揺らぎ
「ふあぁ……トウマ、遅いねー。どこほっつきあるいてるんだろ。もう寝る時間よぉ」
あくび混じりのレイの言葉に、カレンは肩をすくめた。文字通り肩身が狭かった。
とっくに片付けられた食堂では、女性陣だけが居残っており、なんとなくだべっていた。
イノブタキングはティアの奮闘により素晴らしい料理に生まれかわり、年越しの祭のような豪華な晩餐となった。が、それに反して活気のない食事の時間だった。
キリクは変わらぬ態度で接してくれているが、カレンは昼間のことを意識してしまい、ぎこちない。普通を装う演技力もなかった。何より、トウマがまだ戻ってこないことがカレンを落ち込ませていた。
リリアームヌリシアも酷く落ち込み、元気がなかったし、クリューガも不気味なほど大人しかった。このところクリューガはセイントに引きこもっている。「赤ちゃんが出来たの」発言の日からティアとはとことん距離を置いており、肉を取り分けた皿をティアが渡すと落っことしたりして“らしく”なかった。それを心配そうに見守るカリヴァもつられて元気がない。
(――みんなもうまくいってない……このままじゃあ、よくないわ)
あ、とレイが口を手で押さえてわざとらしく呟く。
「もしかしてアレかなあ、すねて女の人ところへいったりなんかりしてー! きゃ★」
ティアは浮かない顔をして聞いている。レイの発言は間違いを多分に含んでいるが、女の子ところに行ってるのは正しかった。
「レイ! そういうこと言わないの。トウマは、そんな……ふ、不純なこと、する人じゃないわ」
カレンが口ごもりながらもかばうと、レイはニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「不純なのぉ? 女の人とお茶飲むのが」
ベタな手にひっかかり、カレンはぐっと言葉に詰まったが、ツンととりすました顔で取り繕う。
「こんな遅い時間まで女の人と一緒にいること自体が不純なの。でも、トウマだから、きっと……なにか理由があるのよ」
そんなカレンに、口を尖らせてレイがつっかかる。
「迎えにいけばいいのよう。カレンってば待ってばかりなの。ほんとお姫様なんだから。待ってたら向こうから来てくれると思ったら、大間違いなんだから」
レイの言うことにも一理あるのだが、今さら行きづらい。
薬草を渡すだけならこれほど時間がかかるわけがない。ニア村にトウマが留まっている理由を推察すると、その病人の話を聞いているか、故意に戻ってこないかだろう。
(どうしたらいいんだろ、こんなときは)
一人っ子で、大人に囲まれて暮らしていたカレンにはかなりの難問だった。他人の心の動きに聡いカレンだからこそ身動きがとれない。最近、トウマの気持ちや根っこのところの感情が読めなくなってきたところへこの事件である。昼間のことをどう感じ、何を思ったかをはっきり知るのも恐かった。
(――バカね。恐いなんて……何を恐がってるの?)
「ねえ、カレン。そろそろお部屋に戻りましょうか。リリちゃん、おねむだから」
ティアが小声で言った。その傍らには、リリが机につっぷして眠っている。
「そうね、もうこんなに遅いんだもの。ごめんなさい、私に付き合わせてしまって」
カレンは立ち上がり、リリの方へ近付いた。
「ティア、私が抱っこしてお部屋まで運ぶわ」
「あら、いいのよ。リリちゃん軽いもの」
「じゃあ、帽子とヒヨコは私が引き受けるわ」
帽子と、その上に眠るヒヨコをカレンが持ち、ティアはリリをひょいっと抱きかかえた。
「うーん……チビのバカァ……」
寝言でも相方のイヨを罵倒しているのがリリらしい。変わらないわね、と言おうとしてカレンははっと息を呑んだ。
リリの閉じられた目尻から涙がぽろり、と落ちたのだ。
「……どこ、いっちゃったの……?」
カレンは手を伸ばし、リリの目尻に溜まった涙を拭ってやった。
「リリちゃんね、ここに来てからずっと私の部屋で一緒に寝てるのよ」
ティアが囁いた。
「一人じゃ眠れないようなの。今まで傍にいたイヨ君がいないから……」
それを聞いて、カレンはぐっと胸が詰まった。と、同時に疑問が沸き起こる。
「ねえ、ティア。リリちゃんからイヨ君のこと、聞いてる?」
「いいえ。何も話さないから、話したくなんだろうと思って聞いてないの。でもこの二人が単独行動を取ってるのはおかしいわよね」
「そうよ。イヨ君ならリリちゃんが先に家出したとしてもすぐに追いかけてくるはずだわ」
「ケンカでもしたのかしらね」
「でも、イヨ君はリリちゃんを一番に想ってるから必ず折れて、すぐに迎えに来ると思うんだけど」
「そうね。でもいつも折れるとは限らないわ」
ティアが意外なことを口にして、カレンは少し驚いた。
「あら、びっくりした?」
「ええ、だって、この二人にそんなこと、ありえないわ」
ティアは寝室への階段を慎重に降りながら、ふふと笑う。
「でもねえ、当たり前のことなんてないのよ、カレン。リリちゃんだってイヨ君だって大人になっていくわ。兄妹みたいな仲良しさんから、男の子と女の子へ。そして男と女になって……変わらないものなんてないのよ、関係も気持ちも。それは、あなただってそうなのよ?」
カレンは魔導書と帽子をいつもの癖でぎゅっと抱き締めた。が、ヒヨコが身じろぎしたので慌てて腕を緩める。
「分かるんだけど……私とトウマは一年前と同じじゃないもの。トウマは変わらないけど、私はヒステリーになっちゃったわ。私ね、リリちゃんとイヨ君が羨ましい。どんなにケンカしてもちゃんと通じ合っていて、仲直りできて。すごくステキな関係じゃない? それが変わってしまうなんて……なんだか、嫌」
願望と自嘲が入り混じった口調で呟くカレンに、ティアは優しい眼差しを向ける。
「きっとね、ずっと同じって思い込みがあるから、身動きがとれなくなっちゃうと思うの」
同じでいることが、安定していることが、何も変わらない穏やかな時間が。
「思い込み、なの?」
ティアとカレンが部屋の前までくると、ドアが自動的に開く。暖色系の家具や敷物、カーテンで統一された部屋はティアの雰囲気そのもので居心地がよさそうだった。
ティアはベッドにリリを降ろし、靴を脱がせた。まるで母親のようだ。カレンはナイトテーブルの上にリリの帽子とヒヨコを置いた。ヒヨコはすやすやと眠り続けている。
「一年前、私たちはすぐ目の前に迫る“滅び”と必死に戦ってた……いろんなことがあって、乗り越えて、やっと手に入れた平和なのに」
言いながら、カレンはぎゅっと青の魔導書を抱き締める。
「カレン。平和に穏やかに過ごすことが悪いと言ってるんじゃないのよ。全く変わらずにはいられないっていうことなの。あなただって、この1年で随分変わったわ。トウマを遠慮なく殴るようになったもの」
ティアは魔導書を指さして笑った。
「ええっ!? 遠慮してるわよ! ていうか、私、そんなに暴力ふるってるように見えるの!?」
端から見ればそうだったのか、とカレンは少なからずショックを受けた。
「暴力とは違うわよ……多分。ほら、ちっちゃな子が自分の考えてることをうまく伝えられずに暴れることがあるでしょ、ああいう感じね」
「ちっちゃな子……」
さらに落ち込むカレン。自分では理性の人だと思っていたのだが、周囲の評価は違うらしい。その様子を面白そうに眺めるティア。
「あら。本当に気づいてないのね」
「気づくわけないじゃない……今度から気をつけるわ」
「そういう意味じゃなくて。うーん、どう説明すればいいのかしら。カレンがそういう態度に出る相手はトウマだけなのよ」
「そうなの。だから余計に悪くって。普通に仲良くできればいいんだけど」
「あら、あら。その程度でいいの?」
「まずはその程度までいかないと。今はそれ以下なんだもの」
「あら、あら、まあ」
そう言ったきり、ティアは微妙な顔をしてカレンを見つめている。
「なに?」
「カレンはトウマのこと、どう思ってるの?」
ストレートな問いに、カレンは一気に顔が熱くなるのを感じて、魔導書であおいだ。あんまりぶんぶん振るものだから、魔導書が魔力をチャージしてほんのりと輝き始めたくらいだ。
「カレン、カレン! あんまり振らないでね、ここで魔法が発動すると恐いことになるから」
「あっ、ご、ごめんなさい! トウマのことは……えーと……う……いい人だと思ってる。最初の印象はお互い最悪だったけど。彼のまっすぐなとことか、いいと思うの。聖剣の主同士、仲良くやっていきたいし」
ティアはぽかんと口を開けて聞いていたが、こほこほと軽く咳をして言った。
「模範解答ねえ……じゃ、もっと率直に聞くわね。トウマのこと、好き?」
魔導書からではなく、自分の頭から火が吹きだしそうだ。カレンは魔導書で盛大にあおごうとした。が、それをティアが慌てて両手で押さえた。
「落ち着いて、ね? 考えてみたことある? 自分の中のすごく個人的な、素直な気持ち。もしなかったのならちょっと考えてみて。確かにカレンとトウマは聖剣の主で、背負っている責任も力も大きいわ。でも、それと切り離して、カレンはトウマをどう思ってるの?」
「どうって……」
ティアの問いはカレンは混乱させた。自分が爪先立ちでぐるぐると回っていて、景色が目まぐるしくかわる。目が回る。天地があやふやになる。そんな気持ちだ。
「すっ、好きか嫌いかって聞かれると好きの部類に入るわ。私にはない行動力とか思い切りのよさとかあって。時々それがイラッとくることもあるけど、後先考えないところとかも。でもトータルで判断するとやっぱり……」
ティアは、早口でまくしたてるカレンの口元に人差し指を押し当てた。
「今、急いで結論を出さなくてもいいのよ。考えてみてね」
「ん……」
カレンは素直に頷いた。
ティアにおやすみなさいと言って部屋を出る間際、カレンは呟いた。
ごく自然に口を突いて出たのだ。
「トウマは……私のこと、どう思ってるのかしら」
――もし、トウマに嫌われてたら。
「なんか、落ち込んじゃう」
嫌いなら最低限の話しかしなければいい。だけど自分がある程度好意を持っている人間に嫌われていたら、どうしたらいいのか。
今まで上手くやってこれたのは“大人の付き合い”だったからだ。キリクのことにせよ、人間関係については子供同然であることをカレンはここでも痛感した。
リリに毛布を着せながら、ティアが囁く。
「相手の気持ちも大切だけど、まずは自分の気持ちだと思うわ。焦らないで」
「ええ……ありがとう、ティア。おやすみなさい」
灯りを落とした廊下に出たカレンは、大きな溜息をつくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます