遥かなる青い空
注ぎこまれたエネルギーによって活性化した意識の集合体は、貪欲に周囲のあらゆる生命の意識を、命を喰らいはじめた。
空白が、怖い。もっともっとたくさんの意識を集めて満たされたい。
それを強い想いで安定させ、固定する――とこしえの闇を保つ者を探していた。
そこから遠くない場所で、剣を振るう少年がいる。
致命傷こそないものの、体は傷だらけである。浅い傷から流れる血が、少しづつ体力を削っていた。
一太刀振るうごとに、彼が助けたかった人々が倒れていく。強靭な心も砕けていく。
損なっているのは力だけではない。何のために。誰のために。自分を支えていた唯一の想いさえ、見失いかけていた。
小麦色の手が忙しくパネルの上を這い回っている。
大きなスクリーンに投影された“揺りかご”――贄神の種を飼っていた地下施設の地図に、緑の点が明滅する。
ネルの顔が苦しげに歪んだ。
「トウマ……もう、あんなところまで行ってる、の……」
通路は螺旋を描きながら中心に到達している。中央の大きな空白の部屋が贄神の寝所だった。緑の点は贄神に冒されていない生体反応だ。トウマしか考えられなかった。点は、寝所まであとわずかのところに迫っている。
独りなのに。
彼は、何を求めて、そこへ向かうのだろう。
なぜ諦めないのだろう。
何の――誰のために?
一瞬、手が止まる。
そして、ぎゅっと手を握りしめた。
(――この迷いが。利益の天秤が。欲が)
自分をこの城に押しとどめてきたのだ。
ネルは顔を上げた。
(どうせ、赦されるわけが、ない……)
「でも……!」
小麦色の細い指がパネルの上を再び走り出す。
地図の構成が変わる。隔壁を組み換えたのだ。寝所までの道のりがわずかだが回り道になり、来た道と行方を塞いだ。
現在トウマがいる場所にも蘇った贄がいるだろう。だが、今の状態で復活した贄神と対峙するよりはるかにマシなはずだ。隔壁はこの制御ルームか、外からでしか開かない。
その間に贄神本体を適当な部屋に閉じ込め、エネルギー供給を絶つ。
続けて、ネルがパネルを叩くと、今度は赤い点が表示される。“揺りかご”をびっしりと赤い点が埋めていた。
ネルは眉をぎゅっと寄せた。
贄神に冒されている生命反応の数だ。エネルギー供給用の蔦から感染しているのだろう。
「エネルギーレベル5以上の、反応だけを、表示して」
贄神本体の居場所を特定するためだ。赤い点が消えていく。
「……!?」
あろうことか、地図上から点が全て消えてしまったのだ。
「復活、したのでは、ないの……!?」
疑念と、同じ分量の安堵が体を震わせた。だが、贄神の核はどこに行ったのだろうか。探査のレベルを下げていくが、大きな反応は見られなかった。普段なら、中央の寝所を真っ赤に染める表示になっているのだが、今は空白だった。
とにかく、今のうちに、探し出す。
ネルは椅子から立ち上がった。ずきん、と傷が痛む。血は止まったが、傷の修復は遅かった。だが休んでいる暇はない。
スクリーンに背を向けたネルの背後で、パネルが勝手に明滅をはじめる。スクリーンがいきなりブラックアウトした。
振り返るネル。
そのとき、壁に張り巡らされたパイプがぐにゃり、と変形し、弾けた。
どろどろと、黒い瘴気が床に流れ落ち、わだかまる。
それを信じられない面持ちで眺めるネル。
地図に映らなかったのも道理だ。
贄神は、そこにいる。
エネルギー供給パイプに潜り込んでいたのだ。元々、贄神に形はない。形を求めて、強い意志を求めて彷徨うのだ。
ネルはふらふらと後ろに下がった。
目の前の黒い瘴気は大きく膨れあがり、立ち上がる。敵うわけがない。だが、ネルは口の中で呪文を唱えはじめた。が、手が動かない。コントロールパネルから染みだした黒い瘴気が、ネルの体を絡め取っていた。
身動きができないまま、ネルは近付いてくる贄神の種を見つめた。
なぜ、トウマではなく自分の元へ贄神が辿り着いたのかは分からない。漠然と、取り込みやすいからではないかとネルは思った。
今はまだ、贄神は不安定なのだ。
黒い瘴気を精一杯睨んでみせるが、闇はあくまでも闇だ。近付くにつれ、嘆きのような、歓喜のような囁きが聞こえてくる。
ネルの唇が震える。そして、わずかに微笑んだ。
――トウマじゃなくて、よかった。私で、よかった。
目を閉じる。青空を、雲が風に流されて漂う。
――あの空の下に、トウマがいるのなら……それでいい。
最後に残った喜びを、黒く冷たい闇が押し包んだ。
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