其ノ参拾八 ~鬼狩ノ夜 其ノ弐~




 変わり果ててしまった瑠唯ちゃんを改めて目にし、空気が斬り付けてくるような気持ちになる。痛いのは体じゃなく、心だ。生前の優しかった瑠唯ちゃんが、あんな姿になってしまった事が悲しい。

 悲しくて、悔しい。瑠唯ちゃんにあんな運命を辿らせた神様が、瑠唯ちゃんが亡くなる原因を作ったあの変態教師が、赦せない。


「姉ちゃん、お兄さん、来るよ」


 炬白の言葉で、我に戻る。そうだ、今はこんな事を考えている状況じゃない。

 私が今、瑠唯ちゃんにしてあげられる事、それは、あの子を止めてあげる事だけだ。あの子を止め、もうこれ以上犠牲になる人が出ないようにする事、それだけなのだ。


《遊ぼう……遊ぼう!》


 瑠唯ちゃんが巨大な黒霧を作り出す――私だけではなく、側に居る炬白と一月先輩も標的になっている。

 瑠唯ちゃんは、私達三人を一緒に黒霧で捕らえるつもりなのだ。


「くっ!」


 あの黒霧がどれ程恐ろしいか、私は身に染みて知っている。捕まったが最後、首を絞められて殺されてしまう。

 私は直ぐに逃げようとした、一月先輩も同じだった。しかし、炬白が私と先輩の前に立ち、告げた。


「姉ちゃん、お兄さん、今の内に霊刀を抜いておいて」


 炬白は私達に後ろ姿を向けたまま、鎖に指を添えて何かの呪文を唱え始めた。

 今までにも何度か聞いた、鎖に紫色の光を宿す呪文とは違う。私が聞いても、意味すら分からない言葉の羅列だ。

 だけど、炬白が発しているのが何の効力も持たない言葉では無い事を、私は自ら知る。炬白が言葉を発するのを止めた直後、彼が握っている鎖が急に伸びたのだ。

 およそ一メートル程だった鎖が、三~四メートル程の長さに――炬白どころか、私や一月先輩の身長を軽く越える程の長さに。

 あれも、精霊の力なのだろうか。


「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽」


 今度は、紫の光を鎖に宿す呪文。炬白はものの数秒で唱え、長さを数倍に増した鎖が紫色に輝く。暗い体育館の中が、淡く照らされる。


「世莉樺、用意しよう」


「!」


 隣に居た一月先輩に促され、私は気付いた。

 そうだ、黙って見ている場合じゃない。私は天照の柄を握り、鞘から引き抜いた。


「んっ……」


 眩い銀色の刃が、私の眼前に現れる。

 本物の刀の重量は、剣道で使用する竹刀や木刀とは段違いだった。私の力だと、両手で握っても何とか支えきれる程だった。でも重いだの使えないだのと、泣き言を吐いている場合じゃない。

 使いこなせなければ、死あるのみ。それに真由も救えないのだから。そう自分に言い聞かせると、心なしか天照が軽くなった気がした。天照は人の想いに呼応する霊刀だと炬白が言っていたから、私の気持ちを酌んでくれたのかも知れない。


「ふっ……!」


 私の隣で、一月先輩も霊刀を抜いていた。

 先輩の霊刀――天庭は天照と比べて古びているけど、そこからは何か、言いようの無い力が感じられる。


「二人とも、下がってて」


 私達が霊刀を抜いた事を後ろ目で確認し、炬白は長い鎖を回し始めた。その姿は、まるで馬に跨ったカウボーイが投げ縄を回すかのよう。

 ヒュンヒュンと鎖が空気を裂く音が、私の耳にも届く。鎖の先が体育館の床に触れ、表面を抉り取って木屑を辺りに散らせる。

 円を描くように回される鎖と共に、紫の光も円を描き――まるで、紫色の満月が現れるようだった。

 炬白が作り出した、紫色の光の満月。こんな最中にも関わらず、私は思わず綺麗だと思ってしまう。


《あははははははは!》


 瑠唯ちゃんの、悍ましい笑い声。生きていた頃のあの子の可愛らしい笑みとは違う、残酷で加虐的な笑み。

 同時に、瑠唯ちゃんが作り出した黒霧が私達に向けて落ちて来る。

 瑠唯ちゃんが放ったのだ。


「世莉樺、逃げないと……!」


 一月先輩が私に声を掛けてくる。

 先輩の言う通りだった、このままじゃ……!


「大丈夫、二人ともそこに居て」


 しかし、炬白が私達を制する。

 円を描く形で鎖を振り回した後――彼は力強く、横向きに薙ぎ払う形で鎖を放った。ジャラララララ……と、大きな金属音が体育館内に響き渡り、鎖は瑠唯ちゃんが放った黒霧へと飛んでいく。

 鎖の先が触れた瞬間、紫色の火花が飛び散った。瑠唯ちゃんの放った巨大な黒霧が、炬白の鎖に両断されて消滅する。

 鎖を長くしていたからこそ、成せた業だと思う。


「姉ちゃん、お兄さん、今だよ」


 長い鎖をその手元に巻き戻しつつ、炬白は私と一月先輩へ告げる。

 瑠唯ちゃんに視線を向けると、あの子の周りには黒霧は渦巻いていなかった。もしかしたら、今の攻撃で使い切ったのかも知れない。

 けれど、黒霧を再び作り出す事は十分に考えられる。

 だから、止めるのは今。きっと、一月先輩もそう思ったのだろう。


「行こう、世莉樺」


「はい!」


 私と先輩は、それぞれの霊刀を手に駆け出した。

 荒廃した小学校の荒れた体育館の床を蹴り、私達は瑠唯ちゃんへと走り寄る。


《フフ……》


 瑠唯ちゃんは狼狽える様子も無く――その片手を上げる。

 途端、私達の前に四体の黒霧人形が現れた。私が初めて鬼と成った瑠唯ちゃんと遭遇した時にも、見た物だ。


「ただの黒霧の塊だよ、霊刀なら一撃で消し去れる筈」


 私と一月先輩の後ろで、炬白は再び鎖を回していた。

 私は彼に頷き、


「先輩、行きましょう!」


 一月先輩が頷き、私達は再び駆ける。黒霧人形の側まで着くのには、数秒も必要としなかった。

 手近な黒霧人形に向けて、私は天照を振り抜く。刃が触れた瞬間、黒霧人形は空気に溶け入るかのように消滅していった。


「!」


 直後に、私は背後からの気配を感じ取った。振り返ったその時、黒霧人形が既にその腕を私に向かって伸ばしていた。

 危ない……! 私が身の危険を感じて、天照を振ろうとした時。


「おおおおっ!」


 聞き慣れた掛け声。

 その主は一月先輩で、私に迫っていた黒霧人形が両断される。

 一月先輩が、助けてくれたのだ。消えていく黒霧人形を側に、私は先輩に感謝する。


「ありがとう御座います……!」


 一月先輩は頷く。

 けれど、その後ろからもう一体――黒霧人形が迫っていた。


「先輩、後ろ!」


 一月先輩が、弾かれるように後ろを向く。

 その直後、先輩の背後に居た黒霧人形が消滅した。炬白が、紫の光を宿した鎖で撃ち抜いたのだ。


「オレだっているよ」


 炬白が、私達の側に歩み寄る。彼の事が本当に、頼もしく思えた。


「さて、こんな悪さはもう止めてもらおうかな?」


 炬白の言葉の対象は――瑠唯ちゃんだ。

 私と先輩は、瑠唯ちゃんへと視線を動かす。離れた位置に居る瑠唯ちゃんは、動揺する様子も無く、ただそこに居た。生気を失った瞳からは、何の感情も読み取れない。

 しかし突然、


《あは……あはははははははははは!》


 狂ったような、瑠唯ちゃんの笑い声。

 同時に瑠唯ちゃんがその両手を上げる――直後、彼女の小さな体を、まるで竜巻のように黒霧が覆い包む。

 ぐっ、空気が重い……!

 同じ事を感じたのだろうか、私の隣では一月先輩が表情をしかめていた。


「まさか、これ程の力を……」


 炬白が発する。

 数秒の後――私達三人を中心として、黒霧が渦巻き始める。黒霧が止んだ時、代わりに私達を無数の黒霧人形が取り囲んでいた。

 周囲を一瞥して、私は呟く。


「何て数……!」


 絶望的な状況、そう表現しても間違いは無いと思う。

 体育館中を埋め尽くすように、黒霧人形が立っていた。前も、後ろも、右も左も――隙間無く。生暖かい空気が、気持ち悪くて不快だ。

 私達を取り囲むように作り出された、無数の黒霧人形。これから起こる状況が、私には容易に予測できた。

 無意識に、天照を持つ手に力が籠っているのを感じる。


「何て事だ……琴音の時以上だな」


 こんな最中でも、冷静さを崩さない一月先輩が凄いと思う――。

 しかし、先輩の顔を見れば、決して余裕は無い事が伺えた。一月先輩はその頬に汗を伝わせ、微かに呼吸を乱している。きっと、先輩もこれから自分の身に降りかかる出来事を予期しているのだろう。

 ゆらゆらと蠢く黒霧人形を見つめつつ、私は天照を固く握る。


「……気を抜かないで。姉ちゃんも、お兄さんも」


 炬白は私達に告げつつ、鎖をジャラリと鳴らした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る