忘れられる犠牲

 山深いニア村にもようやく朝日が届く頃。酒場の二階の一室にも、白く強い光が射した。

 ベッドを背に、トウマは床に腰を降ろし、片膝を立てて顎をのせ、床の一点を見つめている。寄らば斬る――そういう空気をまとっていた。


 いつもの、陽気でまっすぐな少年ではない。そこに蹲っているのは赤黒く燃える怒りの化身だった。

 ふつふつと沸き上がる怒りと、呼び覚まされた過去の記憶が、トウマの体の中を焼き尽くさんばかりに暴れ回っている。それを押さえつけ、解き放つ瞬間まで養い続けるのだ。


(贄神を倒したってのに、まだ終わらない。まだ続くのか。どうして――)


 炎のごとき聖剣を纏った右腕に目をやる。


(――オレが終わらせてやる。この力で救えるもの、全部を救いたい。そのための力だ!)


 何かを握りつぶすように、拳を握りしめる。

 と、そのとき背中に動く気配を感じた。振り返ると、軽く衣擦れの音をたて、ネルが寝返りをうった。今は、安らかな寝息を立てている。

 トウマは静かに立ち上がると、ネルの額へ手を伸ばして当てた。

 熱は下がったようだ。だが、薬草や自然の回復を待っている時間はない。セイントに連れていってリペアシステムで回復させようかとトウマが考えていると、視線を感じた。トウマの手のひらの下から、ネルがじっとトウマを見ている。無表情ながら、時折ちらりと焔のような光が宿る目だった。


「熱は引いたようだな」


 手を引こうとすると、ネルがその手に手を重ねて押しとどめる。ひんやりとした手だった。


「……帰るの?」


 少し甘えを含んだ弱々しい声だ。容姿のわりに低めの声が妙に艶めかしい。


「仲間にも聞いてもらわないとな。旅の準備もある」


 トウマは努めて明るく言うが、ネルはじっとトウマから目と手を離さない。

 何かを訴えるような目が、部族から離れた日のことを思い出させた。

 そのとき言えなかった――言わなかったことを、トウマは言った。


「大丈夫、戻ってくる」

――オレは、あの日、みんなを“捨てた”。


 より広い世界と強い力を求めて、家族同然だった部族の者たちに別れを告げた。終わりのない嵐に呑み込まれるのを待つよりも、嵐の元となる黒雲を吹き飛ばすことで確実に争いを止めたかったのだ。どちらも困難な道であったが、トウマは後者を選んだ。

 そして贄神の脅威がなくなった今。遠征のたびに生き残りの者の消息を聞いてまわるが、未だ消息は不明だった。


――結局、誰も助けられなかったんじゃないのか。

――何のために……

――何のために、戦ったんだ。


 トウマはネルの手を握り返した。


「戻ってきたらすぐ出発だ、だから、それまで休んでてくれよな」

「……いく」


 ネルはトウマの手を握ったまま上体を起こした。目眩がしたのか目をつぶり、何度か深呼吸をする。


「無茶すんな。すぐに戻るから」


 ふるふると首を左右にふるネル。


「一緒に、いく」


 ネルにとっては、トウマの約束も儚いものに感じられるのかもしれない。縋っておきながら拒絶する。信じたくても信じられない。トウマはネルに、一人旅を始めた頃の自分を重ねていた。


「わかった。でももう少し休んでからにしようぜ、な?」


 かくり、とネルは頷いた。

 上体を起こしたまま壁のほうににじりより、ベッドの端を開けて、手でぽんぽんとそこを叩く。


「……トウマも」


 ここで休めということだろう。好意は嬉しいのだが、ちょっと困る。


「……いや、オレは床でいいから」


 苦笑いしながら背を向け、トウマは床に座りベッドに背を預けた。すると後頭部に柔らかいものが当たる。振り返ると、ネルが枕を置いていた。その枕の端に、ネルも頭をのせている。猫のようにベッドの上で丸くなっているのだが、表情からして窮屈でもなさそうだ。


「おーい」


 小声で呼びかけるが返事はない。暫くすると、ネルはすーすーと寝息を立てはじめた。

 やれやれ、とトウマは諦めて目を閉じた。

 微睡みの中、剣を携え、黒い、もやもやしたモノに何度も斬りつける。贄神に似ているが、その闇の中に人の顔が見え隠れし、呑み込まれていく。厳しくも優しかった父親。同い年のケンカ友達。ジェンマ婆さんの皺だらけの顔。別れた部族の人々。

 風に揺れる、美しい金髪の髪に白いコートドレスの後ろ姿――

 立ちふさがる未来の前に、昨日の出来事さえも過去のものだった。




■□■




 ごん、と頭に鈍い衝撃が走り、カレンは目が覚めた。

 額にレイの手が乗っかっている。


「うっ……顔に青アザでも出来たらどうしてくれるのよ」


 カレンはやや乱暴にレイの手を押しのける。レイのほうは呑気なもので、ムニャムニャいいながらころんと反対向きに寝転がった。

 大きめのベッドなので二人で寝ても余裕があったが、猫時代とは段違いに場所をとる。おまけに寝相が悪い。

 なお腹立たしいことに、レイときたら、寝ている姿が同性・同世代から見ても色っぽいのだった。パジャマ代わりにカレンのブラウスを拝借し、下は薄いショーツのみ。

 渋々、カレンは身を起こした。窓の外はすでに明るい。今日もいい天気のようだ。

 だが天気の良さとは裏腹に、カレンは起き抜けから溜息をついた。


「……まだ、戻ってないんだ……」


 ゼロに、トウマが戻ってきたら起こしてくれるよう頼んでいたのだが、現時点でモーニングコールはなかった。ここまで連絡が途絶えると(といっても昨日から丸一日も経過していないが)、何か事件に巻き込まれたのではないかと気になる。トウマのことだから、まず戦いで敗れることはない。

 とすれば――


「女の子か女の人が絡んでるんだわ……トウマは前から女の子に弱いと思ってたのよ。女だからってみんなか弱いとでも思ってるのかしら? すぐにデレデレしちゃって。そういえば、ずっと前に『一度会ったら今度いつ会えるかわかんないから仲良くしておく』とか言ってたわね。リグラーナのときもみすみすつけ込まれたし!」


 今度は腹が立ってきた。


「……でもあのときはカレンが悪かったんだよぉ」

「んんー、隠し事をしていたのは悪かったけど、でもあのときは仕方がなくて……レイ、起きてたの!?」


 レイは仰向けに寝転がったままで伸びをした。


「カレンの独り言、声が大きいんだもん。目が覚めちゃった」


 伸びをすると、前を開けたブラウスからぷりん、と胸が飛び出す。重力にも負けず形良くとんがっている乳房を見て、カレンは思わず自分の胸と見比べ、がっくりと頭を落とした。

 あらゆることで自信喪失中のところへさらに大きなダメージ。年頃の乙女らしく、私なんてあれに較べるとスカスカだわ……と人知れず傷ついていた。


「トウマ、女の子には優しいよねえ。モンスターと男には容赦ないけど」

「すごく分かりやすい性格よね」

「そーかなー?」


 よいしょ、と反動をつけて起きあがったレイは、あぐらを組んで座り直した。


「ノーテンキで単純で猪突猛進であっけらかんとしてるんだけど、まっすぐに“そうなってる”んじゃないと思うんだ、アタシは」

「なに、それ」

「光があれば影もあるってことよぉ。極端に明るくて眩しい人って……自分の暗い部分や弱さを無理に押し込めてることもあるのよ。“彼”みたいに……」


 レイは誰かを思い出しているのか、遠い目をしていた。

 トウマのこともよくわかっているような口振りに、カレンは軽い反発を覚えた。


「レイ。トウマは強くて、まっすぐよ。まるでそれが嘘みたいな言い方、しないでほしいわ」


 レイはちろりん、とカレンを見て、くすくす笑い出した。


「おっかしーの。カレンってばトウマの悪口を言ったかと思えば、今度は弁護するんだもん」

「ちょ、ちょっと。変な誤解しないでよ。トウマがそんな……繊細なわけがないって言ってるのよ」

「鈍感ならカレンもいい勝負だよぅ」

「なんですってー!?」


 カレンが本気半分冗談半分でレイに飛びかかろうとしたとき。ジ……と音がしたかと思うと、ゼロの声が室内に響く。


『マスター・カレン。マスター・トウマが戻ってきた』

「うそっ、まだシャワー浴びてないし髪もぐちゃぐちゃだし」


 カレンはベッドから飛び降り、裸足のままで浴室に走った。

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