隠里の黒衣

「――ようこそ、遠路はるばる隠里へ。外の人たちにはブリガドゥーンのほうが通りが良いのかもしれないけれど」


 変声期を迎える直前の、涼やかな少年の声だ。目深に降ろしたフードの下で、唇の端が吊り上がるのが見えた。

 包帯のような布を巻いた手がローブの袖から伸び、フードを背のほうに押しやった。ゆるやかにウェーブを描く白髪の小さな頭と、その間に獣の耳が覗く。その下の顔は秀麗そのもので肌が透けるように白く、唇だけが紅を差したように赤かった。

 トウマはふっ、と息を吐いて肩の力を抜いた。ローブの下から覗いた尻尾と華奢な足を見てイヨを連想し、わずかだが緊張していたのだ。人間の容姿に限りなく近い獣人種族は、さほど数が多くない。この少年もイヨと同族かそれに近いのだろう。

 少年はトウマをじっと見つめている。ごく薄い灰色の、ネルの瞳とよく似ていた。


「僕は領主、ルーン。あなた方を歓迎します、聖剣の主……ネル、ご苦労様」


 少年――ルーンに呼びかけられ、ネルは見えない糸に手繰り寄せられるように、ふらふらとトウマの傍を離れ、黒衣の一団のほうへと歩いていく。


「ネル!」


 ネルは我にかえったように、ぴくんと肩を震わせる。そして肩越しにトウマを見た。唇が言葉を形作る。


――だいじょうぶ。


 そして微かに笑った。

 そうして、ネルの姿は、黒衣の一団に呑まれて消えた。


「どうぞ、我が城へご案内します」


 ルーンは踵を返した。黒衣の一団はすっと左右に分かれ、黒い壁を作った。

 その先に見えるのは、灰色の巨大な正五角形の城。トウマは城をつぶさに眺めた。点々と見える黒い四角は窓だろうか。その数も大きさに較べると多くはなかった。


(――城っていうより要塞……いや、牢獄みたいだ)


 累々と並ぶ棺桶を従えた、無機質な楔。

 この土地に囚われているブリガドゥーンの人々を象徴するような城だった。

 近付いて分かったのだが、城の壁は石造りではなく、継ぎ目のない、陶器のような滑らかさを有していた。どこにも扉が見あたらない。

 壁の傍に、見覚えのある機械が据え付けられていた。円盤の土台と、そこから伸びたアーム状の操作盤。


「転送装置……?」


 トウマの呟きにルーンはうっすらと笑ったが、無言で装置に手をのせる。ポォ……ンと軽やかな電子音がしたかと思うと、壁がすう、と溶けるように黒い口を開け、やがて長方形の巨大な入口となった。

 明かに現世の“機能”ではない。


「セイントっぽいな」


 トウマは素直に驚いた。だがこのような機能はセイントにもない。カリヴァがぼそりと呟く。


「……いや、それを上回る。成る程な、普段はこうして“閉じて”おったのか。開いている状態しか知らなんだ」


 最後のほうはトウマも聞き取れないほど小さな呟きだった。


「ええ? なんか言ったか? カリヴァ」

「いや……気にするな」


 黒衣の一団は静かに城の中へ入っていく。ネルもその中にいるに違いない。トウマは目を凝らしてみたが、見つけられなかった。


「どうぞ、お入りください」


 城に足を踏み入れたトウマは、へええ、と感嘆の声をあげた。

 帝国の飛行船が収まるほどの広さのある広間だ。ただ広いだけではない。壁にはガラスのように半透明の蔦が這い、ところどころに紫水晶のような硬質の蕾がちりばめられていた。

 三階分ほどの高さの天井には、長い白布が幾重にも張り巡らされている。自然光に近い光が布から透けて落ち、その光を受けて壁面の蔦や蕾が柔らかく輝く。広間全体が淡く発光しているように見え、幻想的だ。

 たが、外に広がる墳墓と同じく枯れた印象を受ける。ひんやりとした空気には微かに果実に似た甘い香りがまじっていた。広間では、先ほどの一団だろうか、黒衣の者たちが静かにかしこまって佇んでいた。


「この城はかなり古いものなので、当時からあまり変わっていません」


 時が止まっているんです、と冗談か本気かわからないようなことを、ルーンは付け加えた。

 見たことがない異質な場所に警戒して、なかなか歩が進まないトウマと対照的に、ガリュウはのしのしと広間を横断し、壁や床にしきりに頭を寄せている。まるで何かに耳を傾けるかのようだ。


「ガリュウ、あんまりウロウロするなよ」


 トウマが声をかけると、グエェ……と気弱げに鳴いた。何か気になるのだが、ガリュウ自身もよく分からなくて戸惑っている様子だった。


「城内は自由にご覧ください」


 と、微笑みながらルーンが言った。ガリュウはルーンの言葉を理解して大きくうなずいた。


「いいのか?」


 トウマが尋ねると、ルーンは頷いた。


「あなた方は大事なお客様ですから、この城を包み隠さずご覧いただきたいのです。あまり広すぎて道に迷われるといけませんので、供の者を一人つけましょう」


 黒衣の者が一人、列を離れガリュウに近付き、おじぎをした。


「迷惑かけるんじゃねーぞ」


 トウマが言うと、「グェ!」とガリュウは一声あげ、黒衣の者に従い、意気揚々と広間の奥にある大きな回廊へと案内されていった。


「まだ、お名前をお伺いしてませんでしたね。あなた様のお名前は……」

「トウマだ。んで、そっちの馬人間がカリヴァ」

「誰が馬人間だ」

「見たマンマじゃん」


 くっく、とルーンは喉の奥で笑った。


「カリヴァ様は、帝国の英雄騎士様でしょう? 存じております」


 カリヴァはルーンを凝視する。


「祖母から聞きました。カリヴァ様とお会いしたことがあると」


 束の間、沈黙がおりる。カリヴァとルーンの間の空気が張りつめた。わけのわからないトウマは、そんな二人を交互に眺めている。


「祖母、とな」

「はい。カリヴァ様にお会いすれば、祖母もさぞ喜ばれるでしょう」

「……まだ、生存しておるのか。しかし、それはありえぬ。不治の病であった……ありえぬ」

「お会いになりますか」


 普段はどっしりと構えて動じないカリヴァが、珍しく動揺しているようだ。


「なあ、カリヴァ。ここに知り合いがいるのか?」

「うむ……まさか、当時は、ここがブリガドゥーンだとは知らなかったのだ」


 これまた珍しく、歯切れの悪い物言いである。


「ふーん? よくわかんねえけどさ。挨拶ぐらいしてきてもいいんじゃねえの」

「しかし」

「しかしもカカシもねーよ! ……忘れたわけじゃないんだろ? 会いたいんなら、会っておいたほうがいい」

「トウマ……」


 トウマなりの気遣いだった。


「ルーン。カリヴァをその人んところに案内してやってくれよ」

「承知しました」


 ルーンはトウマに一礼し、カリヴァを見た。


「トウマ、すまぬ。すぐ戻る」

「ゆっくりしてこいよ、な」


 気楽に手を振るトウマに対し、カリヴァは重々しい声で呟いた。


「トウマよ、決して気を緩めるでないぞ」

「トウマ様はそちらの者にご案内させますので。どうぞ、カリヴァ様……では、後ほど。トウマ様」


 ルーンはカリヴァを伴い、ガリュウの去った回廊へと歩き出した。

 トウマは一人取り残される。

 久しぶりに、独りになった、と感じた。部屋に戻ったときや、ニアネードの森に剣の鍛錬に出かけるときとは違う。

 部族の皆と別れたときのことを思い出した。


(もう――ガキじゃあるまいし)


 振り切るように天井を見上げると、光の筋が布の間から幾筋も差し込んでいた。

 ほんの一瞬、そこに誰かの後ろ姿を重ねてみた。光の筋が彼女の金髪に少し似ているような気がした。だがその手触りも香りも思い出せない。いや、知らないというほうが正しい。


(一番、近くにいたつもりだったんだけどな。オレは……オレも、カレンを見てるつもりで見てなかったのかもしれない)


 近付いてくる気配に視線を降ろすと、トウマの前に小柄な黒衣の者が立っている。


「こちらへ……」


 幼さが残る、だが抑揚がない声だ。黒衣の者に促され、トウマは歩き出した。

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