再会

 金色に照らし出された世界に、どす黒い血飛沫と、幾つかの人間の首が吹き飛んで転がった。ぱちゃん、と水音を立てて転がった頭と体は、すぐに黒い塵となって消え去っていった。

 カレンは口から息を吸い、吐いた。そこらじゅうに腐臭まじりの甘い臭いが漂っており、気を緩めると眩暈がしそうだ。

 振り返ると、イヨがリリに回復呪文をかけて治療していた。


「リリちゃん、もう少しさがって。危ないよ……」

「さがってるけど、うじゃうじゃ押し寄せてくるのよっ」


 まだ元気そうだが、魔力・体力がいつまで保つか。

 行く先々の部屋にアンデッドと、贄神の眷属が蠢いている。だが、今のところ道筋は一本。部屋が延々と続いているだけだ。


「二人とも、準備はいい? 次のラウンドよ」


 無情だが、休んでいる暇はなかった。恐らく、トウマも休みなく戦い続けているはずだ。カレンは用心しながら、閉ざされているドアの傍に近付く。と、折れた蔦に、布のは仕切れがひっかっかっているのに気づいた。

 まだ新しいようだ。その柄にカレンは覚えがあった。


「トウマが、腰に巻いてた布……」


 ここを、トウマが通ったのだ。震える手で布を手に取った。


(今行くから。追いつくから!)

「リリちゃん、この布を私の手首に結んでくれる?」

「いいわよ」

「解けないように、ぎゅっとね」


 言われるまでもなく、リリは何度も布の端を堅結びにした。


「これで大丈夫! ……トウマも、きっと大丈夫よ、カレン。だから、がんばりましょ!」


 女同士、カレンの心中を察したのか。リリがいつもの勝ち気な笑顔で励ました。だが、やはり疲れているようだ。カレンはリリの前髪を指先で優しく撫でた。


「もちろん、そうよ……! ありがとう。じゃあ、次の部屋に入るわよ。準備はいい?」


 リリは帽子を被り直し、イヨは杖を構えた。


(辛いのは私だけじゃない。この子たちだって……! トウマだって……!)


 カレンは青の魔導書を抱えなおした。ドアの傍にあるレバーを降ろす。音もなく、左右にドアが開いた。

 壁を覆う蔦から照射される黄金の光に満たされた、広大な部屋。床を満たしていた甘ったるい臭いの粘液はなくなったが、代わりに黒い瘴気がひたひたと床を這っている。

 その中から、むくりと起きあがるたくさんの影。

 一度は薙払われた体、命を失った骸に、再び意志が宿る。やり場のない怒りが。行き場のない悲しみが。呪わしくも悲しい、グランギニョルだった。


(――そうだわ。これが贄神というものなんだわ)


 恐れよりも悲しみを抱きながら、カレンは呪文を唱えた。


「アバロンノヴァ……!」


 白く眩い光に、黒い瘴気は押された。が、すぐにむくむくと盛り上がり、そこからぞろりと贄神の眷属どもが生まれでてくる。


「キターッ! キモキモモンスター! あんたなんか炭焼きにしてやるんだから!」


 リリは特大の火球をこしらえると、おもいっきり投げつけた。


「リリちゃん、イヨ君、全滅させることを考えないで、先へ進みましょう! 私が道を拓くから――インフェルノ」


 煉獄の業火がカレンの周囲に走る。焔を纏い、カレンはモンスターの一群に切り込んだ。

 インフェルノを連続で唱えながら、近付く敵を魔導書で薙払う。その後にリリとイヨが続く。

 そうやって幾つの部屋を通過し、回廊を駆け抜けただろうか。移動しながらとはいえ魔法の連打である。魔力が尽きようとしていた。

 最後の回復アイテムを使うと、カレンはリリとイヨに視線を送った。


「だいぶ奥まで来たわね。きっと、あと少しで追いつくわ」


 カレンの希望的観測にすぎなかったが、イヨとリリはほっとしたように笑った。

 アイテムも尽き、体力も半減、魔力は尽きかけている。強硬突破しか道がなかった。

 次の扉のレバーを降ろそうと、カレンがレバーに手を掛けたとき。


「――ああッ!」


 イヨが振り返って、叫んだ。

 壁を覆う水晶の蔦の中を、黒い瘴気が浸食している。まるで黄金の光を喰らうように。蔦が軽やかな音を立てて割れた。

 瘴気が大きく渦を巻き、そこから水晶に包まれたゴーレムの巨体が現れた。

 それをきっかけに壁一面の蔦が次々と割れて瘴気が満ち、贄神の眷属が再び生まれ出てくる。

 カレンは急いでレバーを下げた。

 後ろも地獄なら、前の地獄に進んだほうがいい。

 次の部屋は今までよりも広かった。壁面もみっしりと蔦が絡みついているが、その前にガラスのような障壁があった。大きなシリンダーやタンクのようなものがあり、研究施設といった感じだ。


「リリちゃん、イヨ君、奥へ!」


 二人の頭ごしにブレイズを放つと、カレンは素早く部屋を見渡した。

 奥に大きな扉がある。黄色と黒の縞の枠に囲まれており、いかにも危険を促すような物々しい構えだ。


(あそこしかないようね)


 カレンは扉の脇にあるパネルを開いた。鍵は壊されている。


(トウマだわ、きっと)

「壁が黒くなってきてる……」


 イヨが呟いた。カレンは横目でその状態を確認し、ぞっとした。恐らく、贄神が浸食しているのだろう。壁が一枚余分にあるとはいえ、ここも長く保ちそうになかった。

 がこん、とレバーを力任せに降ろすと、ドアがゆっくりと開いた。長い回廊が続いている。その向こうに、ぽっかりと入口が黒い口をあけているのが見えた。


「カレン!」


 リリがファイアを放ちながら叫んだ。


「先に行ってちょうだい!」

「僕たちが時間を稼ぐよ。このドアを閉めればあいつらをくい止めることができる」

「ダメ! それだけは絶対にダメ!」


 抵抗するカレンを二人が押し出しにかかった。


「早く行って、トウマを連れて戻ってきて」

「このままじゃ三人とも疲れちゃうよ?」

「でもッ……」


 カレンは顔を上げ、シャインを放った。

 白い光にレギオン系のモンスターが消える中で、ゴーレムの巨体が揺らめいている。


「カレン! 一番大事なものはなんなのっ!? はっきりしてるんでしょッ! あたしたち、そのために来たのよ!」

「大丈夫、リリちゃんには僕がついてるから、さあ、カレン!」


 カレンは一瞬後、決断した。

 イヨにルナショットを手渡す。


「魔力を込めて引き金を引くだけでガトリングショットが可能よ。魔法よりも消費が少ないはず。お願い……お願いだから、二人とも無理しないで」

「カレンこそ張り切りすぎないでよね」

「また後で!」


 レバーを上げたのだろう、ドアが閉まっていく。リリとイヨの笑顔がカレンの胸に突き刺さった。


(いつだって、戦いは、何かを失うのよ……)


 奇しくも、トウマが抱いた同じ気持ちを、カレンも今、思っていた。泣きたい気持ちをぐ、と歯を食いしばって堪える。


(――それが嫌だから、トウマを失いたくないから、私、ここまできた。みんなを失いたくないから戦ってきた!)


 カレンは駆け出した。

 足がもつれ、つまづいて転んだ。手から離れた魔導書に絡みつく金鎖を引っ張って手繰り寄せ、立ち上がり、走り続ける。

 回廊の奥の間は薄暗かった。赤い非常灯がついており、視界はそれなりに保っているのだが薄気味が悪い。

 壁には例の水晶の蔦らしきものはあるのだが、いずれも黄金の光を失っており、からっぽのようだった。

 足元には、いくつものレギオン系のモンスターの残骸が黒く煤け、崩れかけている。


「トウマ……!」


 だが、そこから先が予想以上に長かった。階段と短い廊下が幾つも連なっているのだ。さらに深い階層へ降りていっているようだった。

 その間にもどこからともなくモンスターが襲ってくる。


(負けられない。こんなところで立ち止まれない。リリちゃんもイヨ君も頑張ってるんだもの!)


 カレンはノヴァを放ちながら魔導書を振りかざし、レギオンに振り下ろした。シャインが発動し、耳障りな悲鳴をあげて消滅するレギオン。

 階段は終わり、新たな扉が開いていた。

 広い。床には水晶の蔦らしきものがびっしりと敷き詰められており、巨大な柱が森のように床から天井を貫いている。枯れきった水晶の蔦と巨木の森。そんな印象だった。

 微かに物音がする。何かが倒れる音。キィン、という金属音。斬撃の音。


「トウマッ!」


 カレンは音を頼りに、再び走り出した。

 垂れ下がる目障りな蔦を、立ちふさがるモンスターを魔法で吹き飛ばし、ずっと求め続けてた、眺めるだけだった背中を探した。


「トウマ!」


 薄闇の中に銀色の閃光と、風を切る音。大きなロボットががしゃり、と崩れ落ちた。それを踏み散らし、前に進む背中。右腕に絡みつく、炎のごとき聖剣。紛れもなくトウマだった。

 カレンは目が熱くなった。


「トウマ……!」


 だが、トウマはカレンの呼びかけも気づかなかったかのように、歩き続ける。


「トウマ」


 トウマは立ち止まらない。

 やがて、新たなロボットが一体、二体と闇から沸いて出てきた。おもむろにトウマは剣で斬り伏せる。我に返ったカレンは、ロボットに狙いを定めてシャインを放った。

 がしゃん、がしゃん。崩れおちたロボットの体から塵が舞い、消えていった。そして、トウマは歩き出した。


「……トウマ……」


 カレンは震える膝を叱咤し、トウマに駆け寄った。

 横から顔を覗き込もうとするが、トウマは押しのけるように歩いていく。カレンが目に入っていないようだ。


「トウマ! 私がわからないの……?」


 以前、トウマがリグラーナに拉致されて妙な薬を飲まされたときも同じようなことがあった。が、今回の衝撃はその比ではない。


(――拒絶されてる)


 何があったかわからないが、トウマの目にカレンは映っていない。

 足の震えが体に伝わる。カレンは魔導書を抱きしめた。涙が、頬を伝う。以前のカレンなら、ここで諦めたかもしれない。だが、カレンは乱暴に手の甲で涙を拭い、足早にトウマの後を追った。


(まだ伝えてない――例え、嫌われてても、伝えたい)


 トウマの前にまたロボットが立ちふさがる。トウマの剣が届くより先に、カレンのシャインがロボットを打ち砕いた。

 カレンはトウマの前に回りこむ。


「トウマ! 私を…見て!」


 カレンはトウマの顔を覗き込む。トウマもカレンをようやく見た。

 痛々しい。全身傷だらけだ。特に左腕が酷く傷ついていた。ざっくりと切り裂かれている。血は固まっているが、回復には至っていないようだ。


「トウマ」


 トウマはぎこちなく左腕を上げ、カレンのほうへ伸ばした。そしてカレンを横に押しのけて前に進む。


「トウマ!」


 カレンは退かずに、トウマの前に立ち塞がった。昏い目で、トウマはカレンを見ている。


「どけよ、カレン」


 未だかつて聞いたことのない、静かで、低い声だった。カレンはびくん、と肩を震わせた。が、道を譲らなかった。

 トウマはカレンをカレンと認めている。それでいてカレンを見ていない。


「傷、手当しないと」

「どけよ」

「どかない。私、あなたに言いたいことがあるの」


 それには答えず、トウマは呟いた。


「……また、贄神が出てきやがったんだ。奴を倒さないと」

「私も行く」

「オレ一人でいい」


 とうとう、カレンは声を張り上げた。


「いつもそう! どうして独りで行こうとするの!? 置いていかれるほうの気持ち、考えたことがある!? 他のみんなも、どれだけ心配して、ここに来るまでに、どれだけ戦って、失って――」


 カレンの目の前に剣が突きつけられた。


「わざわざ小言を言いにきたのか? そこをどけよ」


 トウマは剣の向こうからカレンを睨みつけた。見たこともない、険しい顔だ。左目の上を切っており、顔が血で汚れていた。

 カレンが思う以上に、トウマは過酷な戦いをしてきたのだ。

 愛おしくて、苦しくて、切なくて、カレンは息が詰まった。


「教えてよ……トウマは何を見てるの? 私、私も――見たいの、同じものを」


 だがその言葉を聞くより先にトウマが拒む。


「どけよ」

「教えて」

「――わかるわけが、ない」


 トウマの呟きはあまりにも重く、カレンは打ちのめされた。

 だが、カレンは動かなかった。


「私、分かろうとしてなかった。でも、トウマも分かってもらおうとしてた? 黙って分かれって言っても無理よ、そんなの」


 トウマは一歩退き、十分な間を置いてカレンに剣先を向ける。


「そうだよ――それがオレたちの溝ってやつさ。帰れ」

「いや!」


 しゅ、と鋭い風がカレンの頬をかすめた。はらり、と髪が千切れて飛んだ。


「オレの前に立ちふさがる奴は、みんな敵だ」

「いやよ、どかない。私はトウマの敵じゃないもの」

「どけって!」


 再び、鋭い風が頬を撫でた。ちり、と熱い線が走る。表皮を裂いたのだろう。カレンは瞬きもせず、トウマを見つめている。

 覚悟を決めた今、何が起きても、心は静かだった。


「私がトウマに言いたいことっていうのはね――」


 そのことを想うと、顔がごく自然に微笑んだ。

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