其ノ弐拾九 ~世莉樺ノ悲哀ト決意~
次の日になると、雨は止んでいた。けれど、世莉樺はまるで自身の心の中に雨が降りつづけているような気持ちだった。
知る事となった瑠唯の真実は余りにも残酷で、陰鬱で理不尽で不条理な物だったのだ。
「どうして、瑠唯ちゃんがあんな目に……!」
午前の授業が過ぎ、昼休みの時刻。
気持ちを表情に出さない自信は無い。それでも部活動をおろそかには出来ずに、世莉樺は剣道部の部室に赴いていた。
剣道の練習をする気があった訳ではないが、とにかくクラスメート達から離れたかったのだ。悲痛に駆られる表情を、友人達に見られたくなかった。
「悲し過ぎるよね……」
世莉樺の背中に、炬白の声が届く。
炬白は瑠唯の死の真相を、世莉樺の口から詳細に聞いたのだ。椰臣という教師が瑠唯が事故死する原因を作り、そして身動き出来なくなった瑠唯が雨の中、母を呼び続けながら息絶えた事も。
世莉樺は振り向くと、すぐに炬白と視線が合う。
「炬白、鬼に成った瑠唯ちゃんを本来の瑠唯ちゃんに戻す事は出来ないの?」
「どういう意味?」
世莉樺は胸元で拳を握り、
「だって、可哀想すぎるじゃない! あんな死に方をした上に、鬼に姿を変えて……瑠唯ちゃんを助け出せないの!? 昨日現れた本来の瑠唯ちゃんに戻す事って、出来ないの!?」
鬼となった瑠唯を、本来の心優しい瑠唯へ戻す事は出来ないのか。
世莉樺の質問を、そう炬白は解釈した。
「……」
炬白は押し黙るように、視線を下に向ける。
彼の仕草から、何となく世莉樺は答えを予測する事が出来た。
「ねえ、炬白……!」
出来る事なら、炬白に自身が予想している答えを返して欲しくない――しかし、世莉樺への返答は、絶望的な物だった。
「残念だけど、瑠唯を救うのはきっと……不可能だよ」
「え……!?」
瑠唯をまだ救えるかもしれない――その僅かな希望が、世莉樺の中で潰えていく。
炬白は、世莉樺の瞳を真っ直ぐに見据えていた。幼い外見には不似合いな、真意の込められた眼差しだった。
「昨日現れた瑠唯の残留思念……瑠唯の本来の人格は、完全に鬼に取り込まれていると思うから」
世莉樺は言葉を返さない。
ただ、その面持ちを絶望と悲哀に染めるのみである。
「あんな直ぐに消えてしまう程に、魂の大部分を鬼に囚われていたんだ。残念だけど、もう本来の瑠唯は……」
そこで、炬白は言葉を止めた。否、部室の扉を開ける音に、止められたのだ。
剣道の大会でも控えていない限り、昼休みに部室に来る者は多くない。故に、誰が来たのか、世莉樺には想像が付く。
「一月先輩……」
部室に現れた少年は、一月だった。恐らく彼も、部室に誰かが来ていると思ってはいなかったらしく、意外気な表情を浮かべる。
「世莉樺? それに炬白も……」
一月が部室を訪れた理由を、世莉樺は特に聞かなかった。そんな事よりも、一月に聞いて欲しい事があったのだ。恐らくただ一人だけ、世莉樺の置かれている状況を理解してくれている一月、さらに自身と同じような異常体験をしたという彼に。
唯一の世莉樺の協力者、そう表現して差し支えないだろう。
「どうしたの?」
世莉樺の顔を見ると、一月はそう訊いた。
恐らくは、世莉樺の表情から察したのだろう。
「もしかして、鬼の事で何か?」
世莉樺は視線を逸らし、消え行ってしまいそうな声で紡ぐ。
傍らで、炬白は見守っていた。
「本当の事を知りました。瑠唯ちゃんの死の真相を……」
三人だけの部室の中、世莉樺は一月へ明かした。自身が掴んだ事実、瑠唯の死に関する本当の事を。
世莉樺が抱く悲哀が、一月にも伝わったらしい。
「そんな事が……」
耳障りな雨音は、今日は部室に響いていない。
しかし、空は晴れているとは言えず、灰色の雲に覆われている。
「瑠唯の残留思念が、姉ちゃんに教えてくれたんだ」
一月は数度、頷いた。
彼は、部室の床に放置された一本の竹刀を手に取る。
「炬白、僕が持っていた霊刀……あれはこの状況でも、今でも役に立つ?」
一月は、竹刀を竹刀立てに戻した。
「天庭? 勿論、役に立つよ」
炬白の発した天庭という言葉を、世莉樺は頭の中で辿る。それは間違いなく、一月が持っていた霊刀の名前だ。
「天庭の霊力は弱まってるけど……オレの霊力を与えれば、問題なく使える筈さ。この意味、お兄さんなら分かるよね?」
一月は頷き、再び問う。
「資料室で見つけた霊刀は?」
「そういえば、天照……!」
世莉樺は、ようやく思い出した。瑠唯の真実を知った今ならば、天照を抜く事が出来るのではないだろうか。
「やっと思い出した? 姉ちゃん」
炬白は世莉樺へと歩み寄り、空気を差し出すように手を伸ばす。その直後、彼の手の中に現れた。瑠唯を止め、真由を救う鍵となろう霊刀――天照が。
どうやら炬白は、世莉樺達は視認出来ない状態にして持って来ていたようだ。
「姉ちゃん、ずっと悲しい表情してるから……言い出せなかったよ」
「ごめん……瑠唯ちゃんの事考えたら、つい」
炬白から、世莉樺は両手で天照を受け取った。
「んっ……」
本物の刀の重みが、世莉樺の手首を少しだけ降下させる。
しかし世莉樺は直ぐに力を込めて、手首を戻す。両手の力でしっかりと天照を支え、彼女は天照の柄を握った。
自分自身でも驚く程に、世莉樺の表情は真剣だった。
(抜けて、お願い……!)
ここで天照が抜けなければ、もう手立ては無いに等しかった。
天照を握る彼女の手には、力ではなく妹を救いたいという気持ちも込められていた。そして願わくば瑠唯を、哀しき悲劇の犠牲となった一人の幼い少女を救いたいという、僅かな濁りも無い想いも。
「ふっ……!」
無意識に発せられた一文字と共に、世莉樺は天照の柄を引く。自身に残された全ての想い、そして希望と共に。
「!」
まるで鞘と固定されてしまっていたかのような天照が、まるで元から抜けるようには作られていなかったかのような霊刀が、その白銀色の刃を覗かせた。
驚愕を浮かべる世莉樺の表情が、まるで鏡のように天照の刀身に映っている。
「姉ちゃん……」
炬白の声で、世莉樺は我に戻る。
「抜けた……天照……!」
世莉樺の表情に、微かに笑みが浮かぶ。天照が抜けたという事は、鬼と成った瑠唯と相対する力を得たという事だ。
ようやくこれで、前へと進めるのだ。本物の剣を持っている所を誰かに見られると騒ぎになると考え、世莉樺は一旦、天照の刃を鞘へ納める。
「天照が姉ちゃんを認めたんだ。これで瑠唯を……鬼を止められる」
「協力するよ、僕も」
世莉樺と炬白は、ほぼ同時に一月を向く。
「天庭が使えるなら、僕も力になれるから」
落ち着くような声色の裏に、一月の決意が込められていた。
世莉樺一人よりも、一月にも協力してもらった方が良い。霊刀が二本あった方が、心強いだろう。
一月の申し出を断る理由は、世莉樺と炬白には見つからなかった。
「ありがとう御座います、一月先輩」
世莉樺は一月に、軽く礼をした。
炬白が世莉樺へと紡ぐ。
「あの子の為にも、絶対に鬼を止めよう。そして真由を救うんだ」
炬白の発した『あの子』とは、世莉樺の下に現れた本来の瑠唯の人格を指していた。もう瑠唯は救われない、世莉樺にも誰にも、悲しい目に遭った瑠唯を助け出すことは叶わないのだ。
本当の瑠唯は、蝶が大好きだった心優しい少女は――鬼に成り果ててしまったのだから。炬白の言った通り、もう恐らく何をしようと、取り戻せないのだ。
「必ず……!」
世莉樺が瑠唯にしてあげられる、唯一つの事。
それは、鬼と成った瑠唯を自身の手で止め、悲劇の連鎖を断ち切る事のみだった。ようやく自身を認めた霊刀を、鞘越しにその手に持ち――世莉樺は決意を新たにする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます