自由の夢を描くペン・エクレア4

 今から遡り、二時間前のことである。

 ほぼ一睡もしないまま、ピロートの厨房で定休日の火曜朝を迎えた蒼衣は、生気のない顔で作業台に突っ伏していた。


「浮かばない、なぁ」


 台の上に散らばるのは、アイディアを書きためるためのスケッチブック、自室から持ってきた数々の技術指南書、雑誌の切り抜き、古ぼけた歴代のレシピノート……。

 広江に言われた「自分らしいエクレア」のレシピを作るために意気込んで持ってきたのはよかったが、思いつかなかったのだ。

 思い立ったら、早く解決したい――というよりは、いてもたってもいられなくなるのだ。頭の中が課題でいっぱいになって、他の業務に手が付かなくなる。このまま水曜の通常営業を迎えられる自信はない。

 今夜中にアイディアだけでも……と欲張った結果が徹夜である。しかし、書き散らした中でものになりそうなアイディアは皆無だ。


「自分らしい……かぁ」


 自身の想いは常にケーキに込めている自負はある。だが、それは明確なコンセプト――「魔法菓子店 ピロートとしてのケーキ」に合わせた上でのことだ。


「今まで八代と一緒に考えてたからなぁ」


 ピロートのラインナップは、蒼衣の持っている魔法菓子レシピを基に、八代からの「郊外のファミリー向けに求められるケーキ」というコンセプトを合わせて作られた。そのため、改めて「自分らしさ」が、わからなくなってしまったのだ。

 参考にと本をめくれば、美しい飾りやフルーツをふんだんに使ったもの、リッチな生地や珍しい材料を使ったもの――派手で見目麗しいものばかりが目に入る。それは普通の洋菓子も同じで、魔法菓子ならさらに効果も合わせなくてはいけない。

 しかも今回、八代のアドバイスは封じられている。

 寝るときに必要なお気に入りの毛布がない――とまでは言い過ぎだが、開店以来共に考えてきた相棒がいないというのは、心細いのが本音である。

 だが、今年の夏の一件でも、散々他人に迷惑をかけた。

 八代「だけ」に頼りすぎるのを減らそう。自分で考えることは大事なんだ――なんとか山になった雑誌の一冊を手に取る。パラパラめくる中、目にとまる記事があった。


「……パルフェの、新店?」


 それは「パティスリーパルフェ」が二号店を栄に出すことを告知する記事だった。


 寝不足由来の勢いのまま来てしまったはよかったが、いざ店を目の前にすると、足がすくんでしまう。

 場所は違えど、蒼衣にとっては因縁の店である。だが夏に再会し、紆余曲折あって長年自分の中にあったわだかまりが解けたのも事実。しばらくオロオロしていたが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、重めのドアに手をかけた。

 きらびやかなシャンデリアに、シンプルで高級感あふれる店内。広々とした店内に置かれたショーケースの中には、一つずつ美術品のように並ぶケーキがあった。

 静かな店内は十分に冷やされている。若干肌寒いとも感じるが、お菓子の鮮度維持のためだろうと思う涼しさに、五村らしいと蒼衣は思った。

 高級ホテルさながらのスマートな接客にあたふたしつつ、せっかくだからと喫茶で食べることにする。

 喫茶室は運が良かったのかお客は少なく、有閑マダムよろしくご婦人らが談笑に華を咲かせている程度である。

 その中の一席で待っていると、薫り高いコーヒーと共に、先程選んだケーキが運ばれてきた。

 秋の新作「マダム・シトルイユ」――円錐状にクリームパレットナイフでならしたドレスのようなフォルム、光り輝く金の箔押しが美しいケーキピックがささった見た目は、ケーキの名の通り「貴婦人」のように上品だ。

 甘くほっくりとした西洋カボチャのクリームをメインに、ヘーゼルナッツやクルミのキャラメリゼ、ふんわり香るスパイス・ダックワーズが組み合わされている。

 ケーキの上に飾られた角切りかぼちゃのソテーは、ラム酒のフランベで風味づけされ、焦げ目さえも美しさを感じる。マットな質感のビターチョコレートコポーも一緒に食べれば、甘くスパイスの香るダクワーズ生地と、まろやかなクリームが一層引き立つ。

 口の中でとろけ、かぼちゃの甘みを残しつつも、スパイスやリキュールの風味がそれをさりげなく後押しをする。

 美味しいと感じると同時に、自分も再現してみたいという欲がむずむずとわき出す。しかしその一方で、それは本当に自分の作り出したいものなのか、疑問も浮かぶ。食べればその甘さを追い求めたくなる。

 きらびやかに飾ったものを作れば、だれかが自分を見てくれる――。

 甘やかな欲求が生まれそうなその瞬間、後ろに人が座る気配がした。


「それでは、お話を伺っていこうと思います」


 うむ、と低い男の声が背後から聞こえ、蒼衣の背筋が無意識に伸びる。

 まさか、この声は。

 振り向くのは無粋、だが、声だけでもすぐにわかる。


「申し訳ないが、忙しいのでできれば手短に」


「もちろんですとも、五村シェフ」


 パルフェのオーナーシェフにして、蒼衣の元師匠……五村の声だった。



「私は、私の作りたいものを、信念を持って作っているだけです。うちは確かに他の店と違い、見た目と味のインパクトを重視しています。菓子は見た目からすでに味わうものなのです。だからといってパーツをないがしろにしているわけでもない。食べ終えるまで全てが芸術品なのです。昨今映えだのなんだの言いますが、そんなことで満足しているようでは、この先、生き残ってはいけませんよ」


 昔と変わらぬ、どこか鼻にかけた物言いのまま早口でしゃべる五村の声。

 どうやら雑誌かなにかの取材らしいと言葉の端々からわかる。蒼衣は、まだ食べかけのケーキを言い訳にして、聞き耳を立ててしまっていた。


「生き残るための、この豪華さですか」


「ええ。ですがね、うちは全てに満足いただける自信を持っています。そうでなければ、店名に『完璧』の意味であるパルフェなどと付けません」


 パルフェ――フランス語で「完璧」の意を持つ店。粉のブランドからフルーツの産地、果ては商品管理までこだわり、一貫して創作フランス菓子を作り続ける「鬼の五村」。態度や人格への批判はあれど、それでも彼の作る菓子は幾人ものひとの舌を喜ばせ、満足させるのだ。

 苛烈な人柄故に、蒼衣は憧れても共に仕事をすることは叶わなかった。道半ばであきらめた後悔は治まったとはいえ、完全に消えたとは言い難い。

 ずいぶんと自信がおありで、という記者の若干嫌味な言葉に、ハハハと含みのある笑い声が聞こえる。


「それは私自身の矜持であり、他のパティシエはそれぞれの良さを持っているはずです。私の流儀がパルフェ――完璧、というだけのこと」


「さすがは製菓業界に住まう『鬼の五村』的な発言ですね」


 感心する記者とは違い、はて、と蒼衣は心の中だけで首をひねった。

 後半の言葉はともかく、前半は五村にしてはずいぶん柔らかい発言だった。他の職人の良さを引き合いに出す発言は、昔なら考えられない。なにか転機があったのだろうか。


「私は私の信じるモノを売っているだけですよ。私にしか出せない味をね。うわべだけをなぞったところでなにも変わりませんから」


 うわべだけをなぞる――その言葉に、蒼衣は息をのむ。


「だれかの猿真似をする愚かなことはしたくないだけなのです。私は私にしか作れないモノがあるのですから。さて、そろそろよいですかな。仕事がありますので」


 五村が言い切ると、椅子を引く音が響いた。颯爽と蒼衣の席を通り過ぎる。一瞬だけ見えた横顔はやはり真剣で、揺るぎない強さが秘められている。


『だれかの猿まねをする愚かなこと――』


 鋭利に研いだペティナイフを突きつけられた気がした蒼衣は、しばらくの間席を立てずにいた。

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