選択

 岩山を縫うようにうねうねと這う道を、トウマたちは黙々と進んでいる。ネルはガリュウの背負ったリュックの上に横座りに座っていた。ガリュウは女の子を背に乗せて張りきっているようだ。尻尾をぴたぴた振りながら歩いている。

 トウマは額に浮かんだ汗を乱暴に拭う。頭上にはすでに太陽が昇っているが、土獏を抜けてからは暑さも和らいでいる。この岩山に登り初めてから、急に空気が湿気を含み、重く感じられた。湿気といってもニアネードの森の朝露のように、豊かなものではない。赤茶けた岩肌に灌木や多肉性の植物がへばりついているくらいで荒涼としていた。それにしても陰鬱な場所だった。

 土が貧しい。

 周囲に用心深く目を配りながら、トウマは思った。家畜が食べるような草が少ないので放牧にも適さない。このような土地を、かつてトウマは見たことがあった。高山、平原問わず“枯れた”場所が他にも幾つかあった。

 大地の恩恵を受ける遊牧民やエルフにとっては“枯れた”場所は禁忌だ。呪われた場所として避けて通る。


(――昔、贄神が汚した痕だって……ジェンマばあちゃんが言ってたな)


 一年前の、贄神復活からその消滅の日まで降り続いた雨も、大地を疲弊させた。だが、この地の荒れ様はその比ではなく、また相当の歳月が流れていることは、岩の風化具合で判断できる。


――それだけ、汚染が酷かったんだ。


 荒れた大地は、人の心をも痩せさせる。この地に囚われたブリガドゥーンが、ネルが明日に希望が持てないのも分からないことではなかった。

 トウマはぎゅっ、と拳を握りしめた。


――なんとかしたい。いや、するんだ。


  そう思うと一層、焦りが募った。何が自分をこれほどまでに追い立てるのか、トウマ自信、気づいている。だが、それを直視することは、今までの自分の選択を否定するようで嫌だった。

 前を。ただ前だけを見て進め。

 トウマにとって立ち止まること・振り返ることは“弱さ”だった。

 迷いを振り切るように足を急がせる。また暫く進むうちに、トウマの鼻が異変を感じた。湿気に混じる、かすかな灰っぽい臭い。

 

(――燃えてる)


 背に負った剣に手をかける。ガリュウも気づいたようだ、しきりに鼻をくんくん鳴らしている。


「ネル、あとどれくらいだ」


 トウマは押し殺した声で尋ねた。


「坂をのぼりきれば、レムルスが、見える。レムルスは谷底に、ある」


 ネルの言葉を最後まで聞き終える前に、トウマは駆けだした。

 長く、急な坂を一気に駆け昇り、頂上に立つ。


「……!」


 二百メートルほど下の谷底に黒煙が渦巻いている。その合間にちらちらと赤い焔が舌を出していた。叫び声や怒声が谷底にこだましている。


「村が……!」

「右が、村へ降りる道!」

「おう、駆けるぞ!」


 背後でネルとカリヴァが叫んだ。トウマはうねうねと蛇行する、細い階段のような道をもの凄い早さで駆けおりる。急な斜面にある道なので左右に大きく蛇行している。何度も燃えている村を目の端に捉え、トウマの苛立ちは絶頂に達した。

 下り坂の半ばまで来て立ち止まる。谷を見下ろすと、かなりの急斜面だ。


「ああ、もう! 面倒くせえぇぇ!」


 背中の大剣、パンデモニウムを抜き払うと、トウマは谷に身を躍らせた。


「トウマ! せっかち大王が! 怪我するぞ」


 カリヴァは舌打ちをする。だが彼の心配は杞憂にすぎなかった。

 トウマは下手に持ったパンデモニウムを斜面に突き立て、巧みにスピードを殺しながら駆け下りていく。岩を砕き削る音と舞い上がる土埃を見ながら、カリヴァは呆れ半分感心半分で呟いた。


「阿呆だが、たいしたヤツだ……では、儂も習うとするか。ガリュウはネルと共に道を行くがよ「行って」


  ネルがガリュウの首の後ろをぽんぽんと叩いた。


「ガルァァァァ!」


 喜び勇んで、ガリュウはトウマの付けた道筋の後ろを滑り下りていく

 カリヴァも仕方がなくガリュウの後に続き、斜面に身を翻したのだった。



 谷底の村、レムルスに近付くと、灰が熱風に舞い、吹き付けてくる。まるで黒い吹雪だ。黒煙の間から赤い焔がちらちら舌を出し、嘲笑っているかのようだった。

 煙の彼方から悲鳴や怒号が聞こえる。


「くそっ!」


 トウマは煙をかいくぐり、声がするほうへ走った。


「……貴様ら、謀ったな。帝国への反逆だぞ、これは」


 キンキンとかん高い声。帝国の軍人らしき青年が、粗末なローブを纏った少女の腕を捻あげている。青年の、端正だが傲慢さが鼻につく顔にトウマは見覚えがあった。


「──バイアス!  またてめぇかこのバカ!」


 一喝すると同時に気合いをこめてパンデモニウムをふりおろす。闇の衝撃、ダークアローが地面を削りながらバイアス元騎士団長に迫り、彼の足元で炸裂した。


「のぉわわっ!」


  バイアスは意味不明の悲鳴をあげて吹き飛んだ。


「う……」


 頭を振りながら起き上がるバイアスに、トウマは、禍々しく光る黒い刃を鼻先に突きつける。バイアスはまず刃を、そしてトウマの顔を見てさらに驚いた。


「お、お前は……!」

「よお、バイアス。地下牢で大人しくしてるかと思ったら、こんなところで会うとはな」


 トウマの声の凄みに、バイアスの白っぽい顔はさらに青ざめた。


「な、なぜ聖剣の主がこんなところにいるのだ? いや、むしろ好都合だ。手を貸してくれ……じゃなくて、くださ……あ」


 皆まで言い終わらないうちに、トウマはパンデモニウムの切っ先をバイアスの喉に食い込ませた。


「てめえら、ここで、何をした」


 バイアスは口だけをぱくぱくさせている。喉が動けば、鋼も断つ鋭利な刃が容赦なく皮膚を裂くだろう。知っていて、なおトウマは問い続ける。


「辺境で多発する誘拐、集団失踪事件。それにブリガドゥーンが絡んでるって、考えた」


 バイアスは唇を震わせながら肯定の形を作る。


「手っ取り早く真相を掴むため、てめえらはブリガドゥーンたちを責め殺した」


 トウマは目を細め、冷たく言い放った。バイアスは硬直した。

 一年前、コーラル鉱山でサントゥクスムの獣人を強制労働させ、さらには古代機械で獣人たちを洗脳して好き勝手やっていた彼は、騎士団長の任を解かれ、地下牢に幽閉されていた。名家の出の彼には、復帰するための手っ取り早い手柄が欲しいはずだ。動機は十分、ある。

 次の瞬間、パンデモニウムが一閃した。

 きぃん……と澄んだ音が響き、トウマの足下に金属のような破片がぱらりと落ち、風に散った。


「──まだこいつには聞くことがある」


 トウマは背後の気配に言った。バイアスはくたくたっとその場で腰を抜かしていた。


「……そいつは、帝国の軍人。同胞を殺した。村を焼いた」


 トウマは振り返った。

 ネルが右手を顔の前に掲げて立っている。小さな手に長い爪が二本、伸びていた。


「そこを、どいて」

「ネル」

「どいて」


 ネルはかっと口を開けて吼えた。相変わらず無表情だが、鋭く伸びた犬歯と気迫が感情の起伏の大きさを表していた。


「……結局」


 ネルは目を伏せ、呟いた。


「トウマも、“あっち側”の人間」


 ネルの言葉はトウマの心臓を貫ぬいた。パンデモニウムを持つ右手がだらりと下がる。


「違う! ネル、殺してしまったら何もわかんねえままだろ!」


 疼く心を抑えながら必死にトウマは訴えるが、ネルは頭を左右に激しく振って拒絶した。


「この状況で! たくさんの同胞が、殺されて! 何が、わからないの!?」

『エルドスムスもフィンゲヘナも関係ねえ! 全部、全部やっつけてやる!』


 ネルと、かつての自分が重なる。

 トウマの頭の中で捨てたはずの過去がぐるぐると回り、苛む。なぜ捨てた。生き残った仲間を。復讐の誓いを。理不尽な世界に対する怒りを。

 トウマが復讐に墜ちることなく、まっすぐ未来を見つめてこれたのは──


『トウマよ、強くなれ』

『強くなるってのは、何かや誰かを守ることだ。それがない強さは、ただの暴力だ。サイテー野郎だ』

『前を見ろよ。人間ってやつぁ、未来を掴むために前に歩くんだ』


 そう言って、トウマの父親は精一杯戦い、散った。普段から言い聞かされていた言葉が、心に沁みた思い出がトウマを救ったのだ。


( ――ネルを、暗闇に落としちゃいけない)


 ぎゅ、とトウマはパンデモニウムを握った手に力を込める。ネルの手が動いた。トウマは体を沈めながら回転し、剣を横に払う。

 ゴアアアアッと悲鳴を上げ、獣兵が地面に転がった。獣兵は遺失技術により生産された獣人型の戦闘兵である。指揮官の命令に忠実で、自律的な意志を持たない、生ける“武器”だ。バイアスが連れてきていたのだろう。ネルの放った爪は、一体の獣兵の目に突き刺さっていた。

 トウマの前に、三人の獣兵が立ちふさがる。その後ろに、バイアスがあたふたと逃げていくのが見えた。


「バイアス! 待ちやがれッ!」


 一斉に襲いかかる獣兵を、トウマは一刀のもとに斬り捨てた。


「――殺せる、じゃない」


 ネルがトウマの背に鋭い言葉を投げかける。


「トウマは、選んでる」


 さすがにトウマも黙っておられず、ネルと向き合った。


「そうだよ。オレはオレの正しいと信じた道を行く。その前に立ちふさがる奴は倒す。そいつが人間だか魔属だかは関係ねえ。それがオレの“筋道”だ……それに、今、バイアスの糞野郎をぶった斬っても何もわかりゃしねえ」

「……そうやって、私たちは、トウマに、選ばれるのを待ってる間に、殺される」


 ネルの途切れそうな呟きが、なおもトウマを鞭打つ。

 村を焼く焔の熱。降りしきる黒い灰。回転する悪夢。既視感。

 トウマは無言で、ネルのすぐ前まで歩み寄る。そしてざんっ! とパンデモニウムを地面に突き立てた。その音に肩をすくめ、ネルは顔を上げた。トウマはまっすぐ、ネルの目を見つめる。


「皆殺しにすれば、納得するのか」

「……そう。それも、いい」


 そう言って、ネルはトウマを挑発する。


「みんな、いなくなってしまえば、いい。人間も、魔属も――ブリガドゥーンも。何のために、どうして、私たちは、ここにいるの。わからない……わからない! だから、もう、消えてしまえばいい……」


 ネルの叫びは、深い絶望だった。自分が立っていることすら危ういから、世界の滅亡を願う。

 トウマは両手でネルの頬を軽くぴしゃり、と叩き、そのまま包み込んだ。


「――贄神みたいなこと、言ってんじゃねえよ! お前、青空が好きなんだろ!? それはなあ、この世界が好きってことなんだ……好きなものを喪ってもいいのか!?」


 ネルは呆然とトウマを凝視している。トウマに指摘されたことが余程、衝撃だったようだ。


「……でも……私、は」

「お前、今朝、言ったよな。未来を少し信じられるようになったって。未来も空も、オレが守るから。だから、信じていてくれ」


 ネルの、血の気を失った唇が震えた。

 トウマの手を振りほどき、ネルはよろよろと後ろに下がる。怒りは消え、代わりに怯えと戸惑いがあった。


「――おおーい! 何やっとるんだ、はよ村人を助けださんかい!」


 カリヴァの怒鳴り声で、トウマは我に返った。

 そうだった。まだ悲劇は終わっていない。

 自分の迂闊さにちっ、と舌打ちをする。だが、あのとき、ネルを放っておくことはできなかった。

 トウマは慌てて、煙が立ちこめる村へと走って行った。背に、ネルの視線を感じながら。

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