其ノ四拾壱 ~鬼狩ノ夜 其ノ五~

 ある秋の記憶が、少年の脳裏に蘇る。雨上がりの鵲村の墓地――そこで彼、一月は草木の匂いを纏った風を受けつつ、立っている。

 彼の前に居るのは、一人の幼い少女だ。積もりたての新雪のような純白の和服に身を包み、腰まで伸ばされた艶やかな黒髪を持つ、綺麗な女の子。

 彼女はその頬に涙を伝えつつも、可愛らしく微笑んでいる。幼い外見に相応な、純粋で無垢な笑顔だ。

 そして、彼女は紡ぐ。


“大丈夫、またきっと……会えるよ”


 あれから、数か月。

 一月はもう、彼女に会う事は二度と無いと思っていた。そう、ほんの少し前までは。



  ◎  ◎  ◎



 見間違う筈など、無かった。

 純白の和服に、腰まで伸ばされた艶やかな黒髪、美しい青色の光を纏う小刀。

 今、一月の前に立っている少女は紛れも無く、彼女だ。一月にとって――言葉で言い表せない程に大切で、彼が自ら失う道を選んでしまった、もうこの世には居ない彼女。


「琴音……!?」


 少女は、一月と視線を合わせたまま、彼に歩み寄る。

 何を言えばいいのか、どう話せばいいのか、一月には分からない。ずっと彼女に会いたかった筈なのに――どう接すればいいのか思いつかない。

 少女の片手に握られた小刀から、青い光が消えた。彼女は一月の前にしゃがみ、首を小さく横に振る。 


「ちがうよ、わたしはちせり」


「あ……」


 白い和服の少女、亡くなった琴音の片割れともいえる精霊――千芹は、立ち上がった。

 そして彼女は、一月へ告げる。


「たっていつき、そして天庭をもって」


 少女は幼い外見だったが、一月に発せられた声は毅然としており、凛々しさすら帯びていた。

 彼女はその場で踵を返し、一月に背を向ける。体育館の床に腰を降ろしたまま、一月は自身の側に落ちた天庭に視線を移す。


「たすけるんでしょう? せりかとこはくを」


「!」


 千芹の言葉で、一月は我に返るような気持ちになる。そう、今は体育館の床に腰を降ろしている状況では無い。

 突然現れた白和服少女に、一月は言いたい事があった。しかしそれも後回しだ。恐らく千芹の方も、一月とのんびり話す気は無いだろう。今一月がすべきは、眼前に居る巨大な黒霧人形、そして小さい黒霧人形達を蹴散らし、そして世莉樺と炬白を助けに行く事だ。


「……もちろん」


 天庭を拾い上げ、一月は腰を上げた。微かによろけつつも両足に力を込め、しっかりと地を捉えた。


「じゃあ、いくよ」


 千芹は、小刀を袂へ戻した。彼女は両手を合わせ、両目を閉じる。その口が小さく動き、何かの呪文を唱え始める。

 千芹の体が、黒髪を空に泳がせながらふわりと浮かぶ。次の瞬間、彼女は大きな青い光の玉へと姿を変え、一月の持つ天庭へと向かい、同化した。

 千芹の姿が消えた代わりに、一月が持つ天庭が青い光を放ち始めた。


「っ……」


 白和服姿が天庭と同化する光景は、神秘的で幻想的ですらあった。一月にとって、その光景を目の当たりにするのは初めてでは無い。

 千芹が乗り移った天庭からは、青く美しい光だけでなく、言いようの無い力が感じられる。

 次の瞬間、一月の胸に鋭い痛みが走った。


「ぐっ!」


 天庭を床に突き刺して、一月は自らの体を支える。頭に浮かぶように、少女の声が聞こえた。


《いつき!?》


 痛みの原因、一月には思い当たる事がある。

 恐らくは、先程の黒霧が原因だろう。単なる身体の異常から来る痛みでは無く、得体の知れない痛み。痛みは一部分に留まらず、次第に頭にも飛散した。

 まるで呪いにでもかけられているかのような苦しみが、一月を襲う。


「ぐっ……」


 頭を押さえ、一月は呻くように発する。


《まさか、鬼の黒霧を……?》


「何ともない、これくらい……」


 力強く、一月は応じた。彼は天庭と同化している少女に告げる。

 自らの気持ちを。


「……ずっと君に伝えたい事があった。ずっと、君に言いたい事があった」


 苦しみに表情をしかめつつも、一月は天庭を持ち直す。


「君にちゃんと伝えるまで……僕は折れないから」


《いつき……》


 一月は視線を上げ、眼前の状況を見やる。状況は明らかに、絶望的と言って間違い無かった。

 頭を押さえていた手を放し、一月は両手で天庭を握る。


《……わたしも》


 少女が、一月に言葉を返した。


《わたしもね……ずっといつきに言いたいことがあった》


「……!」


 予期しない返事に、一月は驚きを覚える。彼女の言葉は、続けられた。


《だから……これがおわったらちゃんとつたえさせてね、絶対だよ》


 その言葉が何を意味するのか、千芹が一月に何を求めているのか。考える間もなく、一月には理解出来た。

 彼女は、一月にここで死んで欲しくないのだ。彼がここで息絶えてしまえば、言えなくなってしまう。伝えられなくなってしまうから。

 天庭を見つめて小さく頷きつつ、


「必ず……!」


 静かながらも、一月は決意の込められた返事をする。呼吸を整えつつ、彼は青く輝く天庭を構えた。

 そして、瞬きをするのも惜しんで精神を研ぎ澄ませ――集中する。

 剣道で学んだ、精神統一だ。


「はー……」


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 彼の眼前には、ゆらゆらと気味悪く蠢く黒霧人形の大群。襲ってくる気配は無かった。もしかすると、突然現れた精霊――千芹に恐れをなしているのかも知れない。

 圧倒的不利な状況にもかかわらず、一月の瞳には僅かな恐れも浮かんでいない。


(……数えるのも、馬鹿らしくなるな)


 無数の黒霧人形を見やり、吐き捨てるように心中で漏らす。

 本当ならば、一月が命を賭してまでこの場に赴く直接的な理由は無かった。彼は、世莉樺と違って瑠唯と関わりがあった訳でもない。さらに、鬼の所為で大切な人が命の危機に立たされている訳でもない。

 だが、彼は鬼の怪異に一人立ち向かう世莉樺を放って置くことが出来なかった。剣道部の同門であり、後輩でもある世莉樺が苦しんでいる。一月にはそれだけで、理由としては十分だったのだ。

 否、恐らく一月は仮に世莉樺で無くとも、見ず知らずの誰かであろうとも、命を賭して協力する道を選んだだろう。『誰かを守れる人間になる』、それが一月が剣道の道を志した動機であり、理由なのだから。


(行くぞ、金雀枝一月……!)


 心の中で呟き、一月は自らを奮い立たせる。

 一歩を踏み出し、もう一歩踏み出し、一月は荒れた床を勢いよく蹴り、駆け始める。黒霧を受けた影響で再び痛みに襲われたが、それでも彼は止まらない。一度よろけても痛みを無理やりに押し留め、彼は黒霧人形達に切り込んで行った。

 千芹と共に、もう逢えぬ想い人、秋崎琴音と共に――。



  ◎  ◎  ◎



「千芹……?」



 炬白が視線を私から外して、そう呟いた。

 その名前には、聞き覚えがある。確か、一月先輩の下に現れたという精霊の女の子だった筈。彼の視線を追うと、その先は――私達が居る足場とは梯子で隔てられた体育館の床。


「あれは……!?」


 私は思わず呟く。

 その理由は、天庭を振るって黒霧人形を蹴散らしていく一月先輩。先輩が握る霊刀、天庭の刀身には鮮やかな青色の光が纏っていて、振るうたびに光が軌跡を作り、まるでオーロラのように綺麗だった。

 暗い体育館の中で、淡く美しい青の光は次々と黒霧人形を消し去って行く。青い光と暗い周囲のコントラストが、私にはとても幻想的に思えた。

 炬白がその名前を発した事から、きっとその精霊の子――千芹ちゃんが一月先輩の下に現れたのだと思う。

 だとするなら、あの青い光はその子の力なのだろうか。


「間違いない、あの青い光は精霊の力だよ」


 私は炬白を向く、炬白も私を向いていた。


「姉ちゃん。最終手段っていうのは、あれと同じ事なんだ」


「あれって……さっき言ってた事?」


 私は、炬白が言う『最終手段』の事について説明を受けていた。何でも、炬白達精霊は……霊具にその身を宿す事で、自らの霊力を霊具に与える事が出来るって。

 そうすれば、天照の霊力に炬白の力が加わるから、瑠唯ちゃんの黒霧を打ち破れる。だけどそれをやると、私は一人で戦わなければならなくなるから、危険も大きいんだって。


「そう。今お兄さんが持ってる天庭に、千芹が宿っているようにね。オレもあれと同じ事が出来るんだ」


「だったら炬白……!」


 私の言葉の意味が、炬白に伝わったらしい。

 彼は私に、確認する。


「さっきみたいに、咄嗟に助けてあげることは難しくなるよ。姉ちゃん、それでもいい?」


 私は直ぐに頷いた。もう、迷っている時間なんて無い。


「……じゃあ、天照を構えて」


 私は炬白に言われるまま、天照を自らの前に掲げた。

 炬白は長く伸ばした鎖に手を添える、すると鎖が元の長さに戻り、彼はそれを腰に下げ直した。

 そして、炬白は両手を合わせ――何かの言葉の羅列をその口から発し始める。何かの呪文……だと私は思った。


「……!?」


 次に起こった出来事に、私は驚愕する。

 炬白の言葉が止まったと思った時、炬白は紫色の光の玉へと姿を変え――天照へと向かって来た。光の玉へと変わった炬白は、天照に吸い込まれるように一体化していく。

 次の瞬間には、銀色に輝いていた天照の刀身を紫色の光が包み込んでいた。先輩の天庭が纏う光にも劣らない程美しい、鮮やかで神秘的な紫色の光が。

 同時に、天照から強い力が感じられる。

 言葉では表現しようの無い力――きっと、炬白の霊力なのだと思った。


《さあ、姉ちゃん》


 炬白の声が聞こえた。

 いや、『聞こえた』と言うよりは、まるで頭に浮かんでくるように。少し驚いたけど、天照に宿っている状態でも炬白は言葉を発せるらしい。


「うん……!」


 私は頷き、視線を上げる。

 その先には――渦巻く黒霧にその身を包む、瑠唯ちゃんが居た。





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