講談社)。


関東の農村出で魚屋で働く威勢のいい「声」と、

東京下町の気風のいい「声」が二重に重なったのが「美空ひばり」の「歌声」なのです。


ひばりと母は、よく<一卵性親子>とまで言われたがために、

とかく唄と芸事が大好きだった母・喜美枝との一蓮托生的関係に焦点が向きやすいのですが、「美空ひばり」とは、じつは相当の<複合樹>なのです。


そして、その大樹を育んだ土壌が、滝頭であり、その”根”は遠く「山谷」やその界隈にまでつながっているのです。


「山谷」とは、喜美枝が生まれ育った土地であり、


「美空ひばり」の「歌声」に”隔世遺伝”した母方の祖母・諏訪シサが暮らした土地でした。


祖母シサは浪花節が好きで歌もうまかったといいます。


なにより「歌声」が素晴らしかったといわれています。

また歌好きだっただけでなく、喜美枝ら子供たちを連れて浅草や向島にある「劇場」によく出向いたようです。

劇場では歌と芸が繰りだされる浪花興行がかかっていました。

ひばりが幼い頃に覚えた「唄入り観音経」(歌い手・三門博ーみかどひろし)は、祖母シサがもっていたレコードを何度も聴いているうちに覚えたものでした。

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