其ノ四拾四 ~鬼狩ノ夜 其ノ八~



「だけど、どうやってあの子を助け出す?」


 限りなく的を射た疑問を、一月先輩は発した。私もそれは疑問だった、炬白の言葉から瑠唯ちゃんを救う手はあるようだが、具体的な方法は聞かされていなかったから。


「オレの力で、あの鬼の魂の中に入り込ませる。……精霊は入れないから、お兄さんか姉ちゃんのどっちかだけど」


 鬼の中に入る……それだけでも、多大なリスクを伴う事が予想できた。精霊には不可能、というのが何となく気になったけれど、問い返す暇など無い。

 次の瞬間、それが起こったから。


「危ない!」


 一月先輩の切迫した声に、私は驚く。

 刹那、私達に向かって巨大な黒い霧が迫り来る。逃げなきゃ……! そう思った瞬間、炬白が長くした鎖を抜いた。

 僅か数秒であの呪文を発し、鎖に紫色の光を宿し――事前動作無しで、放る。


「っ……!」


 激しく飛散する紫の火花、しかし黒霧は消えていない。

 少しは小さくなっても、完全に消滅しては居なかった。私達四人を一度に捕らえるに十分な大きさを保ち、迫り来る。


「大きすぎる、消し切れない……!」


 切羽詰まる声と共に、炬白は放った鎖を急いで手元に巻き戻す。だけどもう遅かった。追い迫って来る黒霧は、炬白にもう一度鎖を放る猶予を与えない。

 こうなったら、私が……! 先輩も同じ事を思ったのか、天庭を構えて駆け出そうとしていた。

 天照を片手に、黒霧へ斬り込もうと考えていたその時。


「!?」


 私と一月先輩の間を、白い女の子が走り抜けて行く。

 幼い女の子とは思えないスピードで、まるで可視化された風が吹き抜けていくようだった。私達に背を向け、その女の子――千芹ちゃんは、白い和服の袂から小刀を取り出す。殺傷の道具と言うには余りに小さくて、儀礼に用いるような物に見えた。

 小さくとも眩い輝きを持つそれが、千芹ちゃんの『霊具』なのだと私は容易に想像が付いた。即ち、炬白が持つ鎖のような……鬼を祓い退ける力を持つ品物なのだと。


「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽!」


 それが何の言葉なのか、何の意味を持つのかは私には分からない。だけど、それがどんな効果を持つ言葉なのか、私は知っている。千芹ちゃんが発したあの呪文(というよりも経だろうか?)は、炬白が鎖に紫の光を宿す時に唱える物と全く同じだった。彼女の可憐な声と共に、その手に握られた小刀の刀身が光を発する。

 炬白の紫の光とは異なり、鮮やかな青色だ。

 その和服や黒髪を勇ましくたなびかせながら、千芹ちゃんは黒霧に真っ向から突っ込んでいく、何かあってはまずいと思い、私も天照を持ってその背中を追う。

 だけど、そんな心配は全く無用だった。


「はあああ!」


 青い光を纏った小刀を、まるで天に掲げるように振り上げた後。

 黒霧に向け、千芹ちゃんがそれを振り下ろす――同時に、小刀の軌跡に巨大な青い三日月が出現した。正確には三日月では無く、三日月のような光の跡だけど。

 三日月に黒霧が触れた瞬間、黒霧が爆散した。黒霧は、完全に止められたのだ。


「……!」


 私は思わず、驚いてしまう。

 炬白の一手で勢いが弱まっていたのだろうけど、千芹ちゃんの迎撃で黒霧は跡形も無く消え去った。この子も間違いなく、炬白と同等の力を持った『精霊』、人智を超えた存在なのだと理解する。


「助かった、ありがとう」


「いいよ。これくらい」


 炬白がお礼を言うと、千芹ちゃんは首を横に振りながら応じる。

 私と一月先輩は、その二人へ駆け寄った。


「で、瑠唯は誰が救い出す? お兄さんか、姉ちゃんか」


「私がやる!」


 気が付けば、私は即答していた。隣で一月先輩が視線を向けて来たけれど、私は構わず続けた。


「瑠唯ちゃんが鬼に成ったのは……きっと私にも責任があるから」


 そうだ……私も、悪いんだ。だって、私は瑠唯ちゃんとの約束を破った。明日も公園で会う――そんな小さな約束も、守れなかったのだ。

 あの子を悲しませた原因の一端を、私も負っている。


「……下手をしたら、姉ちゃんも取り込まれるかも知れないよ」


「ううん、絶対に取り込まれたりなんてしない。きっとあの子を助け出してみせる……!」


 それでも炬白は、中々首を縦に振ってはくれなかった。私が取り込まれる事態を危惧しているのだろう。

 でも、私はどうしても瑠唯ちゃんを救いに行きたかった。

 だって、ここで引き下がったら――。


「ここで逃げたら……私は一生、前に進めなくなる。そんな気がするの……!」


 持てるだけの気持ちを込め、私は炬白を説得する。

 彼は、まじまじと私の瞳を見上げていた。


「……そうだよね、姉ちゃんなら」


 炬白はやっと、首を縦に振ってくれた。


「だったら僕も」


「いつきはだめ!」


 一月先輩の申し出を、千芹ちゃんが却下した。私達が彼女に視線を移すと、


「もしもせりかといつきが鬼に取り込まれたら、だれも鬼をとめられなくなるもの」


「そうか……!」


 一月先輩は納得する。

 そして私も同じ意見だった、考えたくない事だけど……私と先輩が両方鬼に取り込まれる結果に終われば、誰も瑠唯ちゃんを止められなくなってしまう。

 あの子は今ここで、確実に食い止めなければならないのだ。


「! 呑気に喋ってる余裕は無さそうだ」


 一月先輩の視線を追う。

 巨大な黒霧と共に、瑠唯ちゃんがこっちに歩み寄って来ていた。その口からは、まるでうわ言のような言葉が発せられている。


《遊ぼう……遊ぼう……!》


 先輩の言った通り、私達に立ち止っている余裕は無さそう。

 恐らく同じ事を思ったのか、炬白は切迫した様子で言った。


「二手に分かれよう、集まっていたら危ない」


 炬白の言う通りだった、一か所に集団で留まっていては黒霧の餌食になる。


「わたしといつきで時間を稼ぐ。こはく、その隙に……!」


「分かった、オレが姉ちゃんを鬼の魂の中に送り込む」


 無駄を欠いた会話が、二人の精霊の間で交わされる。精霊同士だからだろうか、意思の疎通がスムーズに行われているようだった。

 一月先輩と千芹ちゃんが向こうへ駆け、私と炬白は反対側へ駆け始める。


「でも炬白、どうしたらいいの、どうすれば瑠唯ちゃんを助けてあげられるの?」


 炬白は私に背中を向けたまま、応じた。その手には鎖が握られている、視線は恐らく瑠唯ちゃんを注視しているのだろう。

 戦いはもう、始まっているのだから。


「瑠唯を助けてあげたいっていう気持ちがあれば、鬼の魂に入った時……方法はきっと分かる」


 どこか断片的な回答だったけれど、炬白の言葉は真に迫る雰囲気だった。


「だけど、他に何か……瑠唯にとって想い入れのある品でもあれば、瑠唯が心を取り戻す切っ掛けになるかもしれないんだけど」


「想い入れのある品?」


 炬白は、鎖を両手で張った。


「今の瑠唯は、鬼の負念に取り込まれて本来の人格を失ってる状態だ、そのまま救い出すのは難しいかもしれない」


 やはり、瑠唯ちゃんを救うのは簡単に成せる事では無いのか。そう思ったけど、次の炬白の言葉はそれを否定する。


「だけど、生前の瑠唯が大好きだった物、大切にしていた物でもあれば、あの子に本来の自分を思い出させる突破口になるかも知れない」


 瑠唯ちゃんが生前、大切にしていた物。でも、こんな荒れ果てた体育館に、そんな物なんて……。


「最も、こんな廃校にそんな物は無いだろうけど」


 私が思っていた事を、炬白が代弁する。

 瑠唯ちゃんをどうやって助け出せばいいのか……方法なんて、何も分からない。だけど、私はそれでもあの子を助けたかった。あんな悲しい目に遭って、しかもあんな姿で居るなんて可哀想過ぎる。

 神様が、運命があの子を見放したとしても、私は絶対にあの子を見捨てない。


「分かった、きっと助け出してみせるから……!」


 力強く天照を握り、私は決意を新たにする。

 と、その時だった。視界の端に、空を舞う雪の粒が映ったのだ。


「!?」


 今は真夏、しかもここは体育館の中。

 どうしてこんな所に、雪が? しかし、よく見れば――それは雪じゃない。

 雪のように白く淡い光を放ちながら、ひらひらと暗い体育館を舞う一頭の蝶。

 あれは……。


「カササギユキシズク……瑠唯ちゃんが大好きだった蝶!」


「!」


 炬白が振り返り、私の視線を追った。すると彼も、はっとしたように表情を驚愕に染める。


「……! そうか、あの蝶は……」


 炬白も気付いたようだった。

 カササギユキシズクは、瑠唯ちゃんが一番好きだった蝶。月の光を受けると、羽から淡い光を放つという謎の多い生態から『月光蝶』という異名を持つ、この鵲村にしかいない夜行性の蝶だ。

 きっと、割れた窓から偶然、この体育館に入ってきてしまったのだろう。

 ……いや、もしかしたらカササギユキシズクも、瑠唯ちゃんを救いたいのかも知れない。その為に、自らこの場へ赴いてくれたのかも……。


「力を貸して欲しい、あの可哀想な子を助けたいんだ」


 炬白が、体育館をひらひらと舞うカササギユキシズクに発する。

 すると、不思議な事に――蝶は炬白の下へと舞い降りてきた。蝶が言葉を理解した、そうとしか思えない。


「協力してくれるみたいだよ」


 炬白が、私を振り返る。

 その手の平の上で、カササギユキシズクが羽を動かしつつ、淡い光を放っていた。





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