petit four11 お好みプリンで見える顔(1/2)

 愛知県彩遊市にある、南武百貨店の従業員用食堂。昼時を迎えたそこは、多くの従業員が入り乱れ、賑やかだった。


「へー、魔法菓子のお店が催事にあるの?」


 ぼんやりと一人、茶を飲んでいた牧野は、耳に飛び込んできた単語に顔を上げる。

 魔法菓子なんて言葉、久しぶりに聞いたぞ。東京にいるときは身近だった言葉が、知らぬ土地ではやたらと特別に思える。声のする方にそれとなく顔を向けると、一人は見知らぬ女性社員だったが、もう一人は同じ売り場で働く、歳の近い同僚男性の笹村で、気まずいと思った牧野は、悟られないようにゆっくりと顔を戻した。

 牧野は五階の生活雑貨売り場担当、入社三年目の社員である。住み慣れた東京を離れ、この春から初めて地方都市とやらでの生活を始めたが、電車はすぐに来ないし、借りている安アパートの近くは家と工場と時々畑のみで、洒落た店が一軒もない。おまけに見たことも無い名前の量販店がだだっ広い道路にある風景にカルチャーショックを受け、五月病を引きずったまま夏に突入してしまった。おかげで今まで存分にできた趣味もできず、鬱憤はたまっていく一方の日々である。そして、自分の性格もあり、いまだにこの店に馴染んでいないこともまた、彼にとってのストレスであった。


「地元にこんな店あったんだ」

「なんでも、食品課のひとにツテ? があったみたい。ケーキ売ってた職人さん、めっちゃイケメン……イケメンっていうか……美人? っていえばいいの? 優しい雰囲気の男の人で、こういう催事に慣れてない感じが逆に可愛げがあるというか。オススメだっていうケーキと、限定のやつ買ってきたよ」


 箱から出された二つのケーキを、気付かれないように掠め見る。ドーム型の艶やかなチョコレートケーキらしきものと、シャンパングラス風の容器に入れられた涼やかな青色のゼリー。

 昨日から食品催事が始まっているのは把握していたが、まさか魔法菓子まであるとは。


「な、なんかケーキの上に星が光って見える! 手で覆って……おお……まさにプラネタリウムっていうかあれ、目を閉じても光ってるすっご!」

「きょ、今日俺さあ、冷房全然効いてないバックヤード作業だったから体あっつくてさあ……これめっちゃ涼しくなる最高だわ」


 すごい、おまけにおいしい。二人のリアクションに、他の従業員らが好奇の視線を送り始める。中には、あからさまにのぞき込んでしまう粗忽なひとも現れ、それでやっと二人は自分たちが大騒ぎしていることに気がついたらしい。すいませんうるさくて、と詫びたあとも、話足りないのだろう、声を潜めて楽しい、綺麗だと言い合っていた。

 件の魔法菓子について、自然と考えを巡らせる。

 掠め見ただけでも、グラサージュの艶が綺麗で、腕のいい職人のものだとすぐに分かる。ゼリーの上に乗っているのは氷に見立てた干琥珀だろう。和菓子のそれと西洋菓子を合わせたアイディアに、これを作ったであろう職人のチャレンジが見え隠れする。

 効果だって、あんなに星をキラキラと明るい場所で光らせるほどの魔力を保持しているし、体への効果は見た目ではわからないけれど、スプーンを差し入れた瞬間に美しい青と赤のグラデーションが揺らめいた。色の変化は魔法菓子でありがちな効果だけれど、透明感を保ったままっていうのは、それだけ魔力含有食材の魔力を綺麗に残している証拠で、これもまた相当腕のいい――魔力との相性がいい職人は数が少ないのだ――仕事だとそれだけで嬉しくなる。

 ああ、こんな地方都市にもこんな魔法菓子を作れる職人がいるんだ、と心を躍らせて再び魔法菓子を見ようとして、はっとする。

 二人がちらりと牧野を見た。恐らく、横目で気にしているのをうすうすは気づいていたのかもしれない。


「牧野じゃん。おはよ~。今日俺バックヤード作業だったもんで会ってなかったよな。店頭どう? 賑やか? あ、牧野も興味あるの? 魔法菓子」


 笹村が気軽な様子で訊ねてくるので、牧野の心臓が飛びあがりそうになった。


「あっ、いや、その……えっと……」


 ここではっきりと言えればよかったのだが、隣を覗いていた自分のばつの悪さが拍車をかけて、返事ができない。おもしろい効果ですね、他にはどんな魔法菓子がありましたか……ききたいこと、しゃべりたいことが頭から溢れてくるのに、やはり舞台裏ここではうまく舌が回らない。

 すると、魔法菓子を買ってきたらしい女性が口を開いた。


「笹村くんの同僚? 接客するのに、どもるんだね」

「へっ……」


 突然、喉がつまるような錯覚を覚える。「ちょっと!」と焦った声の笹村がどんな表情をしているかなんて見る暇がないくらい、牧野の頭が一気に真っ白になった。

 牧野は「すいません……」と力弱く言い残し、その場から足早に立ち去る。笹村がなにか言う声が聞こえているが、それに答える気力はどこにもなかった。



 階段の踊り場まで歩いた牧野は「ああ……やっちゃった……」と深く後悔の感情につぶされていた。

 久しぶりに見た魔法菓子で、うつうつとした気分が吹き飛びそうになったのは事実。だが、そこでまさか、自身の短所を、たとえ悪気がなかったとしても直接言われるとは思っていなかったのだ。

 たしかに牧野は少々、どもりの癖がある。子どものころからそれで苦労してきた牧野は、高校生のときに一念発起し、接客業のバイトを始めたのがきっかけで今の職にある。不思議なことに、きちんと制服を着て、売り場に立ったときにはどもりが起こらなかったのだ。いうなれば、演劇の舞台に立ったような(もっとも、彼には演劇経験など学芸会以外にないのだが)もので、舞台裏バックヤードに引っ込み、休憩室にいるときの牧野は店頭にいるときほど、饒舌ではない。

 この癖のせいで、こちらに来ても実はまともな知り合いが作れていない。


「……笹村さんもお好きだったのかな、魔法菓子」


 笹村とはシフトに重なることも多く、あの通りの明るい性格でとてもにぎやかだ。バックヤードに入るとむっつりと黙り込んでしまう自分にも態度を変えず接してくれるので、いつかは自分も同じようなテンションで受け答えができたらと思っていた。


「話せるチャンスだったのに……折角、知っている話題だったから」


 東京に住んでいた頃の牧野の趣味は、魔法菓子店巡り。

 せっかくの機会を逃した牧野はどんよりとした気持ちのまま、ひとりとぼとぼと階段を降りた。


:::


 翌日の昼、十六時。

 遅番の牧野は、休憩バッチを付けて「夏のスイーツフェス」会場を歩く。今回のテーマは「地元応援 身近で出会う新しい味」らしく、当然ながら地元民ではない牧野が知らない店ばかりである。その中で彼が目指していたのは、魔法菓子の店である「魔法菓子店 ピロート」だ。

 会期三日目の平日、夕方前であれば、さほど人は込まない。そこを狙って訪れた牧野は、冷蔵ケースを見た瞬間「わあ」と思わず声を漏らした。

 昨日見かけたチョコレートケーキ『プラネタリウム』は、やはり店のスペシャリテだったか。百貨店限定と銘打たれたあのゼリー『ドラフト・グラス』は、食べればひんやりと体感温度が下がるらしく、夏向けの商品らしい。なるほど、外から見て効果がわからないのも納得だった。

 他にも『ボイスマジック・ロッカー』『お好みプリン』は親しみやすいロールケーキとプリンだが、それぞれ興味深い効果があるようで、牧野はしげしげとそれらを見つめた。

「どうぞ、ゆっくりご覧ください」

 店員から声を掛けられて顔を上げると、そこには先日接客した客が居て驚く。パティシエはほんの少しだけ思案して「生活用品売り場の! あのときはお世話になりました」と頭をぺこりと下げられた。

 ちょうど会期の初日、開店直後に「トングをっ……で、できればあまりお高くないものでっ」と焦った顔で駆け込んできた、コックコート姿の青年を思い出す。

 なんでも、用意していたはずのケーキ用トングが見当たらず、慌てて買いに来たのだという。初日に穴を開けてはいけないだろうと、素早くキッチンコーナーに案内し、生ケーキを掴むのに最適であろう形のものを勧めたのは記憶に新しい。

 牧野は「いえ、いえ」とたどたどしく答える。改めてショーケースを見れば、久しぶりの魔法菓子にやはり心が躍る。

 点数は少ないが、だからといって迷わない訳ではない。声への変化がある「ボイスマジック・ロッカー」は、勤務中なので残念ながら見送らなくてはいけないが、他の効果なら問題なさそうだ。できれば一つひとつ味わって効果も楽しみたいところだが、正味五十分の休憩を全てケーキに使うにはどうだろうかと考える。

「よかったら試食を。お召し上がりになる前に、半分に割ってみて下さい」と差し出されたのは、小さなミニ・マドレーヌ。遅番である牧野は小腹がすいていたのでありがたく受け取り、言われた通りに二つに割ると、中になにか輝くものが見えた。


「わあ、当たりですね!」


 パティシエの弾んだ声に、思わず惚けた顔になって「当たり?」と聞き返せば。これは一定の確率で銀の粒が当たる魔法菓子なのだという。


「今日はいいことがあるといいですね」

「いいこと……」


 銀らしい上品な輝きに見とれていたが、鼻をくすぐる爽やかな香りにはたと気づき、粒がないほうを口に運ぶ。

 爽やかなレモンの風味とバターの香りが口の中いっぱいに広がる。しっとりとして、それでいて軽やかだ。小さめに焼かれれば生地はどうしても固くなったりするものだが、そんなことは一切ない。

 この店は美味しい。牧野の勘がそう告げている。


「あの……ボイスマジック・ロッカー以外、全部一つずつ下さい!」


 東京に居た頃はよく言っていた言葉が、久しぶりに彼の口から滑り出た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る