単発読み切り

petit four(1話読みきり掌編)

petit four5 レモンタルトの輝きを

※ここからのお話は、2020年7月より連載中の第二部「自由の夢を描くペン・エクレア」以前(2018年~2020年)に書いた単発の読み切りです。なので、一部の魔法菓子の設定・時系列が異なります。



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 幾度となく訪れた台風が落ち着き、すっかり気候は過ごしやすくなった九月の中頃。

 愛知県名古屋市……の隣に位置する彩遊市にある『魔法菓子店 ピロート』にも、秋向けの商品がひときわ目立つようにディスプレイされている。

 珍しい水晶栗を使った「クリスタル・モンブラン」に、その名もずばりな「紅葉ミルフィーユ」ハロウィンには欠かせない「変装カップケーキ」。いずれも通年商品ではあるが、月頭からの気候もあって、目に留めるお客が多い。

 その横に、丸い黄色のタルトが並んでいる。他のケーキよりも一回り小さなそれは、つややかな表面の上に、真っ白なメレンゲが乗っている。値札には「新作!」の手書きポップが張ってあり、目にも鮮やかだ。

「十五夜に間に合って良かったなあ」

 客側からショーケースを眺め、満足げにつぶやいたのは、店長の東八代だ。トレードマークの黒縁眼鏡の奧にある目は、新作のタルトを注視している。

 その様子をカウンターの中から見ていたパティシエの天竺蒼衣は、きまりの悪い顔になる。

「本当にごめん。お店に出せるのがこんなぎりぎりになっちゃって」

 蒼衣も件のタルトを見やる。「フルムーン・レモンタルト」と名付けたそれは、本当ならば九月の頭に店頭に出しているはずの商品だった。

 そんな蒼衣を見た八代は「仕方ないさ」と明るく言う。

「試作を作ろうにも、今年の夏は各地で災害があって物流が混乱してたんだから。魔力含有食材だから、普通のやつじゃ代用できないし」

 八代の言うとおり、地震や水害、台風など、自然災害が特に目立つ夏だった。その影響で、今回の新作に使う原材料がなかなか入荷してこない、というトラブルがあったのだ。魔力含有食材がないと「魔法菓子」にはならない。味もそうだが、魔法効果は普通の材料では再現不可能だからだ。

 被災しつつも、どうにか使えるだけの材料を探し出してくれた生産者、連絡進捗などを取り次いでくれた卸業者など、さまざまな人の手を借りて、思いの外早く材料が入荷したのが今月頭だった。

 件の生産者から、復旧作業が未だに続いていると聞く。そんな中、尽力してくれたことがうれしくも、申し訳なくあった。その上で「復旧してからもうちの商品を使ってくれれば」と言ってくれた生産者には、頭が下がる思いだった。

 それはともかく。

 どうにもならない天災の影響は確かにあったが、遅れたのはもう一つ原因があった。

「それは、そうなんだけど。レモンのフィリングと、月の欠片の調整がなかなか上手くいかなくて、それが時間のロスに」

 仕入れに四苦八苦した『月の欠片』は、正確には、山の上で月の光をたっぷり浴びた木の皮だ。シロップやクリームなどの液体に皮のまま入れて香り付けに使ったりする。柑橘系と相性のいい、甘くもキリリとした、不思議な香気成分があるので、シナモンやバニラビーンズのようにスパイスとして使うのだが、最大の特徴は、その魔法効果だった。

「どうしても妥協したくなくて。ごめん、今度からはもう少し効率よくできるように、考えるから」

 魔力含有食材の扱いは繊細だ。だからこそ、ほんの一ミリグラムでも味はもちろん、効果まで変わってしまう。それにこだわりすぎて、予定よりも時間を使ってしまったのだった。月の欠片はグラム単価が高く、ピロートの価格帯だと多くは使えない。しかし、不十分な量だとせっかくの魔法効果が現れない。ベースになるレモンフィリングとの相性も同時に考えなければならない。

 確かに大事な点ではあるが、店に商品として並べる以上、試作に使える時間も限りがある。予定をオーバーしてしまったことについて、蒼衣はかなり後悔をしていた。

「うんうん、仕事の仕方は、次にまた工夫すりゃいい。おまえのそのこだわりは、よーくわかってるっつーの。おかげでおいしいお菓子ができたんだからさ!」

 いつのまにかカウンターに戻ってきた八代に、強めに背中を叩かれる。

 適切な反省を促し、必要以上の叱責をせず、肯定し、前向きにさせてくれる親友の言葉。ともすれば後ろ向きに考えてしまう蒼衣にとって、一番心地の良いものだった。だからこそ、今でもお菓子を作り続けることができている。

「ありがとう。お客さまの反応が楽しみだなあ」

「絶対楽しいぞこれ。いや~、売りがいがあるぞ~」

 へっへっへ、と大げさにもみ手をする八代を見て、蒼衣は思わず苦笑する。同時に、あふれんばかりの自信と信頼を寄せてくれていることも感じて、胸がくすぐったくなるのもまた事実だった。


:::


 九月の十五夜の夜、一九時も過ぎた頃の、東家のリビングダイニング。

 ソファに座る蒼衣は、一人の少女を膝に乗せていた。

「あおちゃんあおちゃん、これ、なに?」

 年の頃は四,五歳。八代によく似たくせっ毛のボブヘアは猫の毛のように柔らかく、時折蒼衣の鼻先をくすぐる。

 彼女は八代の娘・東恵美えみ

 恵美が指さすのは、居間のローテーブルに置かれた『フルムーン・レモンタルト』の皿だ。

「これは、レモンのタルトだよ」

「どんなまほーがあるの?」

「それはこれからのお楽しみ。今、パパが用意してるから待ってて」

「まほーのお菓子、楽しみー」

 足をバタバタさせ、恵美は期待に目を輝かせる。その様子に、蒼衣も思わず柔らかな微笑を浮かべた。

 蒼衣が八代の家に来るのは、珍しいことではない。八代はもちろん、妻である良子よしことも十八歳の頃からの付き合いで、昔から三人で連れ立ってどこかへ出かけたり、八代や蒼衣の部屋で飲み会をしたりするのは日常茶飯事だった。

 それぞれが仕事で忙しくなり頻度は減ったものの、八代と良子が籍を入れ、恵美という子どもができ、こうして一軒家を構えても、関係は変わることはなかった。

 八代たちに人生の節目節目が訪れる度、そういうことはそろそろ控えなくては――いくら気心の知れた友人でも、家族としての時間にのうのうと居座るのはいかがなものか――と思っていたのだが、いつの間にか友人というよりは、親戚のそれに近い存在として認識されていた。実際、恵美は蒼衣に体を簡単に預けるほど、なついてくれている。

 今日も八代に「恵美に『フルムーン・レモンタルト』の効果を見せてやってくれ。明日は月一の水曜定休日なんだからついでに夕飯と晩酌にでも付き合え」と、火曜の定休日であったにも関わらず、夕方八代に訪問され、半ば強引に連れてこられたようなものだった。

 誘った当人である八代は、カウンターキッチンで晩酌の用意をしている最中だ。すでに夕飯をごちそうになった蒼衣も手伝うと申し出たのだが、はしゃぐ恵美が蒼衣について回っていることもあって、なし崩し的に恵美のお相手をすることになった。

「パパー、早くー」

 恵美の催促に、しかし蒼衣は少し困惑気味の表情になる。

「八代、良子さん帰ってこないけど、見せちゃっていいのかな」

「あー、今連絡入った。残業あって二十一時に帰るから、先に魔法菓子見せてあげてって」

 キッチンの方向へ首だけ動かせば、スマートフォンの画面を操作する八代の姿が見える。

「大変だね」

「ま、ヨッシーはワーカホリックだから仕方ない」

 良子は名古屋市内にある会社に勤める会社員だ。八代がワーカホリックと冗談めかして表現するが、忙しいときは会社に泊まってもいいくらいだという発言が本人の口から出てくるのだから、あながち冗談でもない。

 だから時折、今日のように定時で上がってこられないことがある。

「恵美ちゃん、ママ、帰り遅いって」

 きっと寂しいだろう、と蒼衣が声をかけるが「そっか~」と、案外間延びした反応だったので、拍子抜けする。

「ママ、お仕事好きだしね。ねー、パパー、まだー?」

 ワーカホリックなのは重々承知のようだ。再度の催促に、八代から「へいへい、お待たせしました」と返事が返ってきた。

 キッチンから持ってきたお盆をローテーブルに置いた八代は、懐中電灯を手にしていた。それを見た恵美は首をかしげる。普段は滅多に使うことのないそれが、なぜ父親の手にあるのかわからないのだろう。

「じゃあ、試してみるか」

 八代は部屋の照明を消し、懐中電灯のスイッチを入れると、灯りを『フルムーン・レモンタルト』に向ける。

 すると、レモンタルトの表面が鏡のように、光を反射した。光は、庭に通ずる大きなガラス戸の向こう側、満月に向かっていった。

「わああ! お月様に光が繋がった!」

 恵美がいささか興奮した様子で、蒼衣の膝から飛び降りる。

 これこそ「月の欠片」の魔法効果……月反射と言われるものだ。

「恵美ちゃん、お皿を持ってお部屋を歩いてごらん」

 蒼衣の言葉を受けて、恵美は皿を持って部屋を歩いてみる。すると、どの場所にいても、光が射す方向は変わらない。

「どこにいても、お月さまのほうに光が行くね!」

「このケーキに当てた光はね、どこにいても必ず月のある方に光が反射するんだ。だから、カーテンを引いてみると……ほら」

 蒼衣もソファから離れると、窓際に向かい、カーテンを引く。そこには月と同じ位置に光が当たっていた。

「曇っていてもお月見ができるようにね」

「すごーい」

 蒼衣の説明にはしゃぐ恵美は、皿を持ったまま再度部屋を練り歩いた後、ようやくローテーブルにある豆椅子に座った。蒼衣も八代に促され、ソファに腰掛ける。

 部屋が明るくなると、用意されていたフォークを握り、満面の笑みで宣言した。

「ケーキ、食べたい!」

「どうぞ、召し上がれ」

 フォークを上手に差し込み、一口大の大きさに切り分けて口に運ぶ。口に入れて咀嚼していると、体を左右にリズミカルに揺らし始めた。

「お、い、し、いー! ちょっと酸っぱいけど、白いふわふわのクリームと食べるとおいしい! 下のクッキーも好き! あっ、あおちゃんの髪、光ってる!」

 恵美は、ぼんやりと光る蒼衣の髪を指さした。店なら帽子で被われている髪は、今は普段着のためにあらわになっている。店以外で魔法菓子を食べることの多い恵美は、蒼衣のこの副作用を知っていた。

「恵美ちゃんのおいしいって気持ちが、僕に伝わってるんだよ」

 恵美がえへへ、と笑い、またタルトを口にする。素直で賑やかなところは、本当に父親そっくりで、その様子に思わず口元がほころぶ。

「そりゃあ、なあ、蒼衣のお菓子は……?」

「せかいいちー!」

 含みのある八代の問いかけに、恵美が元気よく答える。みるみるうちに、自分の体温が上がっていくのがわかった。

「待って待って、なにを教えてるの八代」

「いや、真実を教えたまででして。というか教えてないけど」

「君の口癖みたいになってるでしょそれ……というか、毎回毎回、恥ずかしいんだけど……」

 図らずも赤面する顔に手を当てて、まぶしすぎる親子から目を背ける。

 もちろん「教えた」などと本気で思ってはいない。蒼衣に伝わってくる恵美の感情は、本当に純粋なほど「おいしい」というものしかないからだ。心からそう思ってくれてるのを知っているからこそ、言葉にして伝えてくれるうれしさが増すのだ。

「いや、ほんと、これうまいよ? あんだけ試作を重ねただけはあるよな」

 いつの間にか蒼衣の隣に座った八代は、実感を込めた声で言うと、手にした皿のタルトを食べた。うーん、とかううん、とか、謎の感嘆符を挟みながら食べる様は少し滑稽だが、そこがまた好ましく思える男なのだから不思議だ。

「だってさあ、ほぼレモンメインでフィリング作るって聞いてて、酸っぱすぎやしないか心配だったんだよ。でもほら、アレ、あのジャム」

「梨のジャム? メレンゲの下に塗った」

「そうそう。あのほんの少し塗った梨のジャムの甘さと風味がさ、マイルドにしてるんだよ」

 ベースとなったフランス菓子「タルト・オ・シトロンレモンタルト」は、タルト生地にレモンフィリングだけの、シンプルなお菓子だ。蒼衣はそのままでも好みだが、ピロートはファミリー層向けのものが好まれるため、風味を調節する必要がある。

 酸っぱすぎると子どもが食べられず、かといって懲りすぎると今度は店のカラーから外れてしまう……。そんなときに、旬である梨を使うことを思いついたのだった。

「喜んでもらえてうれしいよ、八代」

「あらやだ、わかってるくせにぃ、この色男め」

「うっ、からかわないで……照れるから……」

「あー、パパ、あおちゃんと仲良しでずるい!」

 いつの間にかタルトを食べ終わった恵美が、蒼衣と八代の間に割って入ってきた。

「パパと蒼衣はずっと仲良しなのでいいんですー」

「えー、わたしもあおちゃんとお話するー」

「まあまあ、二人とも、良子さんのことも思い出してあげて……」

 ぎゅうぎゅうと二人分の体重をかけられながら、苦し紛れに良子を引き合いに出す。

「もちろんヨッシーともお話します!」

「もちろんママともお話する!」

 似たもの親子は発言のタイミングも一緒だった。当然と言わんばかりの真っ直ぐな目に、蒼衣は目を丸くする。

「……それは二人とも、欲張りじゃないかなあ」

 一応咎めるように言ってはみたものの、たぶん、この親子にとってはそれが当たり前なのだから仕方ない。

 好きなものには真っ直ぐで一途で、幸せだと思うためならなんだってするのが、この家族の形なんだろう。

 それはきっと、これから帰ってくる良子もまた同じ。彼女もまた方向性は違えど、自分の幸せのために生きる、不器用だが真っ直ぐでいとおしい人間だ。

 だからこそ、蒼衣は彼らに救われているし、浅ましくもそばにいたいと思ってしまうのだった。

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