番外編 ムキムキマリトッツォの罠

「本当に、ほんとーに動画一回こっきりだけだからね!」

 何度も念押しされた末、うちのお抱えパティシエどのがついに首を縦に振った。やったやったと小躍りすると「食べるのは君だからね。間違っても幸久くんを巻き込まないでよ」と釘を刺されてしまった。

 俺がオーナー兼店長を務める「魔法菓子店 ピロート」のシェフパティシエである天竺蒼衣は、魔力のある菓子を作ることのできる、魔法菓子職人だ。

「この前ヨネダで無理させちゃったんだから。このお菓子の魔法効果は、ほんの少量でも十分発動するし、味もカロリーも……」

「わかってますー、体を張るのは俺の役目ですー。販促用、プロモーション、この動画限りの試作品! 店頭販売はしないってしつこく書くから!」

 何度も聞かされた注意事項を遮って、鼻息荒く条件を述べる。

 普段は温厚で穏やかなパティシエ殿だが、魔法菓子に関しては普段のそれを全て引っ込めて、怖い顔になる。仕事に関しては本当に真剣で、責任感も強く、そして存外頑固だ。まさか、一昨日の休みに駅で怪しい壺を買わされそうになった優男と同一人物とは思えない。出来れば実生活でもこのくらいの気迫を出してくれればいいのに、と余計な一言はすんでの所で飲み込んだ。

 今回、彼に試作を頼んだ魔法菓子の効果は極度に体への変化が大きく、最初そこ渋っていたが「販売促進のためのプロモーション動画に使う」「絶対に商品化はしない」という約束の元に、考えてもらったのは――。

「まあ、あの魔法効果があるマリトッツォに需要があるかは、僕にもわからないけど」

 マリトッツォ。イタリア発祥の伝統的なデザートだ。日本では現地で実際に食べられているレシピをアレンジしたものが主流で、バターをふんだんに使用したブリオッシュパンに、これまたたっぷりと生クリームを挟んだものが多い。見た目のインパクトとリッチな味がウケて、ここ数カ月で異例のブームになっている。

「見た目のインパクトはデカいからな」

「柔らかくておいしいし、流行るのもわからなくもないけど……。君もね、もう三十路なんだから、あんまり無理しないでほしいんだけど」

 僕ら、学生時代とは違うんだよ……と、俺よりも随分と童顔の顔でしみじみ言われても実感がない。先日ヨネダコーヒーであのサンドイッチと白ノワールを平らげた奴に言われたくはないのだが、それはそれ、これはこれなんだろう。

 それに。

「大丈夫大丈夫、なにせ天竺蒼衣の作るマリトッツォだぞ? 体張ってでも楽しみたいじゃん」

 一度は本格フランス菓子を目指した蒼衣が作る魔法菓子の味は、期待を裏切らない。そして、魔法効果も、どうあっても他人(ひと)に優しくあろうとする蒼衣の作るものだからこそ、こちらの意図を汲み取り、面白い効果が出ると信じている。それに伴う多少のリスクは、とっくの昔から織り込み済みだ。そんな覚悟がなければ、魔法菓子店の店長などしないし、そもそも相手が蒼衣でなければやれないことだった。

「……そうやって八代に言われると、弱いんだよ。僕は」

 どこか困ったようにはにかんだ表情をするときの蒼衣は、本心から嫌がっていないことを、俺は知っている。

「いやあ、俺は蒼衣とヨッシ―を口説くのだけは自信があるので」

「まんまと口説かれたってことか。僕の負けだね。来週には、試作を作ってみるから」

 よろしくお願いします! と勢いよく頭を下げると、蒼衣は「そんなに期待されるとやりづらいよ」と笑った。



 一週間後、試作のマリトッツォが完成した。閉店後、喫茶スペースの一角を撮影場所に決め、機材をセッティングした後、ついにお待ちかねの魔法菓子とのご対面だ。

 新鮮なバターがたくさん入った手製のブリオッシュに切り目を入れ、ふわふわのクリームを詰め込んだマリトッツォ。見ただけでも十分にそのうまさが伝わるとは思ったが、実際に食べると、想像を絶するうまさだった。

 リッチなブリオッシュ生地は、ふわふわと軽く、しかし口の中でしっかりとバターの香りが広がり、満足感を与えてくれる。口どけの良いクリームは濃厚で、それでいてしつこくない。ほんのりと香るオレンジコンフィの量はそれほど多くないものの、刻んだそれを噛んだ瞬間に広がる甘酸っぱさとクリームが重なった瞬間、全身に力がみなぎってくるような感覚に――魔力効果が体に出たサインだった。

「うおっしゃ、今だ!」

 机に乗っているのは、筋トレに使うダンベルだ。20kgのそれに手を伸ばし、片手で持ちあげる。

「軽いっ!!」

 いとも簡単に持ちあがってしまった。

 断っておくが、俺自身に大層な筋肉が付いている訳ではない。一応ジムにも通っているのだが、業務上致し方ない試食のおかげで、効果は目に見えていないのが最近の悩みである。

 そんな俺が、羽でも持ち上げるかのようにダンベルを持ちあげることができたのだ。驚かない訳がない。

「ほあー、すごいな……本当に筋力が上がるんだ」

 作ったはずの本人が、俺の驚きを知って(蒼衣は、自分の作った魔法菓子を食べた人間の『感情』が分かるのだ)ぽかんと口を開ける。

 魔法菓子は食べてみないと、実際の効果がわからない。故に、試作は必須である。

「ほんの少し使っただけなのにな……フォルマージョ・トッツォっていう、一瞬だけ筋力量を上げるイタリア産のチーズで、魔力を体にため込んだ羊から絞った乳が原料だよ。現地では、お祭りで踊る前に食べるんだっけ。踊る相手を持ちあげないといけないから。八代が動画を見せてくれたっけ」

 作る際に調べて出てきた、イタリアのお祭りの動画を思い出す。

「確かに、これならどんなひとでも持ちあげられそうだぜっ」

 全身にみなぎる活力のおかげで、若干気が大きくなった俺はちらりと我が相棒の顔を見る。その瞬間、彼は真顔になって顔を恐ろしい勢いで横に振った。

「おお、我が親友よ……」

「ちょっ……僕を持ちあげるのは勘弁して?! 動画のこと言わなきゃよかったっ」

 しまった、奴は感情がわかるのだった。が、そういうことは織り込み済みなので問題ない。

「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんで試してイイカナ……?」

 ひょいひょいとダンベルを上げ下げアピールしながら、蒼衣の顔をじっと見つめる。

「幸久くんにはしないからさ……」

「うわーっ」

 ダンベルを丁寧に床に置いた後、わあわあ言う蒼衣の胴をがっしり掴み、いざ持ち上げようとしたが。

「……重っ!」

 いつの間にか高揚していた気分は消え、俺はダンベルを持ちあげられない中年男性に戻っていた。うん、流石に172センチの、細く見えるが存外筋肉のある中年男性(童顔でも歳は同じだ!)を持ちあげるのはまあ、苦労するだろうな。

「魔法効果切れです」

 いつになく低い蒼衣の声が、怖い。

「大変申し訳ありませんでした……」



 その後、おかんむりな蒼衣を静めるため、録画したデータは消去、この話は無かったことになる。余ったクリームは、俺と蒼衣が責任を持って食べ、ずっと掃除していない店の倉庫の片づけをすることでなんとか消費したのだった。


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※歌峰さんのアイディアを拝借して書きました。ありがとうございます!

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