其ノ四拾参 ~鬼狩ノ夜 其ノ七~


《考えてみれば、有り得ない事でも無かったんだ》


 その声と同時に、天照から紫の光の玉が離れる。光の玉が一際大きく瞬き、炬白が姿を現した。天照に宿っていた彼が、本来の姿に戻ったのだ。

 彼は私の隣に立ち、続ける。


「瑠唯は霊的な力を生まれ持ってた。悲しみがその力を弱まらせたとしても、鬼から本来の人格を守る事くらいは出来ていたんだよ」


 つまりは、こういう事なのだろうか。

 瑠唯ちゃんは亡くなった時、鬼に取り込まれてしまったけれど……生まれ持った霊的な力のお蔭で、完全に鬼に取り込まれはしなかった。

 だけど、人格の殆どを鬼の負念に支配されている事は、明らかだと思う。だって、今まで本来の瑠唯ちゃんの人格は、出て来られなかったのだから。


《うぐ、う……! やめて……! もう、誰も傷付けたくない!》


「!」


 炬白が離れて光を失った天照を、私は握り直した。

 瑠唯ちゃんが、苦しんでる。鬼が再び、あの子の理性を乗っ取ろうとしているんだ。あの子をまた、恐ろしい鬼に変えようとしているんだ。

 助けたい、今ならまだ救える! そう確信した私は、炬白に問う。


「どうしたらいいの!?」


 自分でも驚く程、真に迫った声が出た。


「教えて炬白! どうしたら瑠唯ちゃんを、鬼から解放してあげられるの!?」


 もう、その事しか頭に無かった。


「直接、瑠唯の魂に入り込んで……連れ出すしかない」


「どういう事……?」


 炬白の言っている意味が分からず、私は問い返す。 

 その時。切り裂くような叫び声が、私の鼓膜を震わせた。


《うっ……うあああああああああああッ!》


 弾けるように、私は声の源――瑠唯ちゃんを振り返る。頭を抱えて苦しげな声を漏らしていた彼女が、変貌していく。生前の面影を残していた瞳が、黒い空洞へと変わり、その身が再び黒霧に包まれ始める。


「瑠唯ちゃん!」


 彼女の人格が、再び鬼に支配され始めている。

 瑠唯ちゃんは私の声に、顔を上げた。


《お姉さん……逃げ、て……!》


 そして再び、彼女は絶叫した。渦巻く黒霧に、ショートヘアや黄色いパーカーを靡かせながら。


《う、うぐあああああああああああ!》


 次に瑠唯ちゃんが顔を上げた時、もう生前の面影は消え失せていた。再び恐ろしい鬼へと戻り、瞳の欠如した無機質な顔が、私を見つめていた。


《……はは、あははははははははは!》


 瞬間、私は炬白に袖を引かれた。


「まずい、逃げよう」


「えっ!?」


 その瞬間炬白は力任せに私の袖を引っ張り、駆け出す。

 直後、後ろから悍ましい気配を感じた。


「……!」


 瑠唯ちゃんが纏っている黒霧が――物凄い大きさに肥大化していた。

 それだけじゃない。黒霧が接した部分が、粉々に破壊されていく。喧しい音と共に窓ガラスが砕け散り、埃を舞わせながら足場や手すりが無茶苦茶に崩壊する。

 炬白の言った通り、ここに居ては危険だった。


「姉ちゃん、このままじゃ危ない。早く」


 炬白は私の袖を引き、全力で駆け出す。


「ちょ、炬白……!」


 私は戸惑いつつも、炬白の背中に続いた。

 後ろからは、周りが壊されていく轟音がどんどん近づいて来る。炬白の言う通り、このままじゃ危険だ。

 危機的な状況である事を理解し、私は炬白と共に駆け出した。

 だけど、ここは窓を開閉する為に作られた足場。体育館の床と、ここを繋いでいるのは長い梯子のみ。あの梯子を下りている余裕など、あるのだろうか?


「間に合わなくなる、急いで!」


 私に促しつつ、炬白はその腰に下げた鎖を両手に取る。呪文を唱えて鎖をとても長くすると、彼は一目散にその場所へと走って行く。

 まさか……飛び降りるつもりなのだろうか?


「炬白、そんな所から飛び降りたら……!」


 精霊の炬白なら平気なのかもしれないけれど、私には結構な高さがある。飛び降りるには怖い程だ。けれど、炬白は私の言葉など全く気に留める様子も無く――私の袖を引いたまま、飛び降りた。

 私の足元から、床が消える。


「ちょ……わっ!?」


 飛び降りる最中、炬白は鎖を放った。

 その先には、足場の手すりがあり――鎖の先が、そこに巻き付く。


「姉ちゃん、オレに捕まって」


 言われるまま、私は思わず片手に持った天照に注意しつつ、両腕で炬白にしがみついてしまう。

 その直後、さっきまで立っていた体育館脇の足場が黒霧によって崩壊する。もしもあそこに居たら、私達も巻き込まれていたに違いない。

 砂煙と共に、大小様々な大きさの瓦礫が体育館に飛散した。


「っ!」


 ものの数秒と待たず、私達の足が床に付いた。

 痛みは、全く無い。炬白を見ると、彼は手すりに巻き付けた鎖を手元に巻き戻し、回収していた。私は理解する。炬白は飛び降りる際に鎖を手すりへと巻き付け、ロープ代わりにしたのだ。

 おかげで、私達は怪我の一つも無く足場から降りられた。


「黒霧人形は……?」


 辺りを見回して、私は状況の変化に気付く。

 そう、さっきまで体育館中を埋め尽くすようだった黒霧人形達が、一体も居なくなっていたのだ。


「黒霧人形を作り出すのに力を割くのを止めて、黒霧の力を増大させたみたいだ」


 炬白が視線を上げる、その先を追うと、粉々に砕けた体育館脇の足場。瑠唯ちゃんが居た場所だ。


「……姉ちゃん、そろそろ離れてくれない?」


「え……あ!」


 炬白の言葉で気付いた。私の両腕が炬白に、彼の小さな体にしがみついたままになっている事に。

 私の胸が、炬白の背中に押し付けられて潰れているのが分かる。


「精霊でもオレは男、そんな所押し付けられると照れるよ」


 自身の頬が、かあっと赤くなるのが分かった。

 対して、そんな事を言いつつも炬白は平然とした面持ちを崩さない。


「ご、ごめん!」


 私は、慌てて炬白から離れる。

 その直後に、聞き慣れた声が聞こえた。


「世莉樺、炬白!」


 声の主は、一月先輩。

 先輩はその片手に青い光を纏った天庭を握り、私達の側まで走り寄って来る。一月先輩が私達の近くまで来ると同時に、天庭から光が離れて大きな青い光の玉と変わる。

 炬白の時と同じだったから、その後の出来事が容易に想像出来た。


「!」


 青い光の玉が一瞬、大きく瞬き――その中から、可愛らしい女の子が姿を現した。積もりたての雪みたいに真っ白な和服を着ていて、艶やかで綺麗な黒い髪を腰まで伸ばした、幼い女の子だ。その瞳は澄んでいながらも、凛とした雰囲気を湛えている。見た目の年齢的には、炬白と同じくらいだろうか。

 その雰囲気や着物、私には紛れも無く、その子が炬白と同じ『精霊』だと理解出来た。

 一月先輩に聞いていたから、私はその子の名前を知っている。


「千芹……」


 炬白が先立って発する。

 黒と白、炬白とその子――千芹ちゃんが着ている着物の色の対比が、印象深かった。


「こはく、久しぶりだね」


 千芹ちゃんは、炬白に返した。

 その言葉から私は推測する、この二人は知り合いなのだろうか。私の表情から心中を読み取ったのか、炬白は私に向き、


「皆友達なんだよ、精霊同士はね」


 皆……という事は、恐らくこの二人の他にも精霊は居るのだろう。

 一月先輩の隣で、千芹ちゃんが私を見上げ、


「せりか……あなたが、ゆきむろせりか?」


 可愛らしい外見に違わず、その子の声は可憐な物を感じ取れた。

 私は頷く。


「……霊界からみてたよ、いつきと一緒に戦うあなたのこと」


「れい……かい?」


 聞き慣れない言葉に、私は訊き返した。側に居た炬白が、代わりに応じる。


「霊界っていうのは精霊の世界の事だよ。死んだ者が遺した、善の心が集まる場所なんだ」


「善の、心……?」


 その時、周囲の空気が重く、冷たく変じた。私、一月先輩、炬白、そして千芹ちゃん――私達は一斉に、視線を移動させる。

 その先には、瑠唯ちゃんがいた。だけど、遠目で見ても分かる。邪悪で悍ましい雰囲気が、これまでとは比べ物にならない程に大きくなっている。


「あの子を、助けたい」


 私の言葉に、先輩が反応する。


「あの鬼を?」


 困惑したであろう先輩に、私は説明する。


「さっき、あの子の中に本当の人格が生きている事が分かったんです、まだ助けられる……! そうだよね、炬白?」


 炬白は頷き、


「本来なら、瑠唯は一番の被害者だ。このままだと可哀想過ぎると思う、だから救ってあげたい。鬼の呪縛から解き放ってあげたいんだ。お兄さん、千芹、力を貸してもらえない?」


 私が告げようと思っていた事を、炬白は代弁してくれた。

 一月先輩と千芹ちゃんは、互いに視線を合わせ、頷く。


「もちろん……!」


 一月先輩が私に発した、たった四文字の返事。だけど、それがとても心強く思えた。





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