贄神

 カレンは気力を振り絞ってアバロンノヴァを放った。ようやく、のたうち回っていたサンドワームが炭化して消滅する。左腕には、呼び戻した青い魔導書がおさまっていた。

 魔導書の形を取っている聖剣は、そこにあってそこにないものである。ネルから即座に取り返すこともできたのだが、油断させるためにそのままにしておいたのだ。魔導書がネルの手元から消えた今、こちらが自由の身になったことを知ったに違いない。

 ネルはもはや魔導書のことなどどうでもよくなっていたことを、カレンが知る由もなかった。


(早く移動しなくちゃ)


 額に浮いた汗を拭い、カレンは背後を振り返った。

 リリは箒を杖に大きく息をしている。イヨが回復の呪文を唱えようとするのを、カレンは押しとどめた。


「私が回復するわ。イヨ君、魔力は大丈夫?」

「うん、なんとか……でも、次の階もこんなにたくさん敵が出てくると、ちょっと辛いね」


 柔らかく微笑むイヨだったが、聡明な瞳には懸念の色が濃く出ていた。階を降りていくごとに出てくるモンスターの数と魔力の消費は凄まじい。

 ポーチから回復薬の入ったボトルを取りだし、周囲に振りかける。ぱあっ、と光の粒子がたちのぼり、カレンたちを包んだ。半減していた体力がやや回復したようだ。イヨの回復魔法と合わせても、そう何度も体力回復ができなかった。魔法が主たる戦力のこのチーム構成では魔力の消耗が激しく、回復をアイテムに頼らざるをえない。


 カレンたちは囚われていた部屋を出て、闇雲にトウマを探し、彷徨っている。

 起死回生のヒヨコの焔で銀網の牢と触手から脱出したものの、部屋の扉は固く閉ざされたままだった。部屋のあちらこちらを調べている最中、いきなり明かりが落ちたのだ。

 停電、と察したカレンは扉に駆け寄り、扉を左右に揺さぶると、開いたのだった。グランタルに祖父と住んでいたとき、電気を動力とするエレベーターに閉じ込められたときの経験が役に立った。この手の自動開閉する扉は、動力源を失えば手動で開閉できるのが常だった。


「この光がリペアシステムのだったら! すごく似てるのに」


 忌々しげに壁を飾っている水晶の蔦を見つめる。蔦の中は金色に輝き、明滅を繰り返していた。蔦の見かけは繊細だが、魔導書や杖や箒で殴っても傷ひとつ付かなかった。

 広大な城であることは、見た目からも分かっている。セイントとの通信はおろか、転送システムも使えなくなっていた。


(同時にセイントと連絡が取れなくなり、システムが機能しなくなるなんて……――レイ、心配だわ……どうしてるかしら。ゼロがいるから大丈夫だと思うけど。きっとレイは大騒ぎね)


 不安だった。もし回復アイテムが切れたら。トウマを見つけられなかったら。トウマに何かあったら。

 慎重であるがゆえに様々な悪い可能性まで考えてしまう。


(こんなとき、トウマならどうする……?)


 カレンの記憶の中で、トウマはからりと笑いながら言った。


『んなもん、前に進めばいいだけじゃねえか。迷うこたあねえよ』

「前に進めばいいだけ……か」

「なんかいった?」


 カレンの呟きを耳にしたリリが、怪訝そうに尋ねる。カレンは笑顔で首を振った。


「ううん! ……ちょっと回復したかしら? そろそろ移動しましょう」

「カレン、どっちに行く? エレベーターはまだ上にあがれるようだし……見て。さっきこの階に来たときはなかった道があるよ」


 イヨが指を差す。エレベーターの左右の回廊に通路が出来ていた。閉じていた障壁が上がっているのだ。


「あっち側か勝手に通路を塞いだり開いたりして、操作してるのね。厄介だわ」


 三方向に開けた道を前に、カレンは少し思案している。

 トウマの居場所、この城の構造、何もかもがわからない。しらみ潰しに探すとしても、出来るだけ体力と魔力を温存して進みたかった。


「イヨ、あんたそんなこともわかんないの? 上に決まってるでしょーが」


 リリがしたり顔でツッコミを入れた。


「悪い奴はお城のてっぺんにいるって決まってんのよ!」

「それ、根拠ないよ、リリちゃん……」


 リリはイヨの両耳を鷲掴みにした。


「随分エラソーな口きいてくれるわねっ! 最近、ていうか、今日はますます生意気よ! ほーらほら、ここがいいんでしょ? 気持ちいいんでしょ?」

「アミちゃん、やめてえぇ~っ、そんなとこッ、あ、そこダメだよぅ……」


 カレンは、所構わず怪しげな雰囲気になりそうな二人の襟首を掴み、慌てて引き離した。


「完全回復してるわね。じゃあ、この通路から攻めましょうか。エレベーターはさっきの場所に戻るだけだろうし。できるだけ魔法は温存しましょ」


 こくり、とリリとイヨが頷く。

 二人とも、一方が傍にいれば、戦場だろうが敵の本拠地だろうが、いつもの二人でいられるのだ。そのことがカレンには羨ましかった。


(私たちには、たっぷり時間があると思ってた。でも、いつかいつかと思ってたら、何も出来ないままだった。今度こそ、私が焼いたクッキーを食べてもらって、いっぱい話をして、たくさん笑って――帰ろう、セイントへ。私たちの居場所へ。

 仲間たちがいて、ゼロがいて、レイがいて―――――)

『……ご……めん……なさ……』


 啜り泣いているかのような、悲痛な叫びがカレンの耳に届いた。


「だ、誰?」


 カレンは辺りを見回した。不思議そうに、リリとイヨがその様子を見ている。


「どうしたのよ、カレン」

「今、誰かが……謝ってた」


 だが、リリたちには聞こえていなかったようだ。


『ま……っすぐ……おりて……エレベ……た』


 カレンは魔導書をまじまじと見た。声は、そこから聞こえているような気がしたからだ。


「誰なの」


 ほんの微かに、魔導書が揺れたような気がした。


「カレンッ! 下……!」


 イヨが指さす。白亜の床にはごく淡いピンク色の点が、うっすらと浮かび上がっていた。その点は、弱く明滅しながらエレベーターまで続いている。


『システム……そんなに……長く……制御……できな……』


 カレンには、声の主が誰だか分かった。


「レイ!? レイなのね!? どうしたの、何があったの? この点々はあなたなのね!」

『行って……トウマを……助けて……』


 すう、と血の気が引いていく感覚がした。


「リリちゃん、イヨ君、行くわよ!」


 衝動に突き動かされ、カレンはエレベーターに飛び乗った。リリとイヨも慌てて後に続いた。

 エレベーターはどんどん深く降りていく。その間、カレンは魔導書をぎゅっと胸に抱き締めていた。レイの慟哭がひしひしと伝わってきた。


『ごめんなさい ごめんなさい』

『こんなことになるなんて』


「レイ、この城に何が起きたの」

 

『ゴールドメタルで増幅した エネルギーを 撃ったの カノン砲で』

『そうすれば 枯れた大地が 蘇るから』

『アタシ ユージニアの眠るところを 緑でいっぱいにして あげたかった』

『なのに どうして』

『これが ユージニアの 望んだことなんて』


「ユージニアさんが、望んだ?」


 エレベーターが緩やかに停止する。

 ここには例の水晶の蔦がないのか、非常灯のようなオレンジ色の電灯がついていた。空気が埃っぽく、澱んでいる。長らく使われていなかったようだ。

 床に、またしてもピンク色のマーキングが淡く浮かびあがる。


「足跡があるね。新しいよ。黒っぽいのは……」


 イヨが膝をついてそれを杖の先でつついている。


「血、だと思う」


 埃で白くなった通路には、足跡と血の痕跡があった。


(――トウマ!?)


 息苦しくなって、カレンは魔導書に爪を立てた。


「落ち着いて、カレン。足跡は小さいから、トウマじゃないと思う」


 イヨの言葉に救われ、カレンは大きな溜息をついた。


『カレン 時間がない』

『もう この城は アタシの制御 を 離れる』

『アイツが 入って きた もう だめ』


「あいつって? この先に、何があるというの」



『贄

     神


       が

         ……――――』



 非常灯のオレンジが、赤色に明滅した。薄暗い通路の奥に、どろどろと黒い霧の塊が生じる。

 その中から、贄神の眷属――登録名、レギオン系のモンスターがざわりざわりと生じた。

 かつて見て、経験した悪夢の再来。


「贄神が……復活した……」


 カレンは呟いた。

 迫り来る眷属たちを見つめながら。



 贄神の ゆりかご

 そこにトウマがいる

 独りで戦ってる

 グランドのように

 おねがい

 生きて 二人とも

 

 聖なる光が通路を白く染めた――

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