recette5 プラネタリウムと蒼衣の空(全8話)

プラネタリウムと蒼衣の空(1)

 五月。第二日曜日の『母の日』も終わり、開店からなにかと慌ただしかった『ピロート』にも、穏やかな時間が流れるようになった、ある日のことだった。

「兄さん、久しぶり」

 店内に入ってきた女性を見て、蒼衣は「いらっしゃいませ」の挨拶を忘れてしまった。

 明るい髪色で、きれいに整えられた巻き髪のロングヘアー。華やかなメイクとぱりっとしたスーツ。すらりとしているが、女性としてはやや高めの身長。二〇代前半の若々しさにあふれたキャリアウーマン。

 現れたのは、天竺咲希さき……蒼衣の妹だった。

「珍しいね、うちに来るなんて。紳士服売り場は忙しいだろうに」

 咲希は、彩遊市の百貨店『南武百貨店 彩遊店』に勤める社員だ。時間も休みも不規則な職業な上、彼女は西三河の実家から電車で一時間半かけて通っている。ピロートと南武は同じ市にあれど、徒歩で寄り道できるような距離ではない。距離だけで無く、趣味も交友関係も広い咲希は忙しいのか、これまで一度もピロートに訪れたことはなかった。

 久しぶりに会う妹と、どう接していいかわからず、蒼衣の声は少しこわばっていた。

「あれ、食品部門に異動になったこと、言わなかったっけ? 兄さん、もう少し実家に顔を出したら? 忙しいばかり言い訳にしてさ、親不孝者だよ。連絡くらいしたらどう? 普通、電話くらいできるでしょ、機械音痴でも」

「うん、ごめんね」

 薄い笑みを貼り付け、言葉だけの詫びになる。咲希はそれに気づいているのか、気づいていないのかはわからない。

「それは置いといて。今日は仕事の話をしに来たの。夏にうちでスイーツフェスタの催事をやるんだ。で、私はその担当になってて、いろんなお店に出店のオファーをかけてる最中」

 渡された企画書を見ると、開催時期は八月の第一週と書かれていた。

「八月? ずいぶん急だね」

「お盆前にも売り上げ上げたいんだって。で、人が集まるお菓子の催事をしたいって言われたの。お菓子屋さんって夏は暇なんでしょ? 兄さんの店も出せばいいじゃん、って思ってさ。魔法菓子ってSNS映えするし」

「確かに暇だけど……百貨店でしょ。うちのケーキはファミリー層向けだから、合わないんじゃないかな」

 東京の百貨店には、ピロートよりも技術水準の高い魔法菓子店が出店しているのを知っている。いくら地方都市とはいえ、ミスマッチだ。

「それが今回は、地域密着、地元のお店を呼びたいっていう上の命令があってさ。それに、お得意様からも、このあたりで魔法菓子のお店はないの? って聞かれてて。兄が魔法菓子店やってます、って話したら、声かけてこいって上司から言われちゃってさ。身内にいると楽よね、こういうときは」

 自分はまだイエスもノーも言っていないのに、すでに合意の方向で話が進んでいる。居心地の悪さを感じていると、八代が配達から帰ってきた。とたんに気持ちが軽くなり、ほっと息をついた。

 軽く経緯を説明すると、八代は少し難しい顔をした。それは経営者としての面持ちで、仕事のことなのに、相手が身内だというだけでひるんでいた蒼衣との差を見た気がして、息苦しくなった。

「蒼衣、夏場は生ケーキの売り上げが落ちるってのは、よく知ってるよな」

 八代の言葉に、とっさにうなずく。菓子業界なら常識的なことだった。夏の売り上げ対策に苦戦している店は少なくない。つまり、夏場の対策としてこの催事の話を受けたいということか。理屈はわかるが、今の蒼衣は素直に受けたいと思えなくなっていた。

「そうなんだよね。でも、百貨店にはあまりいい思い出がなくて」

 先ほどからの居心地の悪さを隠しつつ、蒼衣はもう一つの懸念を話した。

 昔、製菓専門学校の校外実習で催事の手伝いをしたときのこと。初日から細かい質問攻めをされて、いやな思いをしたことがあった。今でこそなんとか接客できるようになったが、あのめまぐるしさと人いきれの中で店と同じように接客をするのかと思うと、上手くできる自信はなかった。

 蒼衣にとって、ピロートは理想の店だ。自分の力で作れるだけの商品と、最大限の接客サービスを提供できる余裕と雰囲気。それを、他の店と同じ規格でやらなくてはいけない場所に出すことへ、抵抗があった。

 それを伝えると、咲希は「そんなことでよく客商売やってるね」とあきれた顔をした。咲希は高校生から接客業ばかりやっていて、クレーマーさえ上客にすると豪語するほど、仕事に自信を持っている。よく言えば自信家でパワーにあふれているが、発する一言は遠慮がない。

 なるべく人当たりのいい言葉を選び、他人との衝突を避ける蒼衣とは違うタイプの人間だった。

「兄さんってほんと変な人。せっかくのチャンスなんだよ? 催事に出たら名前がバーン! って出て有名になれるのに。変なところで弱腰なんだよね。それに、何年もパティシエとして働いてるくせに、いまいち自信なさげなのが見ててイライラする。ほんと、そういうとこ、家に戻ってたときと変わんないし。あーあ、情けない、三十一歳になるのにさ」

 一気にまくし立てると、咲希は腕組みをして、指で腕をトントンとたたき始めた。自分の思い通りに行かず、いらだち始めた時に出る、咲希の癖だ。

 過去のことを引っ張り出され、素直に怒ることができればいいのだが、反射的に、どうやって機嫌を取ろうかと考えてしまう。身内である妹だから仕方ないと思う一方で、他人の機嫌の悪さに振り回されそうになる自分に嫌気がさす。

 ここで咲希に言い訳をしたところで、それが伝わるかは怪しい。自分の懸念を「変な人」「弱腰になる」という言葉で片付けられてしまったからだ。

 一応兄妹だから、縁を断ち切ることもできない。かといって、いつも言うことを聞くだけの関係も、不満がつのるだけだった。

 年を重ねるにつれ、だんだんと実家に寄りつかないのも、それが原因かもしれない。

 そんなことを考えていると、八代が「俺は蒼衣の気持ちもわかるぞ」と割って入った。

「確かに、ここの接客をそのまま催事でやれるかっていったら不安はあるんだよな。ただでさえ今はクレームに敏感だし。……そういえば、SNSでお客さんから『百貨店出店は無いのか』ってよく聞かれてるって話、したっけ?」

「そうなの?」

 初耳だった。蒼衣はこのご時世珍しいことに、ネット環境をいまだに整えていない。自宅にパソコンはあるが、八代のお下がりな上、操作方法が分からず、埃をかぶっている。携帯電話も未だガラケーで、滅多にネットにはつながない。

 ときどき八代から画面を覗かせてもらうだけが、蒼衣の知る『インターネット』の世界だ。

「魔法菓子はSNS映えするから、定期的に口コミで話題に上がるんだ。通販の要望もあるんだけど、魔力保持の問題があるから難しいだろ? 百貨店の催事なら、対面販売だからそこんところはクリアか。南武は市駅の隣にあってアクセスもいいし、普段うちの店に来るのが難しい人も来店できる……ん、メリットあるじゃん」

 たしかに、と蒼衣も思わず同意した。

 ピロートは彩遊市の住宅街の中にあり、徒歩や車で来店する地元の人をメインにしてるため、最寄りのバス亭はあれど公共交通機関で来るには不便な場所にある。欲しいと思ってくれるお客さんに届けるには、催事への出店はかなりのプラスになる。一消費者として考えれば、蒼衣にでも分かる理屈だ。

 以前、魔法効果を写真に撮られてSNSにアップしたときの反応を思い出した。「もっと家から近かったら行けるのに」「駅から近くないのが残念」というコメントがあった。そのときはただただ申し訳ないばかりだったが、それを解決できる方法が今、目の前にある。

「確かに接客のクオリティや方法は、ここと少し変えなくちゃいけないかもしれない。でも、俺はもっと、蒼衣のお菓子をいろんな人に知ってもらいたいんだ。その可能性が見えるなら、俺は少しでもそれに賭けたい。不安なことはなんでも言ってくれ、なるべく一緒にどうするか考えるからさ。ていうか、それがオーナーたる俺の役目だし」

 八代の言葉に嘘や偽りはない。それは、魔法菓子を食べなくても分かる。

 夏場の売り上げへの懸念、ネットでの反応、八代の熱意。これでは、ただ不安だとだだをこねる自分が、あまりにも恥ずかしくなってくる。

 八代は自分の不安も分かった上で、こうして手をさしのべてくれる。その信頼に応えたかった。

「少し、頑張ってみたいな」

 おずおずと言葉を返した。瞬間、八代の顔がぱあっと明るくなる。

 できれば催事には八代が出てくれるとうれしいんだけど、と遠慮がちに言うと「了解、店も開けてたいしな」と二つ返事で帰ってきた。

「これを機に催事限定商品とか考えちゃったりしない? 夏向けのやつ」

「それいいね、兄さんなんかない?」

 さっきまで不服そうな顔をしていた咲希も、八代の提案に乗っかった。気持ちの切り替えの早さは咲希のいいところだ。しかし、唐突に感じるときが多く、蒼衣はペースについて行けない。

「あー……なんか、考えとくね」

 あいまいに微笑むことしかできなかった。

「そうだそうだ、咲希さん、他にどんな店が出るの?」

「えっと、名古屋を中心に、中部東海の有名なところに声かけてんだ。リスト見せよっか? 一応社外秘だから、内緒ね」

 リストを見せてもらうと、そうそうたるメンツの中に『パルフェ』の文字があった。

 瞬時に、蒼衣の表情が固まった。

 パルフェが出るということは、少なくとも一度はシェフに会うかもしれない可能性が、脳裏によぎる。

「兄さん? なに、どうしたの」

 八代が眉をひそめるのが見えた。

「二人ともどうしたの? リスト変だった?」

 困惑する咲希の前で、蒼衣は返しが思いつかず、沈黙する。八代も咲希も、蒼衣がかつてパルフェに勤めてことは知っている。だから八代も言葉を選んでいるのだろう。しかし、咲希はすっかり忘れているようだった。

 すると、勝手口のドアが開いた。

「ちわーっす、ロータス商会でーす」

 厨房のドアを開ければ、材料卸の営業の声が聞こえてくる。

「材料の配達が来たから、受け取ってくるね」

 その場をごまかすように、蒼衣は厨房に駆け込んだ。


 

「で、どうするの、催事。参加するの、しないの。どうなの」

 営業が帰ったあと、待ちぼうけを食らった咲希が、急かすように問いかけてきた。

 腕が組まれ、細い指がリズムを刻もうとしているのが見える。

 ああ、まずい。うまいこと言葉が出ずに困っていると、八代が「咲希さん」と声をかけた。

「申し訳ないのだけど、あと少し待ってくれないかな。うれしい申し出だし、すぐにでも返事をしたいところだけど、こちらも九月に開店一周年記念のイベントを企画してるんだ。準備との兼ね合いもある。なにせこの店は、俺と蒼衣の二人しか従業員がいないからね。いい加減にことをすすめては、南武さんにも、咲希さんにもご迷惑がかかるから」

 と、助け船を出してくれた。

 八代はこういうとき、蒼衣のように腰が低すぎたり、かといって黙ることはない。的確に状況とこちらの要望を、相手のわかる言葉で伝えることのできる人間だった。

 腕組みを止めた咲希が、少しねえ、とひとりごちる。

「……一応、魔法菓子はお得意様からの要望だからってことで、ぎりぎりまで粘れるはずです。でも、早めに返事をください。できれば、六月の頭には。こっちも滞りなく仕事を進めたいので」

 では、と咲希はさっさと店を出て行った。ドアを見て、八代は肩をすくめる。

「君の妹はなかなか、パワフルだねえ」

「ごめん。昔からああいう子で。我が道を行くというか、せっかちなんだ」

「さて、いい話だけど、どうする」

 八代は含みのある目で蒼衣を見た。

「……それもごめん、もう少し考えさせてくれないかな」

 地元のお店中心なのだから、パルフェが出ない訳がない。経営面から言えば、出るのがどう考えても正解だ。だが、心の奥で引っかかりが多すぎて、がんばろうとする気持ちがすっかり引っ込んでしまった。

「蒼衣、やっぱり、おまえまだ――」

「ごめん、配達された食材、しまってくる」

 声のトーンが低くなっているのを自覚しながら、蒼衣は八代の言葉を遮り、厨房に逃げこんだ。

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