期待の大型新人と雲クリームの反乱3
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「それは、怒ったほうがよかったかもしれないなあ、蒼衣」
「でも、怒ると叱るは別でしょう」
「それはそうなんだけど」
幸久が帰ったあとのこと。店じまいをしたあと、夕飯を一緒にと誘ってきたのは八代だった。
八代はノンアルコールビールの入ったグラスを持ち上げ、一口煽る。次いで「冷や奴って季節じゃねーけどこれは美味いのだ」と言いながら、机にある四川風冷や奴を口に運んだ。
場所はいつも通りの中華料理屋「きんとうん」である。
薬味がたっぷり、真っ赤なラー油が白い豆腐に映える冷や奴、卵とトウモロコシのスープ、湯気が漂う八宝菜と唐揚げに、大盛りのご飯。そして、八代の前にはノンアルコールビールの瓶。蒼衣の前には、チューハイのグラス。
八代が蒼衣を食事に誘うのは珍しくないものの、たいてい定休日の昼か夜に自宅に招かれるか、東一家と共に外食をすることが多い。休前日に誘われるのは珍しいことであった。
冷や奴辛ッ、と水を飲む八代を見ながら、蒼衣もチューハイのグラスを傾ける。
目下の話題は、弟子である幸久のことである。
八代が食事に誘ったのは、蒼衣が幸久と上手くやれているかを尋ねたかったかららしい。店では話す暇がないし、幸久本人の耳にはこういった話は入れないほうがいい、と。
「あまりお前に言いたくはないが、入って三日目のアルバイトで直属の上司に向かって『これじゃあ、どっちが弟子だかわからない』なんて、普通は言わないもんだが……言っちゃったのか、あの子」
「はは、言われちゃったね……」
ばつが悪いので、明後日の方向を眺めてしまう。
最初は、なにを話していいかわからなかったが、アルコールが入れば多少は口がなめらかになる。いの一番に話題にしたのは、幸久のあの言葉だった。
「手が早いし、助かるんだけど、少し、息が詰まるかな。なんというか……軽んじられているというか。なにを考えてるのか、わからないというか」
所在なくグラスを手にする。アルコールで酔って忘れてしまう類の感情ではないような気がして、再び口を付けるのはためらわれた。
「まだ知り合って一週間しか経ってないから、わからないんだけど。全然、雑談もできなかったし……新人さんって、あんな感じだったかなぁ」
改めて思い出すと情けない。しかし、彼が声をかけてくれなかったら、ジェノワーズを休日の厨房に置き去りにして、台無しにしたかもしれない。彼の言葉通り、どちらが弟子だかわからないのは本当じゃないかなあ、と思う自分もいるのだ。
「あと、僕のこと名前で呼ばないんだよね、幸久くん」
いささか残念な気持ちで吐き出せば、八代が「そこかよ!」と苦笑した。
「おまえ、お客さんにすら名前で呼んでって言うくらいだもんな。この、天然タラシが」
「別に、たらし込もうとして言ってるわけでは……」
幸久は、蒼衣のことを「シェフ」とだけ呼ぶ。初日から、下の名前で呼んでくれと伝えてあるのだが、彼は頑なにそうしないのだった。
「名前で呼ばれると、少しはそのひととの距離が近くなるかもしれないって思って」
「普通の職場ではあまり聞かないな、最初から名前で呼ぶってのは」
「そうだよね。でも、なんだかんだで、師匠も……五村シェフも、そういうひとだったから」
広江は蒼衣に対して良き師匠だ。五村とは、かつては上手く行かなかったが……それでも、今の蒼衣にとっては憧れる対象の一人である。
「おまじないみたいなものだよ。名前で呼ぶのは」
二人のようにありたい、という蒼衣のささやかな願掛けである。「弟子」を持ってしまった今は、特に強く思う。
「でも、むずかしいね」
はあ、と小さなため息が漏れる。すると八代も「難しいよなあ新人教育は」と言う。
「まあここで俺の怒りを聞いてくれよ蒼衣。俺も店で接客を教えてるときに、あの子が焼き菓子のスペースを見て『ディスプレイダサっ』って呟いたの聞いちまって」
「ええっ」
なんと反応していいのだろうか、蒼衣は一瞬、言葉に詰まる。焼き菓子のギフト展開や陳列は、一応蒼衣も意見することがあるのだが、基本的には八代の担当である。
さっき、棚を見ていたのはそれが理由だったのかもしれない。
「これでも一応、講習とか本とか他店とか、研究してやってるつもりなんだけどな……蒼衣にダメだしされるんならともかく、十八歳の若人に言われるのはおじさんでもちょっとイラっときたね、ハイ」
「うちのカラーに合った、手に取りやすい感じだと思うんだけども……幸久くんは、きっとデザインのことを勉強してるから、気になるんだと思うよ」
ちょっとしたミニギフトから、会社での「お使い」にも使えるような詰め合わせを揃え、あまり奇をてらわないよう、身近に感じてもらえるように、というのがピロートのギフト・コンセプトである。
名称と値段がわかりやすい値札と、オーソドックスな並べ方のディスプレイは、よく言えば「安心感」ではあるものの、そこに目新しさや派手はさ無い。
たとえば「パルフェ」のような、黒や金を基調にした高級感あふれるデザインとディスプレイ――たとえば、焼き菓子一つ一つが、芸術品のようにアクリルケースに入れられたりするようなものとは対極にあり、デザインに興味を持つ若者が「ダサい」とこぼしてしまうのは、わからないでもない心理だった。
「あんまりにもイラっと来たんで、つい大人げなく『じゃあダサくないようにしてみてくれ』って半ば冗談で言ったんだよ。そしたら……」
「そしたら?」
八代はスマートフォンを操作すると「見てみろ」と画面を蒼衣に向ける。それは、ピロートの焼き菓子を並べてある壁沿いの棚の写真だったが、なにかが違う。
「わあ、なんか……迫力、あるね。金のミニフィナンシェと銀のミニマドレーヌの袋がいつもより多く積まれてて、目に飛び込んでくる。あと、このミニギフトの包装の大きさと間隔を揃えてあって綺麗だね。あ、リボンの結びが違う。目新しい感じ……いつもの店内なのに、違う感じがする」
「……だろ? 良くなっちまったんだよな」
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