純文学とライトノベルの違い
工藤千尋(一八九三~一九六二 仏)
第1話純文学とライトノベルの違い
これは人それぞれ解釈の違いがあると思います。興味深いテーマでしたので初めて企画に参加させていただきました。
ほとんどの方が人生で最初に読む作品は学校の国語の教科書に載っている作品ではないでしょうか?自分はそうでした。そして学校や町の図書館で児童書に触れ、そこから「本」に興味を持つようになりました。
まず、「純文学」にも「ライトノベル」にもそれぞれ魅力があります。その魅力の質の違いだと自分は思っています。「ライトノベル」は造語のようなものであり、決して「軽い」ものだとは思いません。
まず、物語を書く人間には少なからず「文章の癖」があると思います。それは影響のうけた作品からだったり、書き手からだったりと理由は様々だと思います。「文章の癖」がない書き手の方はとても読みやすい文章を書かれますし、「文章の癖」がある書き手の方は読者を選ぶと思いますし、ハマると虜になる魅力もあると思います。
自分の考え方として、「純文学」と「エンタ」の違いと認識しております。
自分が今でも読み返したいと思う作品に「ズッコケ三人組」シリーズや「聖エルザクルセイダーズ」などがあります。教科書や児童書から自分のお小遣いで買ってワクワクしながら読んでいたのを思い出しますし、今でも内容を鮮明に覚えています。物語の楽しさや娯楽性で読者を楽しませるものが「エンタ」であると思っています。少し古くなりますが「ゲームブック」というジャンルもありました。RPGを本で再現した「戦うなら67へ、逃げるなら49へ」というものです。読者をワクワクドキドキでひきつける作品をそう呼ぶものだと思います。
それで「純文学」ですが、こちらは物語で読者を楽しませるというよりも言葉の組み合わせの美しさで読者が魅了される作品だと思います。具体的に表現するなら作品の中に無駄な文字が一文字もないものだと思います。原稿用紙5枚書いてそれを1枚に凝縮する作業の繰り返しで無駄な言葉、文字、表現を出来る限り捨てるものだと思います。自分の場合、古い海外の直訳作品を好んで読んでいた時期がありましたが、それらの作品には翻訳した方の意図もあるのでしょう(これはあくまで自分の憶測です)が、無駄な文字がほとんどないものが多かったです。
これは書き手、読者と解釈の違いは様々あり、それでいいと思います。これという定義も明確にはないと思いますし、それぞれが自分の中で線引きをするものだと思います。ただ、どちらの方がレベルが高いとかはないと断言はします。「純文学」にも「エンタ」にもそれぞれ素晴らしい魅力があり、尊敬に値する書き手は多いと思います。
作品の面白い、面白くないは読んだ人が決めることであると思います(これは漫画「バナナフィッシュ」の登場人物「ブランカ」の受け売りですが)。
個人的な考えとして、携帯やパソコンもなかった昔と比べて、今はネットやラインなどの普及で文章を書く人が減ったとは思います。年賀状もプリンターで印刷されたものが多いですね。そんな時代でも若い方から長く書かれている方までこうやって自分の物語を書くことを続けていることは素晴らしいことだと思います。自分の昔から好きだった言葉を最後に。
「共に頑張りましょう」
純文学とライトノベルの違い 工藤千尋(一八九三~一九六二 仏) @yatiyo
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