其ノ参拾九 ~鬼狩ノ夜 其ノ参~



 黒霧人形は、ただ人の形をしているだけ。その顔部分には鼻も口も、耳も無い。勿論の事、目だって無かった。

 だけど、私は何だか自分に無数の視線が向けられているような感覚だった。

 この夥しい数の黒霧人形達は、私や一月先輩を、それに炬白を見ている。獲物として、欲している。

 そんな根拠は無いに等しいのだけれど、私にはそれが分かった。


「っ……」


 周囲の空気が人間の肌のように生暖かく、気味が悪い。恐らく、体育館中に居る黒霧人形達の影響なのだと思う。

 私の希望は、共にこの場に居てくれている二人。一月先輩と炬白。

 そして、汗ばむ手で握っているこの天照だ。


「姉ちゃん、大丈夫?」


 こんな状況でも、自身の事を案じてくれる人が一緒に居る。それが、私にはとても心強かった。不安な気持ちを表情に出さないよう努めていたのだけれど、炬白にはお見通しだったのかも知れない。


「大丈夫。気を遣ってくれてありがとう」


 炬白に返事すると、今度は一月先輩が言葉を掛けてくれた。


「世莉樺、助けが要る時は何時でも呼んで」


 私と視線を合わせずに、一月先輩はそう言った。自分の命が危ないかもしれないのに、私の身を案じてくれている。一月先輩の後輩で良かった、こんなふうに後輩を気遣える先輩になりたいと、私は思った。


「先輩も……助けて欲しい時は、いつでも呼んで下さいね」


 返事は無かった。でも、一月先輩の横顔が少しだけ頷いた。


《お姉さんもお兄さんも、一杯遊んで行ってね……》


 瑠唯ちゃんは、体育館の脇に設置された窓を開け閉めする足場――キャットウォークの上に居た。直接手を出してくる様子が無い所を見ると、高い所から黒霧人形に取り囲まれた私達を見て楽しんでいるのだろう。

 私達がいつ果てるのか、楽しみにしているようにも思える。


《さあ……遊ぼう!》


 その瑠唯ちゃんの言葉と同時に、生暖かい空気が一気に舞い上がる感覚を覚えた。

 ――来る! そう思った時には既に、始まっていた。その場に立ったまま動かなかった黒霧人形達が、私達三人に向かって歩み寄って来る。ホラー映画に出てくるゾンビみたいな、ぎこちなくてよろけた歩調だったけど、それでも確実に私達に向かって迫っていた。

 後ろからも前からも、横からも黒霧人形が迫ってる。

 逃げ場が無いのなら、この場を切り抜ける方法は一つだけ。一月先輩も炬白も、私と同じ答えを導き出したようだった。


「姉ちゃん、行こう」


 炬白は既に、紫の光を纏った鎖を振り回していた。彼が扇を描くように鎖を振ると、鎖に僅かでも触れた黒霧人形は紫の火花と共に、消滅していく。

 数は多いけど、倒す事はそんなに難しくないみたい。

 じっとしていたら駄目……私は炬白の鎖の一振りで空いた場所に移動する。そこには、先に一月先輩が踏み出ていた。


「前も後ろも囲まれていたら分が悪い、壁際に移動しよう」


 黒霧人形を天庭で打ち払いながら、先輩は私に紡いだ。

 手近な敵を天照で一閃し、私は応じる。


「分かりました!」


 囲まれている状態では、何処から攻撃されるか分からない。とにかく、この黒霧人形に僅かでも触れられるのは危険な気がした。壁を背にすれば、とりあえず背後を突かれる心配は無いと思った。


「だっ!」


 私と一月先輩は霊刀を振るって、黒霧人形を蹴散らしていく。

 後ろは、炬白がカバーしてくれた。炬白の鎖は私達の武器よりも攻撃できる範囲が遥かに広く、一振りで多くの黒霧人形を消滅させられている。

 心強いけど、時にはフォローしてあげなければならない。炬白が鎖を一度投げると、手元に巻き戻すまで少し時間を要するみたいだから。


「世莉樺、今だ」


 手近に迫る黒霧人形を天照で一刀両断しつつ、私は一月先輩に応じる。

 先輩の言葉が何を意味するのか、私には直ぐに理解出来た。

 先程までは前後左右を埋め尽くすようだった黒霧人形の隊列が、前方だけ開いている。道が、開いたのだ。


「炬白、行こう!」


 後ろを振り返りつつ、私は告げる。炬白は私に向いて、頷いた。

 一足先に駆け出していた一月先輩の背中を追い、私と炬白は暗い体育館の床を蹴る。行く手を阻もうとする黒霧人形達を打ち払いながら、私達は壁際へと移動した。

 ここならば、少なくとも背後を突かれる心配は無い。

 追い迫って来る黒霧人形達を、私達はひたすらに打ち払い続ける。


「はあっ!」


 天照をいくら振るっても、私は少しの疲れも感じなかった。最初はあれ程重く感じたこの霊刀が、まるで自分の体の一部のように感じる。天照が私を認めてくれた。少なくとも今は、そう思っておこう。

 側に居る一月先輩も天庭を振り続けているけれど、疲れを見せるような素振りは無かった。

 だけど、私達に迫り来る黒霧人形は……まるで減っている気配が無い。倒した側から、遠くで新しいのが生み出されているかのよう。

 次から次へと現れては、ゆらゆらと迫って来るのだ。


「キリが無い、一向に数が減らないな……!」


 一月先輩も、どうやら私と同じ事を思っていたようだった。

 側で鎖を振るっていた炬白が、応える。


「こいつらは瑠唯が作り出した影だ。生み出している大元を叩かない限り、無限に湧き出てくるよ」


 大元……つまり、この黒霧人形の源泉であり、元凶。それが何なのか、私には容易に想像が付く。いや、私だけではなくきっと一月先輩も気付いただろう。


「ていう事は、瑠唯ちゃんを止めない限り……!」


 私が発すると、炬白は首を縦に振った。彼の反応からして、やはり間違いは無い。

 今、体育館の窓を開閉する為の足場に居るあの子。鬼と成った瑠唯ちゃんを止めなければ、この気味の悪い黒霧人形達は無限に現れ続けるのだ。


「どうすればいいの!?」


 私は問う。

 すると炬白は、即座に応じた。


「オレと姉ちゃんで瑠唯を止めよう。オレの力を使って、あの足場へ移動するんだ」


「! 一月先輩は……?」


 私は訊き返した。

 炬白と私で瑠唯ちゃんを止めに行く間、一月先輩はどうするのか。


「お兄さんは駄目だ。前も言ったかもしれないけど、お兄さんの霊刀は霊力が足りてない」


 炬白は説明を一時停止し、鎖を振るった。眼前に居た黒霧人形達を一掃すると、再開する。


「黒霧人形程度なら倒せるみたいだけど、天庭には多分……瑠唯と相対する程の力は無いんだ」


「でも、一月先輩を一人残して行くなんて……!」


 私は、炬白の言葉に賛同できなかった。私と炬白が瑠唯ちゃんの下へ向かえば、一月先輩はたった一人で黒霧人形達と戦う事になるから。

 黒霧人形は一振りで蹴散らせる程度だけど、数が多過ぎるのだ。こんな場に先輩を残していくのは不安で堪らない。けれど、


「炬白の言う通りだ。世莉樺、行って」


「えっ、でも先輩……!」


 一月先輩自身が、炬白の意見に賛同した。

 予想外の言葉に私は戸惑う。先輩は自ら、危険を冒すつもりなのだろうか。


「炬白も言っただろ、天庭の力じゃあの子は止められない。それにもしもの時の為に、退路を確保しておいた方が良い。そう思わないか?」


「……!」


 的を射た意見だった。

 今、瑠唯ちゃんの下に向かうには高所の足場へ行くしかない。

 この状況では何が起こるか分からないのだ。私も炬白も先輩もあの足場へ上がってしまい、もしも降りられない状況になってしまったら――とにかく、逃げ道は残しておいた方が良い。


「分かりました、でも……」


 だけどやっぱり、私は一月先輩の身を案じてしまう。

 本当に大丈夫なのか。先輩の剣道の強さは知っているけど、ここでその強さが通じるのかどうか――。


「心配しなくていい、真由ちゃんを助けるんだろう?」


「!」


 私ははっとする。そうだ、私がここに来た目的は――妹を、真由を救う為。


「さあ、早く!」


 気が変わる。ここで足踏みしていたら、真由は助からない。一月先輩の計らいに、報いよう。


「……ありがとう御座います、一月先輩!」


 真由を救う為、身を危険に晒す事を選んでくれた先輩に、私は精一杯感謝する。

 先輩は返事をしなかった。けれどその背中が、私に『早く行け』と命じているように感じられた。そして先輩は再び、天庭を振るって黒霧人形を払っていく。

 自らの視線を、先輩の後ろ姿から炬白に移し、


「炬白、お願い」


 炬白は私と視線を合わせて頷き、何かの呪文を唱え始める。

 次の瞬間――私と炬白の周りを白い霧が覆った。





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