湖の人魚

藤ともみ

第1話

昔々、あるところに小さな村がありました。その村では、毎年冬になると雪がたくさん降りました。


 雪が降るとこどもたちは

 雪人形や雪ウサギを作ったり

 雪だまを投げ合ったり

 手作りのそりで雪の積もった丘を滑ったりして遊びます。


 そんな中、ひとりぽっちで凍った湖の上を滑って遊ぶ男の子がいました。

 他に湖を滑って遊んでいるこどももいるのに、男の子は仲間に入れてとも言わずに黙ってひとりで遊んでいました。

  また、他のこどもたちも、男の子に声をかけようとはしません。

  男の子はひとりで、湖の中心に向かって滑っていきました。


 その湖の氷の下では、一組の夫婦の人魚が氷面を見上げていました。

 氷の下からは、どうやら誰かが湖の中心を滑っているらしい、ということだけはわかりました。


あらあらこんな氷の上を滑っているわ


バカだなぁここは氷が薄いのに…


これは落ちてくるわね


うんこれは落ちるね


今夜は久々にお肉が食べられるわね


やったぁ俺、水草まきがいいなぁ


と、夫婦が話しながら氷を見上げておりますと、予想通りに人間の子供が水の中に落ちてきました。

 こどもは苦しげにもがいておりましたが、男がエイヤッとモリで体を突くと、ぐったりとしておとなしくなりました。


 夫婦は大喜びでこどもを捕まえると、長い水草でこどもを縛って、引っ張って家に連れて帰りました。


 夫婦が家に帰ると7人のこどもたちが両親の帰りを待っていました。

 長男は、今夜はご馳走だねと喜びました。

 次男は、どうやって料理するのと興味津々に聞きました。

 三男は、やせててあんまりおいしそうじゃないねと、ちょっぴり不満そう

 三つ子の三姉妹は人間のこどもを見て、きゃあきゃあ騒ぎます。

 一番下の女の子は、じいっと静かに人間のこどもを見つめていました。


今夜はご馳走だと家族みんなで喜びました。お母さんは、早速調理に取りかかります。

まずは小魚の盛り合わせを調理することにして、人間を特別な檻に閉じこめました。

 それは、人間をなるべく新鮮な状態で保存するために作られた、空気をたくさんつめた檻でした。


 お母さんが料理をしている間に、一番下の女の子が檻を見にやってきました。

 女の子は人間を見るのがはじめてだったので、実はとっても興味津々だったのです。


 人間のこどもは、雪のように白い肌に、黒い髪の毛をしていました。肌の色は違いましたが、見た目は女の子たち人魚とそう変わらないように見えました。

 そして、とても綺麗な顔をしていると、女の子は思いました。


 もっとよく見ようと檻に顔を近づけると、人間のこどもがパチっと目を開きました。


 こどもが息をふきかえしたのです。


 女の子はビックリして思わず後退りしました

 人間は、必死になって透明な檻をどんどんと叩いています。

人間の言葉はわかりませんでしたが、助けてと言っているのではないかと女の子は思いました。


 女の子はふと、この人間がかわいそうになりました。

自分と同じ年頃の子供のようなので、余計に感情移入してしまったのかもしれません。

 そこで、こっそり檻を開けて、地上へ連れていってやることにしました。


 女の子はこどもの手を引いて、湖の上へ上へと泳ぎました。

途中でこどもはまた気を失ってしまったようですが、それには構わずに、地上へと引っ張りました。


 氷の上に連れてきたのはいいものの、このまま放っておけば人間は死んでしまうということに女の子はハタと気がつきました。人間とは暑いところでも寒いところでも生きていけない、脆弱な生き物らしいときいていました。

 そこで、1日だけ好きなものに変身できる薬(両親がたまに狩りに使うこの薬を、女の子は用心のために持たされていました。)を使って人間に化けることにしました。

 薬は7つありました。1つあればたくさんなのでだいじょうぶ。

 女の子は薬を1つ、こくんと飲みました。


 人間に化けるのは初めてでしたが、何とかうまくいったようなので近くの人間を呼びにいきました。

言葉は話せないので、身ぶり手振りで何とか大人を引っ張ってきました。

 女の子に連れてこられた人間が、ぐったりした男のこどもを見ると、大慌てで男の子を助けようと大騒ぎをしました。


 やがて、その母と思われる人間が走ってやってきて、泣きながらこどもをしっかり抱き締めました。その頃にはもう、人間のこどもは目をさましていました。


 女の子は帰るタイミングが見つからず、そわそわしているところを、人間のこどもの母親に見つかりました。母親に抱かれているこどもが自分を見てなにやら母親に話すものですからたまったものではありません。

 その女は人間の言葉で何やら話しかけてきましたが、人間の言葉など話さない女の子は口に指をあててふるふると首を横に降りました。早く水底に帰りたいのに、女は何とか女の子と会話をしようと躍起になっています。

 女の身ぶり手振りから、どうやら家はどこにあるのかと聞かれたらしいと気がついて、女の子は正直に湖を指差しました。すると女の顔がくもり、男のこどもの手を握っているのとは反対の手を女の子に差し出しました。

 女の子はしまったと思いましたが、周りにはまだ他の人間がたくさんいて、今逃げても捕まってしまうでしょう。危なくなったら女がひとりになったところを殺して逃げようと決めて、女の子はひとまず人間に付いていきました。


 人間の女は、まず、赤い屋根をした木製の家に女の子をいれました。

 扉をあけると、中はとてもあたたかく、いいにおいがしていました。

 パチパチと音をたてて揺らめいている黄色い灯りに女の子は目を見張りました。

 その光のそばに手をやると、なんとあたたかいことでしょう!!

 もっと手を近づけようとすると、人間のこどもがあわてて止めました。


 次に人間の女は、女の子に料理を振る舞いました。なにやらどの料理にも、得体のしれない白い煙があがっています……しかし、なんとも芳しい香りがしました。

 女の子は料理を断りました。が、人間どもが無理にすすめるので、仕方なく、一口だけ口に運んでみました。いざとなれば、変身薬と一緒にいれてある解毒剤を飲めばなんとかなるでしょう。人魚はそう簡単に死なないはずですから。


 そう思って食べたのですが、その料理は、女の子が今まで食べたことのない味がしました。獣の肉に、植物の芳ばしい匂いが合わさった、そして何よりあたたかい料理でした。

 気がつけば、女の子はほかの料理もみんな食べてしまっていました。夕飯前でもちろんお腹がすいていたこともありますが、料理がみんな本当においしかったのです。


 お腹がいっぱいになると、人間の女は、最後に、小さな部屋へと女の子を入れました。

 中には、大きくて四角くて、しかし柔らかそうな箱のようなものが置いてありました。

 もしや、これが人間の使う檻でしょうか。

 女の子が立ち尽くしていますと、人間の女が箱の上を手で指し示します。どうやら、寝ろと言っているようです。

 女の子が用心しいしい身体を横たえますと、人間の女はちょっと笑って、女の子を抱き上げました。

その腕のなんと柔らかであたたかいことでしょう!!ウロコに覆われた家族の腕とは全然違います。

 人間の女は箱に被さっていた、大きく柔らかな布を少しまくると、そこに女の子を寝かせました。

 そして布を女の子の体にかけると、灯りを少し暗くして部屋を出ていきました。


 女の子はこんなにあたたかい家に初めて入りました。

 あんなに美味しい料理を初めて食べました。

 そして、こんなにあたたかい寝床に入ったのもはじめてでした。

 女の子は夢をみているような気分で、いつしかとろとろと眠りに落ちてしまいました。


 朝目覚めると、女の子は元の人魚の体に戻っていました。女の子はあわてて変身する薬を飲みました。

 変身が終わったところで、人間の女が部屋に入ってきて、昨日のあたたかい部屋に案内し、またあたたかい料理を出してくれました。

 そして今日は、人間の着る服を出してくれました。海にいるという、クラゲのようにふわふわとした形のかわいい服でした。ちょっと重たかったのですが、やはりあたたかくて、女の子はとても幸せな気持ちになりました。

 昨日助けた人間のこどもが、一緒にあそぼうと言ってきました…女の子は昨日と今朝とでだいたい人間が何を言っているのかはわかるようになっていました…女の子はうなずいて、一緒に外へ出掛けました。


 この人間のこどもにはどうやら人間のともだちいはいないようでした。でも、なぜか人間に化けた女の子のことは気に入ったようです。


 男の子と女の子は

 雪人形や雪ウサギを作ったり

 雪だまを投げ合ったり

 手作りのそりで雪の積もった丘を滑ったりして遊びます。


 やがて、男の子は湖に行こうと言い出しました。

 昨日湖に落ちて人魚に食われるところだったのに、一体何を言うのでしょう。

 女の子はもちろん首を横に振りました。

 男の子は、大丈夫、遠くから景色を眺めたいだけだからと言いました。


 男の子は言葉通り、女の子の手を引っ張って湖から離れた小高い丘に登りました。

 丘に登って、下方に見える湖を見て、女の子は息を飲みました。


 周りの木々が、雪に覆われて真っ白な化粧をしています。

 枝は凍りついて、キラキラと輝く氷柱ができていました。

 凍った湖が鏡のようになって、灰色の空を映しています。

 昨日男の子が落ちて、割れたはずの氷も、一晩でまたうっすらと氷を貼っているようでした。


 いつもは湖の底から眺めていただけの氷が、こんなに綺麗なものだなんて、女の子ははじめて知りました。

 また、自分の住処が外から見るとこんなに美しいと、はじめて知りました。


 女の子が銀世界に見とれていますと、突然、女の子の足元から、腕が生えてきて、足首をがっちりとつかみました。

 女の子が驚く間もなく、地面の腕はそのまま女の子を地面へと引きずり込みました。

 男の子が慌てて何か叫ぶ声が聞こえましたが、その声はどんどん遠くなっていきました……


 気がつくと、女の子は湖の中にいました。目の前には、女の子の兄と姉がいました。

 よく見ると、三男が変身薬の詰まった袋を持っていました。

 それを見て女の子はすべてを理解しました。

 恐らく、三男が薬で、土に潜る動物か何かに変身して、男の子と一緒にいるところを無理やり連れ戻したのでしょう。

 三人の兄と三人の姉はカンカンに怒っていました。

 せっかくのご馳走を逃がすだけでも許せないのに、一緒に陸にあがるなんて何事だ。

 今ならまだ間に合う、このままお父さんとお母さんのところに帰るんだと兄達は手を引っ張っていきました。

 家に帰ると両親もカンカンに怒っていました。お前のような悪い子は、晩飯抜きだと言われて、女の子は仕方なく寝床に戻りました。


 ゴツゴツした水底で、お腹を空かせながら横になっていると、人間たちの棲むあの家がなんとも素晴らしい楽園のように思えてなりません。それに、女の子が出会った人間二人は、優しくて良い人のように見えました。

 陸のあたたかな生活を知ってしまった今、このまま冷たい湖の中で一生涯を過ごすのは、とても耐えられないと思いました。


 女の子は地上へ出ることを決心しました。

 真夜中、家族みんなが寝静まったころ、家中の変身薬をこっそり盗んで、湖の上へ上へと泳ぎました。


 陸にあがって、薬をのんで人間に化けると、女の子は夢中になって、男の子と女性の住む家へと走っていきました。

 てっきり女の子が死んでしまったと思っていた男の子と女性は、女の子を見て大喜びで抱き締めました。女の子は優しい二人に抱きしめられて、もう湖には戻るまいと決心しました。


 それから、女の子は、早朝に変身薬を飲んで、人間として暮らす生活を始めました。

 それからは夢のような日々が続きました。女の子はだんだん人間の言葉を理解し、話せるようになりました。お母さんはいつもあたたかい料理を作ってくれて、男の子と一緒に毎日遊びました。

 また、だんだん男の子は他の人間のこどもたちとも遊ぶようになって、女の子にも友達ができるようになりました。

 人間と接しているうちに、女の子が変身した姿は、どうやら他の人間たちとは少し違っているらしい、と知りました。

 みんなは黒か茶色の髪の毛をしているのですが、女の子は金色に輝く髪をしていました。

また、瞳もみんなは黒か茶色なのに、女の子は紫色をしていました。

 でも、そんなことは何の問題にもなりませんでした。女の子は不思議なほどにみんなに愛されました。女の子は本当に幸せでした。 

 ただ、なんだか最近変身薬の持続時間が少し短くなってきたような気がして、不安になった女の子は肌身離さず変身薬を飲むようになりました。

 以前は一日に一つ飲めばよかった薬を、三食のご飯を食べた後にそれぞれ一回飲むようになりました。

その間隔もだんだん短くなってきて、1時間に1回薬を飲むようになりました。




 女の子が人間の家に住むようになってしばらくたったある日、三人の家に男の人がやってきました。

女の子が初めて見る人でしたが、男の子は、あっパパだとかけよって抱き締めました。

 女性も男性にほほ笑みかけて、女の子を紹介しました。女の子はにっこりと笑って、丁寧に頭を下げました。

 男性の顔は凍りつきました。ガタガタと震え、真っ青になってしまいました。

「そいつは人喰い人魚のこどもだ!!早く追い出しなさいと大変なことになるぞ!!」

 男性は女の子の金髪と紫色の瞳、そしていつの間にかウロコが浮き上がった肌を指差して、大声で叫びました。


 それから男性は、女性と男の子が止めるのも構わずに、女の子を棒で殴りつけました。そして、金髪をつかんで、湖へと連れて行きました。

 いつの間にか集まった男達に叩かれて蹴飛ばされて、女の子は必死でやめてと泣き叫んだのですが、男たちは構わず、女の子に暴力をふるい続けました。

 やがて、女の子が意識を失ってしまうと、男たちは女の子の身体をモリで突いて、そのまま女の子の身体を湖のそばに打ち捨てました。






 目を覚ますと、女の子はベッドの中にいました。大好きな男の子が泣きながら、女の子の顔を覗き込んでいました。

 父がひどいことをしてごめんなさい。君のことを父に話したよ。君が人魚だろうとなんだろうと関係ない。君は僕たちの家族だ。皆愛し合って仲良く暮らしてきたんだ、ってね。

 父も今は反省している。こんなにひどいことをしておいて、何をいうかと思うかもしれない。

 でも、君さえよかったら、また僕たちと一緒にくらしてくれないか。 


 女の子は喜びました。家に帰ると、男の子のお父さんや、村の男たちが女の子に謝りました。女の子はみんなと仲直りして、また人間の生活を始めました。




 やがて、女の子はすっかり凛々しくなった人間の男の子と結婚しました。

 真珠よりも白いドレスに身を包んだ女の子をみんなが綺麗だと誉めそやしました。

 隣に立つ男の子も、綺麗だといってくれました。誰に褒められるよりも、男の子…いえ、もう男の子ではありません、立派になった自分の夫にそう言ってもらえるのが、彼女は一番嬉しいと思いました。

 私はこんなに幸せでいいのかしらと彼女はふと思いました。

目が覚めたら、またあの冷たい湖の中にいるのではないのかと、にわかに不安になりました。

 ふと空を見上げると、白く眩しい太陽の光が、彼女に射してきました………。



 人魚の夫婦と6人のこどもたちは、湖のそばに降り積もった雪の上に倒れている、自分達の家族を見つめていました。

 幼い女の子の身体には、人間に殴られたり蹴飛ばされたりした跡がしっかり残っていて、その胸にはモリが刺さっていました。

 小さな人魚は、変身薬のたくさん詰まった袋をしっかり握りしめたまま、死んでいました。


やはり人間に殺されたのか。


食べ物にもしないのに殺しちゃったの?


そうだよ。ただ人間じゃないから、というだけで殺されたんだ。


しかし安らかな顔だな。


おそらく、長い間薬を飲んでいたから、死の間際に幻覚を見ていたのだろう。


いい夢を見られたのかな


だったら良いのだけど…


さぁ、一緒に帰ろうか…


あなたの敵は、わたしたちがちゃんと取ってあげるからね。


 人魚の女の子の家族たちは、彼女の身体を湖に引き摺って、それからそのまま…湖の底にしずめました。


 それから、湖のある村の人々が、地上からあがってきた人魚たちに次々と食い殺される事件が起こりました。生き残った人々は大慌てで村から逃げ出しました。

 その村は、春がやってくる前に、無人の廃村となってしまいました。



 そして春がやって来て、湖の氷がすっかり溶けてしまうと

 もうそれっきり人喰い人魚は地上に現れなかったということです。

 

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