星と空
村落の寄り添う岩山に窪みを見つけ、トウマたちは野営の場所と定めた。洞穴ほど深くないが夜の寒気をしのぎ、夜行性のモンスターに背後から襲われるのを防ぐには役立つ。
端末を置いてきたのは、トウマなりの意地と覚悟だった。事件を解決するまで、ブリガドゥーンに平穏をもたらすまで、セイントには戻らないと決めている。今までとは違い、軽装ではあるが旅の荷物を持ってきていた。ガリュウが背負ってくれているので、トウマたちの装備そのものは普段の遠征とあまり変わりない。
火は発見される危険を考慮して焚かなかった。水と干し肉という簡素な食事を済ませ、それぞれは無言のまま毛布にくるまった。ガリュウが窪みの入口付近に寝そべって盾と警報機の役目を果たしてくれていた。時々尻尾がぱたん、ぱたんと動くのは、何か夢を見ているのだろうか。
カリヴァは毛布を折りたたんだ上にどっしりとあぐらをかき、剣を抱えるように眠っている。古来、優秀な騎士は不意打ちに備えて横にならないというが、そのお手本のようだった。
トウマもまた背後の岩に背を預け、剣を支えに、片膝を立てて休んでいた。その傍らにはネルが毛布にくるまり、丸くなっている。
時折、思い出したように風が吹く他は、静かだった。トウマは眠っていない。神経が尖って、眠れないのだ。
――長い一日だった。
セイントを出発してからもう何日も経過したような気がする。しかも前に進んでいるのではなく後退しているような焦りがあった。
――あんなもの見てしまったから。
虐殺の跡が、捨ててきたはずの過去を蘇らせた。過去は血濡れた手を伸ばし、トウマを揺さぶり、引っ掻いていく。普段は大らかに開かれている濃い眉も、今日ばかりは――否、出発前から――寄ったままだ。怒りだけではない、悲しみだけでもない。苦悩――滅多に表に出さない昏さだった。
伸ばしたほうの足にネルが触れる。ネルは上体を起こし、トウマを見た。猫のようにしなやかな動きだ。そして猫のごとく擦り寄るようにトウマの隣に並んだ。
「……悪ぃ。起こしちまったか」
トウマが尋ねると、ふるふるとネルは首を振った。
「……トウマ、寝てない」
「もう寝るよ。明け方には出発だかんな」
言いながら空を見上げる。東の空に一際明るい星が輝くのが見えた。あと1時間ほどで夜が明ける。
「……もうすぐ夜明け」
同じことを考えていたのだろう、ネルも星を見ながら呟いた。辺境で暮らしていれば時計などない。月と星と太陽が、時と方角を教えてくれる。
「もっと上に、青白い星、見える?」
「ああ。青星だな」
その星の周囲には他に星がない。ぽつんと暗闇の中、一際明るい光を放っている。“一人旅の星”とも呼ばれることがあった。
「あの星、好き」
疎外された民、ブリガドゥーン故の寂しさと重ねているのだろうか、とトウマは思ったが、意外な言葉が続いた。
「一人でも、ちゃんと光ってるから。何にも、誰にも頼らずに」
空を見ながら、ことん、と倒れるように、ネルはトウマの肩にもたれた。埃っぽさと汗、わずかに甘い果実のような香りが鼻腔をくすぐる。ネルの体臭だ。
もともと五感が鋭敏なトウマだが血臭や死臭で呼び覚まされたものがあった。快適で平穏な生活の中で鈍っていた感覚が、ここにきて一気に研ぎ澄まされたようだ。体を接していることよりも嗅覚で“女”を感じて、どきっとした。
「――姉様が、いたの」
唐突にネルが言った。
「双子の、私と同じ顔の。何でも、良くできた。私と違って。私は、分からなかった。自分がここにいる意味……」
ちら、と横目でトウマを見て、ネルは目を伏せた。
「うまく説明できない。ごめんなさい」
知ってほしいと待っていることと、伝えようと努力することは大いに違う。拙くともネルは何かを伝えようとしている。トウマはネルをいじらしい、と思った。
その感情の裏でカレンのことを考える。
(カレンの考えていることを知るには、超能力者でなくちゃ無理だ。いつだってヒントだけ出して答えは絶対言わない。当たりかはずれかもわかりゃしねえ)
「姉さんは今どこに? 隠れ里にいるのか」
「……死んだ。何の前触れもなく、ただの病で」
淡々と事実だけをネルは延べた。そこに悲しいという感情は見られない。衝撃が大きすぎたのだろうか。
「悲しかったろ……?」
心配してトウマが尋ねると、分からない、とネルは言う。
「私は、姉様の影。いてもいなくても誰も気にしなかった」
だから、飽きることなく空を見ていた。なのに。
「姉様が死んだその日から、私が――姉様になった。なれる、わけがないのに」
ぐっと、唇を噛むネル。怒りにも似た表情が一瞬浮かび上がり、消えた。喋りすぎたと思ったのかもしれない。ネルはトウマから身を離し、膝を抱えて黙りこくっている。少し、気まずかった。
(こんなとき、何て言えばいいのかな)
生憎、“ここぞというとき気の利いたことを言う”というスキルはない。奥義もない。
(キリクはそういうの上手そうだな。だからカレンも……)
トウマはこっそりネルの顔を窺う。ネルは膝を抱えた窮屈な格好のまま、固まってしまったかのように動かない。
「あのさ……」
トウマは上体ごとネルの方へ向ける。その拍子に、肩がネルを押してしまい、ネルは真横にころん、と転がってしまった。
「悪ぃ!」
トウマは剣を置き、慌ててネルを抱き起こした。膝を抱えたまま、ネルは何事もなかったかのようにトウマの横に戻る。
ふっ、とトウマは笑った。
「……そこ、笑うとこ?」
「悪かった。でも、今のネル、面白かった」
「…………………………」
「冗談。すっげーかわいかった!」
素直な感想だった。ネルの目が見開かれる。またそのまま暫く固まる。やがて、目が微笑んだ。ほんのわずかな変化。だがそれが嬉しかった。トウマにとっても、ネルにとっても。
「ロムスの人達が、あんなことに、なって……でも……」
ネルは自分の爪先を見つめながら、ゆっくりと、途切れ途切れに言葉を繋いでいく。
「あのね」
「うん」
「……青空が好き。どこまでも続いてて。遠くのあの雲の下に、何があるんだろうって……誰があの雲を見上げてるのかなって……」
「うん」
トウマは頷く。気の利いたことは言えないが、ちゃんと聞いていることを伝えたかった。
「昨日は、トウマも空を見てたから………………嬉しかった……」
ネルの口から、自分以外の者に対する感情を聞くのは初めてだった。
「普通だろ、空を見るなんて」
照れ隠しに、ぶっきらぼうにトウマが言うと、ネルは首を左右に振った。
「ここでは、誰も空なんか、見ない。明日も見ない。過去もない。今があるだけ」
ネルの灰褐色の目がトウマを見つめる。灰褐色の虹彩の中に紫や青がわずかに混じっている。引き込まれそうな、不思議な美しい色合いの瞳だった。
「トウマは空を………未来を見てるから……そんなトウマが助けてくれるなら……未来があることが、少しだけ、信じられる……の」
「……そっか」
カレンはトウマを、未来しか見ていないと非難した。ネルは未来を見ていると肯定する。トウマは複雑な気持ちを押し隠し、空を見上げる。
明けの明星は薄くなり、夜明けが近付いていた。
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