幻の村

 突き抜けるような青空が茜色に染めはじめた頃。

 トウマたち一行はネルたちの村落を目指して小山にたどり着いた。

 ブリガドゥーンたちの住まう伝説に等しい村。世界から見捨てられた者が集う場所。二つの村はレムルス、ロムスという双子星と同じ名だ。先に、より街道に近いロムスを目指してやってきたのだった。

 村落といっても、ロムスは赤茶けた岩山に寄り添うように、日干し煉瓦の家が三、四十ばかりと、わずかな畑がある程度だった。

 ネルは説明した。


「ここも、レムルスも、見せかけの村」


 1年ごとに隠れ里の者と入れ替わるのだと言う。


「なんで、そんな面倒なことやってんだ?」


 トウマの問いにネルはしばらく沈黙し、答えた。


「仕事が、あるの」

「仕事?」


 かくり、とネルは頷いた。


「ずっと、昔からの役目。それに、里のほうが何倍も居心地が、いい」


 トウマは改めて、村落を見下ろした。貧しいというより何もない。人影もない。帝国軍人の姿さえなかった。いくら炎天下を避けるためとはいえ、見張りも立てていないのか。

 そろそろ日が落ちる頃なのに煙突には煙も見えなかった。


「村の様子がおかしい。静かすぎる」


 トウマの抑えた声に、ネルはびくっと肩をすくめ、身をのりだした。


「……帝国軍も、いない?」

「奴ら、この村を占領してたんだろ?」


 かくんかくん、とネルは頷いた。灰褐色の目を凝らし、村落を見つめている。

 カリヴァが重々しく言った。


「もうひとつ、村があるというとったな。そちらに移ったのではないか」


 トウマも頷いた。

 もし村人を連れて移ったのなら、本格的に調査の名の下に動き出したのではないか。


「どこのバカだ、ギッタギタにしてやる……!」


 ぽん、とカリヴァはトウマの肩をたたいた。


「落ち着くがよい。まずは村落を調べることだ。罠を張っておるかもしれぬ」

「急ごうぜ」


 トウマは剣を背負い直し、土を蹴った。

 小山を降り、ロムス村落の入り口らしき木組の門と、格子状に組まれた塀が見える場所まで来た頃、すでに青い闇に周囲は覆われていた。乾燥地帯は昼夜の気温差が激しい。先ほどまで肌を焼く熱は、すでに収まりつつあった。

 明かりひとつ見えない。村落は沈黙を守り続けている。

 村へ続く荒れた道の脇にある、茨の茂みに身を隠しながら、トウマたちは様子を伺っていた。


「私が」


 ネルが言った。


「見てくる。トウマたちは、少し離れてついてきて」

「何言ってんだ!」


 ネルは立ち上がった。


「大丈夫。待ってて」


 トウマの返事を待たずに、ネルは駆け出す。

 慌てて立ち上がろうとしたトウマをカリヴァが押さえこむ。


「急くなというに!」

「離せ、カリヴァ! ネルだけじゃ危険だ!」


 ネルの黒いローブと小麦色の肌はすぐ闇にまぎれた。白銀の髪だけが濃さを増す闇に浮かび上がっていたが、それもじきにかすんで消えた。

 トウマはカリヴァを振り切り、村落へと走った。慌ててガリュウもついていく。


「やれ、やれ……」


 カリヴァも仕方がなく後に続く。

 柵の中もまた、とても静かだった。人の気配がない。まるで打ち捨てられた廃村のように。


「……あぁぁぁぁ!」


 ネルの、掠れた悲鳴が闇の中に響いた。トウマの額にどっと汗が噴出す。


「ネル!」


 声のする方向へ、トウマは闇雲に走った。手近な家の木戸を開ける。


「……っ!?」


 嗅覚が、視覚より先に異変を捉えた。

 血の臭い。

 反射的にトウマは剣を抜いた。家の中は、窓も閉め切っているのか真っ暗だった。足で、入り口の木戸を全開にする。外のほうがほのかに明るかった。わずかな明かりを頼りに、家の中を見透かす、と。

 この家の住人だろうか。数人の男女が折り重なって倒れていた。ぴくりとも動かず、呼気も聞こえない。床には血の跡がある。トウマは神経を周囲に張り巡らせながら、遺体に近づいた。床に血溜まりができている。剣の先で血溜まりに触れると、すでにどろっとしていた。

 トウマは踵を返して表に出た。

 カリヴァも同様の光景を見たのか、別の家の木戸の前で思案している。


「カリヴァ! ガリュウ! ネルと……生きてる奴を探してくれ!」


 だが、トウマの研ぎ澄まされた感覚は、この周囲に生者の気配がないことを悟っていた。


「ネル! どこだ! 畜生、なぜ、こんなことに……!」


 ぎっ、と歯を食いしばるトウマ。6年前の殺戮を思い出した。

 宵闇の中、数えきれない敵と切り結び、倒した。

 朝日がさす頃。生き残っていた部族の者はごくわずかで――そのときの怒りと、悲しみが蘇り、トウマの心を再び血塗れにしていく。


「返事をしろ、ネル!」


 広い村落ではないが、岩山に寄り添う形で作られているため、不規則に家が並んでいる。自然の巨石が所々にあるため、見渡すこともできない。ぽつぽつとある家の木戸はほとんど開けっぱなしだった。ネルが開けながら、進んでいったのだろうか。


「ネル!」


 村の最深部、岩の壁がそそり立っている前に、黒とぼんやりと白い髪が浮かび上がっている。ネルが地面に座り込んでいた。

 頭を深く垂れている。髪が乱れて顔を覆っているため表情は定かではない。だが、肩が小刻みに震えているのが分かった。

 正しく、あのときの自分の姿を見ているようで。仲間たちを見ているようで。トウマの背を冷たい汗が流れおちた。こめかみがどくどくと脈打つ。


――もう、喪いたくない。

――何のために手に入れた“力”なんだ。


 駆け寄ると、ネルを背後から強く抱き締めた。腕の中で、ネルがぴくん、と体を震わせた。ネルがそっと、トウマの腕に手を置いた。そのとき、トウマは自分も震えていることを知った。


「……あれ」


 ネルが空いた手で前を指さす。

 岩壁には大きな扉があって、開け放たれている。室内にこもった昼間の熱と、冷たい夜気が混じり合って、弱い風が吹いた。運んできたのは――すえた甘い香りと、死臭。

 トウマは目を闇に凝らす。先ほど見て回った家々と同じように、部屋の床に影がわだかまっていた。

 立ち上がり、扉の中を覗き込んだトウマは、一瞬頭がまっ白になった。

 室内に転がっている遺体は全て子供だった。下は五歳くらいの幼子から、上はトウマと同じ年齢くらいの少年まで、十数人ほどが打ち捨てられた人形のように転がっていた。血が逆流し、猛り狂うのをトウマは必死に堪えた。

 おもむろに背後から細い手が伸び、トウマの体を包んだ。ネルだった。トウマの背中に額を押しあて、語りかけるネル。


「脱出した者から聞いた。帝国軍は変な機械を持ち込んできたって」


 言われて室内を見ると、この質素な村には不釣り合いな機材が並んでいる。人が一人乗れるほどの、丸い天蓋のついた円形の台に、無数のコードが繋がっている。それが五つばかり並んでいるのだ。セイントにあるリペアシステムを想起させた。


「こりゃ……何だ」


 トウマが思わず呟くと、ネルは頭を左右に振った。


「……わからない」


 分かるはずがなかった。知っているのはこれを持ち込んだ者と、物言わぬ犠牲者だけだ。否、ここに転がっている者たちも分かっていなかったのかもしれない。

 トウマは、自分の体を抱き締めているネルの手を握った。


「――古代機械のようだ」


 ひっそりと、トウマの背後でカリヴァが言った。


「そんなもの持ってるのは……帝国しかねえ、オレたちの他には」


 食いしばった歯の間から絞り出すように呟くトウマ。それにカリヴァは淡々と答える。


「帝国だけではないぞ。フィンゲヘナもそうだ。トウマよ、思い込みは危険だ」

「ッ……! でもよ、この村に来てる奴らは帝国軍なんだぜ!」

「状況的には奴らが持ち込んだ、と考えるのが普通だ。だがまだ判断するには早い。いずれにせよ、もう一つの村――レムルスに行かねばならん」


 いつになくカリヴァは慎重だった。


「カレンも言っていたであろう、事はどちらの国の手の者が起こしたにせよ、重大だと」

「……」


 トウマは険しい顔をしたまま押し黙っている。


「お前の心情も焦る気持ちも分かるが……その剣を振るう相手を誤ってはいかん」

 

 ぐっ、とトウマは何かを飲み下し、大きく息を吐いた。


「わかってる……そっちは、生きてる人は見つかったのか」


 首を左右に振るカリヴァ。グゥ……とガリュウも悲しげに鳴いた。重苦しい空気がのしかかってきた。


「ネル。レムルスは、ここからどのくらいかかる?」


 トウマが尋ねると、ネルはぱっと顔を上げた。


「5時間くらい」


 ネルの足で、ということはトウマたちだけならもう少し早く辿り着けるだろう。


「では、村の外で少し体を休めるぞ。ネルもそうだがトウマ、お前も自分が思う以上に疲労しているはず。ほとんど休むことなしにここへ来たんだからな。この様子じゃとレムルスに帝国軍の奴らも移っている可能性が高い。儂らだけでどれだけの軍勢を相手にせにゃいかんのか分からんぞ」


 有無を言わぬ調子でカリヴァは言った。渋々だが、これにはトウマも同意せざるをえなかった。闇雲に突っ込んでいくだけでは何も救えない。過熱ぎみの頭でもそれは理解している。長らく戦いに身を置いてきた本能的で冷静な判断だった。

 するっ、とネルは腕を解き、身を離した。


「……行こう、トウマ」


 ネル自らが言った。

 弔うにはあまりにも数が多く、また時間もなかった。

 村の門をくぐるとき、ネルは呟いた。


「ここは、幻の村だった……あったことも、消えたことも誰にも知られずに……」


 ネルなりの手向けの言葉なのだろう。無表情だが、その言葉は何ともいえない哀愁を帯びている。トウマはうなだれるしかなかった。

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