期待の大型新人と雲クリームの反乱8

「まずは、雲クリームのことを、全部教えてあげられなくて申し訳ない」


 席に戻り、幸久と向かい合う形になった蒼衣は、まずは自分のミスを謝ることにした。

 雲クリームの温度変化と、製造中にあたたかい空気が入り込むと爆発することを説明する。


「これは僕のミスだ。君を危険な目に遭わせて申し訳ない」


 本来、蒼衣がきちんと彼のそばについて指導していれば防げた事故だ。それを忙しさを理由に放置してしまったのは、紛れもなく蒼衣のミスだろう。

 すると彼は「なんで」と顔を歪ませた。


「なんで怒鳴るとか、責めるとか、しないんですか」


 彼から「困惑」の気持ちが――先ほどのフィナンシェを食べてもらったのだ――伝わってくる。


「怒鳴って責められても、信頼関係はできなかったよ。少なくとも、今までの経験ではね」


 脳裏に五村が浮かぶ。あのとき、少しでも歩み寄ってくれれば。そして、自分も歩み寄れば。五村はどう思ってるかわからないが、少なくとも自分は、彼のような指導はできないし、したくなかった。


「雲クリームは、魔力含有食材の中でも、事故率が昔から高い食材なんだ。僕も昔、その特性を知らなくて同じように爆発させたことがあってね。知っていれば、君はきっと爆発させなかった。でも、知る時間も、機会も与えなかったのは、師匠である僕の責任だ」


 大体のトラブルは、知識と経験不足によるものだ。幸久がどれだけ手際が良かったとしても、それは「魔力含有食材のことを上手く扱える」とは限らない。そこは、蒼衣の反省する部分だ。


「だからこそ、僕と一緒に働いて、魔法菓子や魔力含有食材のことを、覚えてほしい。それは、君のの力になるよ」


 彼が本当に目指しているのは、広江だ。だが、そこにたどり着くためには、ここピロートを越えていかねばならない。

 しばらくの間、無言の時が流れる。

 幸久が、おもむろに顔を上げた。


「……俺が要領よくやれることを、シェフがもっと分かってくれれば、一年と言わず、すぐに母さんの弟子になれると、思ったんです」


 内容だけなら威勢が良いが、その実彼の声はか細く、弱かった。

 慢心と、焦りと、そして後悔の気持ちが、蒼衣に伝わる。


「俺のためになるって母さんは言ったけど、小さな店だし、皿洗いばっかりだし、シェフはどっか間が抜けてるしで……正直、舐めてました。でも、その結果があの爆発。そうですよ、俺、知らなかった。知らなかったのに、俺でもやれる、見せてやりたいって思って。なのに」


 顔を覆い、震える声で幸久が言う。


「俺のこと心配して、手だってあんなに冷たくなっちゃって。今だってこうして、自分のミスを謝って……どんだけお人好しなんですか」


 だが、彼は心底落ち込み、混乱し戸惑っている。

 おそらく、幸久自身もわかっていないのだろう。暗雲の中、気持ちが見えない不安……だから、雲クリームを作る……安易に成果を出そうと、極端な行動に走ったのかもしれない。


「身勝手で爆発させて馬鹿みたいだし、マジ恥ずかしいんですよ。だから、クビだと思って」


 たしかに、青臭くて、身勝手で、確かに「馬鹿みたいな」理由だ。

 今までいた店なら……たとえば、パルフェであれば、即背中に蹴りを入れられ、荷物ごと勝手口から投げ出されているだろう。まさに彼が言う「クビ」である。

 だが、蒼衣は知っているのだ。こういう「馬鹿みたいな」理由で動きたくなることを。

 夏前の講習会で、慢心に駆られて五村へ話しかけた自分が蘇る。あのとき感じた羞恥や情けなさと、今の幸久の気持ちは似ているように思えた。

 ――そう、これはきっと、幸久なりの「自分を見てくれ」というメッセージだ。


「正直に教えてくれてありがとう。うん、なんだか、自分はやれそうだ、っていう気持ちのときってあるよね。魔が差した、っていうか。そんな感じの」


 幸久が、顔を上げる。「シェフでもそんなことあるんですか」と零れた声に「つい、最近ね。しかも、否定された」と苦笑する。


「自分を見てくれ、って前に出過ぎてね。彼とは価値観が違うのに、勝手に期待して、勝手に傷ついて。傍から見れば、子どもが駄々をこねてるような感じだったと思う。でも……」


 信頼、は短い時間で作られるものではないとわかっている。だが、一回の失敗ごときできっかけを失ってしまうのは、あまりにも無情だ。そんな苦しみを、弟子に味合わせたくない。


「それでも僕を信じてくれるひとがいたから、今、僕は職人をしているんだ。だから、僕も君のことを信じたい。クビになんてしたくないよ。でも、最後は君が決めることだ。君の人生だからね」


「俺の、人生」


 人が良すぎる、と八代に言われても、いくら鈍いところを軽んじられても。

 自分の店だからこそ、丁寧に、ゆっくり育てていきたい。

 だが、それは今、蒼衣が勝手に思っていることに過ぎない。

 

「幸久くん。僕の作った『金のミニフィナンシェ』の味は……君がここで働く価値があると思うかい?」


 自分と幸久の関係にいびつさがあったのは「他人から与えられた選択肢」だったからだ。

 蒼衣自身も、広江に良い顔をしたかったばかりに、彼の気持ちを無視していた。今、それを確かめれば……皆、納得できるかもしれない。

 自分で決めることは、とても難しいし勇気がいるけれど、とてもとても、大切なことだ。


「……シェフの『金のミニフィナンシェ』。母さんのレシピを借りたって言ってましたけど、別物です。母さんのと似てるけど、違う。でも、今の俺には、その違いがわからない……だから」


 彼の心に渦巻いている感情は、混沌としている。受け止めきれない感情の波が、彼の心を揺さぶっている。しかし、波に抗っていることもまた、伝わってくるのだった。


「まだ、ここで働きます。天竺蒼衣と、三蔵広江の違いがわかるまで」


 宣言されると同時に、じっと見つめられる。伝わってくる強い意志の気持ちにやや気圧され、蒼衣は「はひっ」と間の抜けた声を出してしまった。

 幸久が、アルバイトを辞めるのは阻止できたようだった。

 そして同時に、自分とは違う価値観とプライドで生きるこの青年と、一緒に働きたくことが楽しいのではないか、とふと思った。

 誰かと一緒にいるのが面白そう、と思ったのは、八代以外ではひさびさではないだろうか。


「うん……改めて、よろしくね」


 ああ、これが八代の言う「面白い」ってことか。

 なんだか違う世界が見えたようで、蒼衣はその期待に胸が膨らむのであった。


:::


「蒼衣、金のフィナンシェが『アタリ』なこと、知ってただろ」


 閉店後、幸久が帰った後の店内。帰り支度をしていた八代が、蒼衣に話しかけた。


「……ばれてた?」


 やはり八代にはばれていたのか。蒼衣は「ごめんなさい」と誰に言うでもなく謝る。

 蒼衣は、師の広江ほど「魔力含有食材の声を聞く」ことはできないが、魔力を感じることは出来る。たとえば、焼きあがった「金のミニフィナンシェ」に、金の粒が入っているものを見つけ出すのは可能だ。


「結果オーライだからいいけど……おまえには珍しい啖呵の切り方で、俺は驚いちゃったぜ。いやあ、ほんと、お菓子が関わると、ずいぶんとしたたかだなぁ」


「ああいうときにさ、やっぱり、追っかけてほしいのかなあって。師匠……お母さんにも突き放されて、僕にまで突き放されたら、悲しい、と思って。甘いのは重々承知してるよ。だから、最後に『君が働くのに値する味なのか』って、選んでもらった」


 十八歳は、子どもとは言えないが、大人ほど、うまく振る舞うのは難しいだろう。蒼衣自身でさえ、つい最近まで八代に泣きついていたのだ。彼の複雑な心境を思った蒼衣は、見過ごすことができなかったのだ。


「僕も、彼に恥じないようにがんばらないと」


 選んでもらった以上、蒼衣も「師匠」としてがんばらねばならない。新たに決意を固めていると「パーティシーエくーん」と八代が忍び寄り、大きく肩を組んできた。


「うわっ、だからいきなりはやめてってば」


「ハハハ……でも、あんまりがんばりすぎんなよ。俺だって、幸久くんだって、頼っていいんだからな」


「そう、だね」


 一人だけでがんばらなくてもいい、と学んだのはつい最近だ。気張るとどうしても忘れがちになるそれを、思い出させてくれるのはいつだって八代だ。


「なにせ、これから……地獄の冬だからな」


 しみじみ呟かれた八代の言葉に、蒼衣は思わず「ゲッ」とカエルがつぶれたような声が出た。


 地獄の冬……クリスマスから母の日にかけて、冬から春はケーキ屋の繁忙期だ。特に、クリスマスは去年を思い出すだけでもゾッとする。


「……あんまり考えたくなかったことをさらっと言わないでくれるかな、店長さん!」


「今年は人員も増えたからな! がんばれ負けるなパティシエくん!」


「あああまた徹夜の日々が始まるのか~!」


「その前にハロウィンだぞ」


 ひとまずは、カボチャのお祭りをなんとかしないといけない。蒼衣はひたひたと近づいてくる冬の足音に戦々恐々とするのだった。

 

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