真実

 カレンが魔導書を抱え、トウマを睨んでいる。


『トウマ、あなたってなんてバカなの!』


――分かってるよ、そんなことは嫌っていうほど。


『勝手に決めて、勝手に前に進んで。私も、みんなも慌てて後を追いかけて』


――悪かったって。でも迷惑は掛けねえよ。


『トウマが何を考えてるか、全然わからない!』


――オレも……お前のこと、わかんねえよ。分かり合ったことなんてあったのかな……


『――信じてる、トウマのこと』


――……そんなことも、あったっけ。


『いつか、2人っきりのときに、ゆっくり聞かせて、ね?』



 カレンの笑顔が浮かぶ。作っていない、意気込んでいない、ごく自然な笑顔。

 守りたいと心から思った微笑み。

 あのときは確かに分かり合えた。

 なのに、いつからカレンの心が見えなくなったんだろう。


(オレは前ばっかり見て……横にいるカレンのことを見失って……いつの間にか遠くなってた――いや、違う。見失ったんじゃない。“目を逸らした”んだ……)


 自分の心の傍に他人がいることが久しぶりで戸惑った。拠り所だった父親を亡くしたときから独りだった。あの戦いで父親が生きていれば、トウマは聖剣を求めなかっただろう。

 全くの他人と分かり合えたと思った。だけど――だから。

 止まっていた空気が微かに揺れる。カレンの淡い金髪と微笑みのかけらが消えた。


 トウマはぱっと目を開けた。いつの間にか眠っていたようだ。僅かに変わった空気の流れに目が醒めた。反射的に上体を起こす。腕に痛みが走ったがそれにも構わず起きあがろうとするが、膝はまがっても足首が動かない。投げ出した足は床に足首が固定されている。恐らく無理矢理はめられた輪のせいだ。

 銀網の檻は消えている。そして――ネルが立っていた。

 漆黒の、床まで届く長いドレスを身に纏い、ベレー型の帽子をかぶっている。襟が高く、長袖のかっちりした印象のドレスは司祭のように威厳があった。

 が、スカート部分は臍までスリットがはいっており、ドレスの下からミニスカートとこれまた黒のロングブーツが覗いていており、艶めかしい。スカートとドレスの間から覗く小麦色の腹部には革紐が縦に走っているのが見えた。拘束帯を身に着けたままなのだろう。


 今まで垣間見るだけだったネルの、鋭利な刃物のような印象が強く出ている。ただ、腕にガラス製の水差しを抱えているのが妙に不釣り合いだった。

 トウマとネルは無言のまま見つめあった。だがすぐに、ネルは視線を反らせた。

 ネルは軽く靴音をたて、トウマに歩み寄った。そして手をまっすぐトウマのほうへ差し伸べる。と、意に反してトウマの両腕が“前にならえ”のように水平になった。固定された足首も手も銀の輪によって制御されているようだ。

 立て膝をし、ネルは水差しをトウマの腕の上で傾けた。きらきらと光を放ちながら水がトウマの腕を濡らす。一瞬、染みることを覚悟したトウマだが、水は腕を優しく包み、傷を癒していった。そして流れ落ちた水はトウマの足を濡らす前に、空気中に溶けて消えていくのだった。


「リペアシステム……?」


 連想されたものは。


「城内に、ある。命の水オード・ヴィーの泉が」


 ネルはトウマの疑問に答えるように呟いた。


「そんな……セイントみたいじゃねえか、城の中にあるなんて」


 ネルはトウマの方を見ず、回復の水を注ぎ続ける。


「同じだもの」

「同じ?」

「セイントとこの城は、同時代に、同じ目的で、作られた」


 ネルは淡々と、衝撃的な事実を告げた。

 思わず、トウマは天井から床をぐるりと見渡した。無機質で継ぎ目がない壁や床、自動で開閉するドアなど、確かに共通点がありすぎる。だからといって、はいそうですかと納得できるものではなかった

 なぜ、誰にも知られずこの名も無き城はここに“存在”しているのか。“同じ目的”の意味するところは。謎は増えるばかりだ。だが、それよりもトウマはネルに聞きたいことがあった。


「なぜ……“こんなこと”をするんだ。自分を痛めつけてまで、オレに何を見せたいんだよ」


 ネルは黙ったまま、水差しを床に置く。トウマの腕の火傷はほぼ治っていた。ネルがトウマの手にそっと手を添えると、腕はだらりと重力に従って下がった。試しに手を軽く動かしてみると、今は自由に動く。


「ありがとな」

「……」


 トウマの礼の言葉に、ネルは体を硬くし、俯いた。


「オレは、今でも信じてる。お前が青空が好きだっていったこと。だけどお前のしてることは全然反対のことじゃねえか」

「どうして」


 ぽつり、とネルは言った。


「私、だと?」


 ふう、とトウマは息を吐いた。


「言ったろ、鼻が利くって。ネル以外の奴らはみんな“死んで”る匂いがするんだよ。ルーンもな。死人の中でお前だけが生きてる。オレも相当バカだけど、さすがにそれはヘンだぜ……多分、カリヴァも気づいてたと思う」

「トウマは、馬鹿、じゃない」


 と、弁護しながらも、ネルはトウマを見ようとしない。


「いや、バカだと思うぜ、我ながら。これで二度目だ、捕まるのは」

「……わかってたんでしょ、レムルスで」

「まーな……ブリガドゥーンの人達はお前の仲間だろ? 行き場のない人達をアンデッドにして、意のままに操って、何がしたかったんだ」


 違う、とネルは言った。


「ブリガドゥーンに入ることは、アンデッドになること。それが、掟。そうでないと……この枯れた地では、生きていけない。命と引きかえに、安心して、住める所が得られる。アンデッドという種の繋がりが、できる。

 それが、ローゲの作った“仕組み”」


 おおよそ考えていた通りの事情だったが、いざそれを聞かされると辛かった。

 居場所のないまま彷徨い続けることと、魂と引き替えに居場所を得ること。一体どちらが幸いなのだろう。

 やりきれなかった。

 少しの沈黙の後、ネルが尋ねる。


「……自信が、あったから、来たの? 戦って、勝つ、自信が」


 ぽり、とトウマは頭を掻いた。


「違ぇよ。そんな自信なんざねえ。いつだって必死だ。楽勝なんて言葉は……生き残った後だからいえる」


 本当の気持ちだった。自分が強い力を持っていること、戦えることは分かっている。だが、楽な戦いなどない。相手がモンスターであれ、人間であれ魔属であれ、命のやりとりだ。軽いわけがなかった。


「生きるってことはよ、命のやりとりだって……親父に教わった」


 それが、トウマたちの世界の仕組みだ。人間族、魔属。多種多様の種族がひしめきあっている。目的を持って人間や魔属を襲う者たちもいれば、生きるための糧として襲う者もある。荒ぶる世界は、国と、律する法律の他に命のやりとりで成り立っているのだ。

 トウマは幼い頃から毎日が生きるための戦いだった。罠をしかけ野兎を取り、狐や野鳥を狩る。薬草や食べられる山野草を探す。飲み水を得る。自分以外の何かから糧を得、命を得る。剣を斧やクワに代えて大地を耕すことも同じではないか。


「――そういうのだって、戦いだろ」


 トウマの言葉を聞きながら、ネルはドレスの裾を握りしめている。そういう仕草は出会ったときのネルそのままで、子供っぽい。


「……私の、名前」

「ネル、だろ」


 ふるふるとネルは首を振った。


「ルーンフォルス。ネルは、嘘」

「そっか……ルーンはお前の身内かなにかか」


 ネルは顔を上げた。灰褐色の目が鋭く光っている。


「違う!」


 思いがけず、ネル=ルーンフォルスは強い調子で否定した。


「ルーンは、ただの人形。ここにも、どこにもいない子の名前」

「ネル?」


  そう呼ばれて、ネルはトウマの顔をまじまじと見た。


「オレにとっちゃ、ネルはネルだ。それでいいか? それとも本名のほうがいいのか」


 ネルは首を左右に振った。


「ネル、がいい。トウマが、私を、“ネル”と見てくれるなら」


 ルーンフォルスという名も、嘘だから、とネルは呟いた。

 ロムスの村はずれで一夜を明かしたときのように、ネルはトウマの横に並び、そっと肩に頭をもたせかけた。


「聞いて。何者にもなりたくなくかった、愚か者の話……」

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