期待の大型新人と雲クリームの反乱9(終)

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「イベントチラシに大きく載せてもらったのはうれしいけどさ……これ以上どう目立たせろって言うんだよ、おっちゃん……」


 幸久が雲クリームを爆発させて一週間後の、土曜日の午前中である。八代は一枚のチラシを手にして、嘆いていた。


「さっきの浅野さんのお願いだよね? ええと、えすえぬえすばえ……だっけ?」


 つい先ほど、イベントチラシのレイアウトを見せるためにピロートを訪れた浅野は、メインで売り出す魔法菓子『ランタン・モンブラン』に、更に工夫をしてくれと言ってきたのだった。


「そうそれ。SNS映え。簡単に流行りが作れたら苦労しねえってよ」


 んもー、無理ばっかり言ってさぁ、と八代が再度ぼやく。八代の持つイベントチラシの仮刷りを背後から覗き見た蒼衣はつい「ばえ……」とこぼした。


「あのう、そもそも『ばえ』……って、なんだっけ?」


 昨今やたらめったら聞かれる「ばえる」なる言葉がよくわからない。八代も客もケーキを見る度に言うので、なにかしらの流行語なのだろうと思っていた。


「食べ物とか景色とか、綺麗にお洒落な感じに撮った、目立つ写真を『映える』って言うんだ。たまに見せるだろ。真四角い形の、魔法菓子を撮った宣材写真みたいなやつ」


 八代に見せてもらうSNSとやらの画面は、確かにやたら綺麗な写真が多い。


「ええとつまり、見た目がいいものにするってこと?」


「変えられるのか?」


「うーん……見た目を変えちゃうと、魔法効果の調整が……難しいかな」


 下手に飾りを付けると、せっかくの光る効果が綺麗に見えないだろう。クリームの分量も構造も、魔法効果とのバランスを考えて設定している。故に、今からデザインを変えるとなると一苦労だ。


 男二人がカウンターの中で唸っていると、厨房を繋ぐドアが開く。


「シェフ、すいません。さっきの計量なんですけど聞きたいことがあって」


 幸久が顔を出した。


「ごめん八代、幸久くんとちょっと話すね」


 八代に断りを入れ、ドアを出た幸久の話を聞く。金の粉が固まっていたのだがどうしたらいい、と言われたので「それは一緒にやろう」と返事をした。

 あれ以来、幸久はどんな些細なことでも蒼衣に訊ねてくるようになった。そして、面と向かって小ばかにしてくる様子は今のところは無くなった。彼にも、なにか思う所があったのだろう。

 時折、手元をじっと注視されるのはいささか緊張するものの、それも彼の熱心さの表れだと思えば、かわいいものだ。

 蒼衣の返事に「わかりました」と言って戻ろうとする幸久だったが、チラシが目に入ったのか「これってハロウィンイベントのですか? モンブランの新作を出すっていう」と、珍しく会話を振ってきた。


「そうなんだ。でもね――」


 それが嬉しかった蒼衣は、先ほど八代と悩んでいたことを説明し、ついでに、タブレットで写真と動画を見てもらうことにした。すると、八代が蒼衣の肩を叩いた。


「蒼衣、幸久くんに意見、聞いてみたらどうだろう。俺も一応、映えってのを理解してるつもりでいるけど、三十路のオッサンだから感覚が違うだろうし。おまえはそもそも映えに疎いし」


「いいのかい? その……」


 蒼衣は言葉を濁す。

 販売促進などの担当は、一応店長でありオーナーである八代である。以前、幸久の態度にご立腹だったはずだ。


「俺は、おまえのお菓子がより多くのひとに『イイネ』って思ってもらえるなら、なんでもする男だぜ?」


「またそういう、大げさなことを君は言うんだから」


 なんてことのないように言うものだから、さらに手に負えない。そんな彼を、精神的なよすがにするほど慕って――友情というには大きすぎ、かといって、恋愛の慕情とも違うそれだ――いる蒼衣は、照れ隠しに、斜め上あたりの虚空を眺めてしまう。


「画像、ありがとうございました」


 ヌッ、と、八代と蒼衣の間に、タブレットが差し込まれる。我に返った蒼衣は「ど、どうだった?」と若干裏返った声で訊ねる。


「よかったら、幸久くんにどう見えるか意見を聞きたくて。前に一度、焼き菓子の棚を工夫したことあったでしょう? 八代から聞いたよ」


 すると幸久は、顔を青くして「あれは、その」としどろもどろになる。


「センスがあるなあって思ったんだ。だから、なにかアイディアがもらえたらいいなって」


「それ、いつまでにですか」


「週明けがタイムリミット。チラシの写真差し替えが月曜までなんだってよ」


 どこか楽しげな八代の声に、幸久は「マジっすか」と言いつつも「考えてみます」と返事をしてくれた。


:::


 年齢不詳のオッサンもとい、天竺蒼衣は、変わり者だ。

 帰りの電車の中で、ケーキの箱を手に持った幸久はそんなことを考えていた。

 

「お疲れ様。そうだ、余ったケーキ、持って帰る?」


 閉店後、蒼衣から声をかけられた。十月の土曜日は客足も多く、売れ残ることは少ないのだが、今日はたまたま余りが出たらしい。

 実際にケーキを食べることも、勉強だと蒼衣は言った。

 通っている大学と住んでいるアパートは、名古屋でも彩遊市に近い場所にあり、電車で一本の距離だ。最寄駅で降りた幸久は、アパートに向かう途中の公園に立ち寄る。アパートの壁は薄く、騒音が気になるので、くつろぐには向いていない。

 ベンチを見つけた幸久は、途中、コンビニで買い求めたホットコーヒーとフォークを傍らに置いて、ケーキの箱を開ける。


「……プラネタリウム」


 初出勤日に「うちのスペシャリテ」だと紹介されたケーキだ。母が食べたという新作にも使われた「星のかけら」を星座に見立てた、ドーム型のチョコレートケーキである。


「なんなんだよ、あのひと」


 幸久は、魔法菓子職人である広江に憧れている。しかし母は、幸久が職人になることにずっと反対していた。諦めきれない幸久が、春に入学した大学を辞めてでもと言い出したときに、ピロートでのアルバイトを提案してきたのだ。

 昔、厨房でかすめ見た頼りない青年が、ぴかぴかのコックコートを着て母に褒められているのを見た瞬間に湧いたのは、嫉妬に近い感情だった。

 店頭で、金のミニフィナンシェを見たときうっかり「なんであのひとなんかに」と囁いた声が聞こえていたのかは、わからない。

 見返したい、自分もできる人間なのだとわからせてやりたい。だから雲クリームを作ろうとして、爆発させたのが先週だ。

 あの事故の日、彼は間違いを犯した自分を責めもせず、その上「これからも一緒に働こう」と説得された。


「普通、ミスった学生バイトに意見求めるかよ」


 しかも、今日は「君の意見を聞きたい」とまでいった顔を思い出し、幸久は悪態をつく。

 ドの付くほどのお人好しなのか、優しすぎるのか、はたまた、考えが足りないお花畑の頭なのか……。しかし、やはり母が認めたパティシエだ。仕事ぶりは普段のおっとりした様子からは想像できない真剣さと繊細さで、ついつい手元を見てしまう。(それでも叱ったりしないのだから、やはりお人好しなんだろうな)

 ケーキにフォークを差し入れる。瞬く間に、夜の闇に星座が浮かびあがる。

 切って、口に入れる。何度か仕込みを見たことはあっても、食べるのは初めてだ。

 口どけの良さ、甘さの加減、ビスキュイ・ジョコンドから広がるアーモンドとバターの風味。

 ケーキのラインナップからディスプレイまで、とことん「アットホームな町のケーキ屋さん」の顔をしてるくせに、ただ「甘くておいしい」だけじゃない風味づけをしてくるのがずるいと幸久は思う。チョコレートムースに入れるナッツをわざわざカラメリゼしてから砕いているし、ジョコンド生地にほんの少し、バニラシュガーらしきものを入れている。

 

「……届かない」


 思わずぎゅっとつむった目の端に、星が光る。

 みっともない自分なのに、彼は手を差し伸べてくる。その優しさが、まるでお菓子のように甘い。

 悔し涙だと気付きたくなくて、しばらくの間、まぶたの裏の星ばかり眺めていた。

 ――時間にしておおよそ五分もせずに、星は消え去った。幸久は残りのケーキを食べ終え、コーヒーを飲む。

 公園のライトをぼんやりと眺め、空になったケーキ箱をなんとなくつついて揺らしていると、はっとひらめいた。


 光る、手元、ぶら下げるもの。


「ランタン……」


 ケーキのデザインを変えられないなら、入れる「箱」を工夫すればいい。

 幸久は勢いよく立ち上がり、空箱を揺らしてアパートへと駆けていった。


:::



 十月三十一日の夜、商店街のハロウィンイベント開催日である。

 会場となった商店街の大通りには、古今東西、さまざまな仮装に身を包んだひとたちが歩き、適度な賑わいを見せていた。


「雨が降らないでよかったね」


 商店街の大通りに配置――Cブロックの角――に配置された『魔法菓子店 ピロート』のテントの中に、蒼衣と幸久は立っていた。

 店先に現れたお客が、店頭に並べられた箱を指さす。


「わー、めっちゃかわいい箱! ランタンみたい」


「ケーキは、食べるときに光るんですよ」


 興味を持ってくれたお客に、蒼衣は説明を滑り込ませる。


「だからランタンっぽいパッケージなんですね」


 お客の目の前にずらりと並ぶ、小さな縦長のパッケージは、明るい橙の光を灯したファンシーなランタンの絵が印刷されている。小窓のように小さく紙を切り抜かれた部分から見えるのは『ランタン・モンブラン』のクリーム部分だ。

 お客は会計が済むと、箱の上部に付けられた紐を持って、揺らしながら店を去って行った。


「幸久くんの考えたパッケージ、すごく人気だね。素敵なアイディアだよ」


 浅野の無茶ぶりに対し、幸久は「ランタンの絵が印刷され、中身がのぞき窓から見える箱にケーキを入れる」「それを持ち歩かせることで、購買意欲を促す」というアイディアを出したのだった。

 ケーキのデザインが変更できないのならば「梱包」で見た目を変えればいい――彼のアイディアは、ケーキの都合も、浅野の希望も叶える良いものだった。


「……褒められるほどのもんじゃないです。学校なら、あれくらいのレベルのもの、いくらでも考えるヤツいますし」

 

 どこかふてくされたように言う幸久ではあるが、お客の反応は予想以上に良いのだ。ありがたいことである。

 そうこうしているうちに、会場に訪れるお客が増えてきた。ランタンを模したパッケージはどのお客も驚き、ハロウィンらしいと喜んで買っていく。


「幸久くん、見てごらん」


 すでに日は落ち、照明がこうこうと輝く会場内。

 ぽっ、ぽっ、と灯るオレンジの明かりを指さしながら、蒼衣は幸久にささやきかける。

 夜の祭りに浮かぶ明かりが、ゆらゆらと揺れる。

 そう、明かりは、ランタン・モンブランのものだ。

 場内には、臨時の椅子と机が置かれた休憩所が点在しているので、その場で食べていくひともいるのだろう。


「君のおかげで、ランタンが綺麗だね」


「……綺麗なのは、魔法効果ですよ。シェフのケーキの」


 幸久は、どこか拗ねたように言う。褒められ慣れをしていないのだろう、と思うと、ますます褒めたくなる。かくいう蒼衣自身も、褒められるのはいまだに慣れない。だが、八代も「やったことを褒めること」が大事だと言っていたし、自分自身もこの一年間、八代やお客の言葉で前を向いてきた。


「でも、お客さまが『選んだ』きっかけは、君のパッケージだよ」


 見せ方次第で、お客の受け取り方も違う。持って帰られるだけだったケーキが、会場内で「ランタン」としての役目を果たしている。


「だから、今は一緒に喜ぼう」


 まずは、成功体験を積み上げていこう。それがなによりも、幸久の力になると蒼衣は信じたい。

 幸久は黙っていたが、その口元には少しだけ笑みが浮かんでいた。


◆期待の大型新人と雲クリームの反乱 おわり

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