裏切り

 ネルは思わず、脇に抱えた青い魔導書を床に落とした。トウマを捕らえていた牢獄は解除され、もぬけの殻だったのだ。

 なぜ、と理由を問うより先に、ネルは頭の中で状況と可能性を分析していた。

 トウマ自身では解除できるわけがない。彼の仲間も捕らえている。魔王は足止めをしている。

 出た結論に、体を大きく震わせる。魔導書を拾わずに、足早に部屋を出て、制御ルームに急いだ。


(――用心していたつもりだったのに。手札を読み切れていかなったのか)


 ぎり、と歯を食いしばるネル。そのとき。

 生命の光が、城を貫いた。

 明かりが全部落ちる。圧倒的なエネルギーを吸収しきれず、一瞬、城の全機能が停止したのだ。


「この城の機能が停止するなんて……ありえない!」


 3000年もの間稼働しつづけたシステムなのだ。

 攻撃、否。

 機動城塞セイントからカノン砲が撃ち込まれたとしても、この城は耐えうるはずだった。元要塞で研究施設だったこの城は、飛行用に可変するセイントよりはるかに装甲が重厚だった。

 すぐに明かりは戻った。明かりだけではない。壁に張り巡らされた水晶の蔦――エネルギー循環のパイプ――が激しく明滅を繰り返し、金色に輝きはじめたのだった。


「あ……ああ!」


 金色のエネルギー流の意味を、ネルは知っている。

 物質や思念をエネルギー転換するだけではなく、増幅してマックス値を保ち続けている、安定した活力エネルギーは変換後、金色の粒子となるのだ。

 ネルと、その祖先が待ち望んだ“光”だった。


「ちがう! 早すぎる……!」


 考えている暇はない。ネルは宙に向かって叫んだ。


「ルーン! 誰か!」


 口調には、未だかつて誰も見聞きしたことがない焦りと怒りが含まれていた。

 だが、返事はない。

 城全体は常に制御ルームでモニタリングしている。何も知らないリグラーナと捕らえたトウマが出会わないよう、通路に障壁を降ろして操作していたのだった。


「ルーン……!」


 制御ルームにいるはずの僕の名を呼ぶが、返事はなかった。先ほどのシステム断絶の影響かもしれない。

 だが、ネルはそう考えなかった。逃げられるはずのない牢獄から囚われ人は消えた。生命の光がブリガドゥーンの城に満ちた。

 監視の目が失われた。未だかつてなかったことが起きている。

 鮮やかで暖かい金色の光に包まれながら、両手で自分の体を抱きしめた。怒りで震える体をおさえるためだった。


「――おのれ……!」


 ネルは駆けだした。

 想定外の事態に、慌てふためき、転けつまろびつ駆けていく哀れな人形のように。


――さぞ、滑稽だろう。

――だが、好きにはさせぬ……!


 制御ルームに続く回廊は、殺戮の嵐が過ぎ去った後。壁、床、天井に至るまで、警備用のモンスターの血と死骸で彩られている。

 警備網を強硬突破したことが意外だった。ネルは死骸の傷跡を見て、眉をひそめた。斬り傷である。


「……まさか、トウマ?」


 ネルは死骸と血を蹴散らし、回廊の奥へと進んだ。制御ルームの入口を見ると、開いたままだ。入口で立ち止まる。床には、黒いローブをまとった子供達の死体があった。

 正面には、セイントにもない大きなパネルが壁一面を覆っている。背の高い椅子がパネルの前にあるのだが、椅子の足もとにはルーンと呼ばれた少年が、目を見開いたままで倒れていた。安堵したような、柔らかい表情を浮かべて。

 ネルは椅子に座っている人物に声を掛けた。


「背を向けたまま、とは、随分、余裕が、あるのね」

「見るがいい。待ち望んだ、復活の“光”が満ちているのを……」


 椅子の向こう側から声が呼びかける。


(いつでも焼き殺せる)


 そう思い、ネルはちらっとパネルに視線を移し、愕然とした。

 パネルには現在の城のフォームと、最深部にある“もの”の状態を示すパラメータを表示していた。

 ネルの額に薄く汗が滲む。


「……これは……!」


 城が最深部まで解放状態になっており、エネルギー充填率が100%を振り切っていた。これほどの大きなエネルギーの出所は一つしかない。


「でも、座標……あの女は、まだ」


 言いかけて、ネルは恐ろしい事実に気づいてしまった。


「そう。リペアエナジーを集中して流すためには座標設定が必要だ」


 その言葉で全てを理解したネルの手の中には火の球が生じていた。


「いいのかな? 火球が直撃すればパネルが損傷する」


 パネルの中に幾つかのウィンドウが生じた。その映像を見て、ネルは体が大きく震わせた。


(――トウマ! なぜ、“そこ”に、いるの!?)


 座標設定は聖剣の主の位置情報が必要だ。だからこそネルはカレンをほぼ無傷で生かしておいたのだ。

 “贄”に供するために。

 この瞬間、ネルは思い知らされた。自分もまたグランギニョルの人形の一つでしかなかったことを。椅子からゆっくりと立ち上がるかつての同志に、ネルは無言で鋭い爪の細剣を投げつけた。


 スピードも、得物でも勝っている――はずだった。

 だが白銀の爪は床に転がり。その直後、ネルは肩から袈裟斬りに斬り伏せられた。

 飛び散る鮮血を見つめながら、それでもネルは後に破ね飛び、床目がけてフリーズを放つ。

 氷柱が二人の間に立ちふさがった。その間にネルは回廊を走り、逃げた。いや、逃げたのではない。ある場所を目指して、エレベーターに飛び乗り、地下を目指した。エレベーターの中で蹲りながら、ネルは必死で考えた。


(地下施設にもう一つ、制御ルームが、あったはず――トウマが、トウマのところへ“あれ”が向かうのを、止めなくては)


 今のままでは、恐らくトウマは勝てない。それ以前に、先ほど見た地下の映像に戦慄した。地中に落とした贄たちがトウマに次々と襲いかかるのだ。

 まだ生きている贄が、生命の光を浴びて活力を取り戻したのだろう。だが長く地中にあれば、正常な心は失われているに違いない。それらを喜々として“あれ”は受け入れ、喰らう。

 ネルたちの狙いはまさにそれだった。だが、こんな形で実行することは予定になかった。


(――私達は、お互いに、裏切っていた。出し抜かれた、だけなのだ)


 裏切り者も、背負った怨念も、傷の痛みもどうでもよかった。傷に手をやる。ヴァンパイアの回復力をもってしても、傷は塞がらなかった。


(あの“剣”のせいだ)


 血を手に絡めとりながら、ネルは初めて祈った。


(トウマを、助けるの)


 見果てぬ青い空よりも、もっと強く、切実に乞い願った。

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