其ノ弐拾六 ~悲シキ真実 其ノ壱~
気が付いた時、世莉樺が居た場所は自室では無かった。
戸惑いつつも辺りを見回し、世莉樺が感じたのは既視感だった。
(ここって……)
そこは、世莉樺が見覚えのある場所だった。
以前に一度、訪れた事のある場所。記憶を辿ると、さほどの時間を要さずに世莉樺は思い出す。
(! 瑠唯ちゃんの家!)
そう、世莉樺が立っていたのは、由浅木瑠唯の家だった。
瑠唯の母に話を聞く時にも訪れた場所である。
(どうしてここに……)
その疑問を発した時、世莉樺は自身が見ている風景に違和感を覚えた。
自身の視点が、いつもより低い位置にある。周りに置かれた家具、椅子やテーブルが、自身の顎の少し下程の高さまでもあったのだ。
――私、小さくなってる……!? そう心中で発した、次の瞬間。
世莉樺は、自身の体が動かない事に気が付いた。
(っ!?)
足も腕も、指一本すらも動かす事が出来ず、声を発する事も出来ない。
体の各部を世莉樺が動かそうとしても、まるで固まってしまったかのように、微動だにしない。まるで、ただその場に立っているだけのマネキン人形になったような感覚だった。
困惑する世莉樺に、頭上から声が発せられる。
「どうして……?」
途端。世莉樺の頭が彼女の意思とは関係無く、上に向けられる。
状況がまるで理解出来ない世莉樺。
しかし、自身を見つめていた視線に、世莉樺は一時困惑を停止させられた。見覚えのある所ではない、世莉樺もよく知る女性が見下ろしていたのだ。
「ねえ瑠唯……どうして、そんな嘘吐いていたの……!?」
悲しげに、しかし内面には怒りが内包されるような声。
発していたのは――。
(瑠唯ちゃんのお母さん……!?)
由浅木瑠唯の、母だった。
その時、食器棚のガラス面に映った自身の顔を見て、世莉樺は驚愕する。
何と、ガラス面には瑠唯の顔が映っていた。つまり、世莉樺は瑠唯になっていたのだ。
(え、ええっ!? どうして……)
かき乱されるように混乱する世莉樺、しかし答えは簡単だった。脳裏に先程の瑠唯からの言葉が蘇り、世莉樺は全てを理解する。
“私が生前に体験した事をそのまま……お姉さんに体験させる事。それなら私がどうして命を落とす事になったのか、お姉さんにも全部分かると思う”
瑠唯の言葉を思い出しただけで、世莉樺には容易に想像が付く。
そう、世莉樺は今、『雪臺世莉樺』としての意思を持ったまま、『由浅木瑠唯』になっている、思考や感覚を持ったまま、別の人間になっているのだ。そして、瑠唯が生前に体験した事を、追体験しているのだ。
「瑠唯!」
世莉樺がようやく状況を理解した時、瑠唯の母がしゃがむと同時に、いきなり世莉樺の両肩を掴んだ。
「っ!」
世莉樺は、自身の意思とは無関係に、自分のものでは無い声が発せられるのを感じる。同時に、言いようの無い気持ちが込み上げてくるのを感じた。
原因は、自身を見つめる瑠唯の母だ。
「どうしてよ瑠唯、絶対に嘘は吐かないって約束したじゃない!」
世莉樺が知る、嫋やかで優しげな瑠唯の母の雰囲気は、影も形も無かった。あるのは、まるで怒りと悲哀をぶつけるかのような面持ちだ。
(瑠唯ちゃんのお母さん……!)
厳密には、瑠唯の母は世莉樺に向けて叫んでいる訳では無い。
けれども世莉樺には伝わってくる。
瑠唯と一体化して、彼女に起こった出来事を追体験している世莉樺には、その時の瑠唯の気持ちも共有しているのだ。
まるで、心を鷲掴みにされたような気持ちだった。
「ねえ、ねえ瑠唯!」
瑠唯の母が、世莉樺の両肩を強く掴み、激しく揺さぶる。女性の力でも、十分に『痛い』と感じられるほどの強さが込められていた。
「いっ……痛い!」
世莉樺が発する。
否、その声は瑠唯の声だった。しかし、世莉樺にも両肩を揺さぶられる痛みは伝わってくる。
(そうだ、私……瑠唯ちゃんが味わった痛みも、全部体験する事に……)
直後、瑠唯の母は潤んだ瞳に瑠唯を捉えながら、さらに言葉を放つ。
「たった一人の家族なのよ!? その家族に貴方は嘘を吐いて……どうしてなの!?」
瑠唯が感じる気持ちは、そのまま世莉樺の気持ちとなる。
言いようの無い気持ち、敢えて言葉で表すならば、それは『絶望感』に似ていた。 ただ一人の家族が、自身の母が――両目に涙を溜めながら、悲痛な叫びを上げている。
「だって……本当の事を言ったら、またお母さんに迷惑をかけるから……!」
世莉樺の意思とは関係なく、発せられる。
母にこれほど激しく叱咤される事は、幼い瑠唯にとって相当な心痛になったのだろう。
(っ……!)
瑠唯が抱く気持ちは、世莉樺にも伝わってくる。高校生である世莉樺でさえも、心が崩れそうな想いになる。
(まだ小さな子なのに、瑠唯ちゃんはこんな想いを……!)
その時、瑠唯の母が片手を振り上げるのを世莉樺は見た。
直後、乾いた音と同時に世莉樺は頬に痛みを感じる。顔が横を向く。
「うっ!」
瑠唯の母が、瑠唯の頬を叩いたのだ。
(痛い! どうしてこんな……!?)
世莉樺には分からない、理解出来ない。あれほど優しげだった瑠唯の母が、何故これほどに怒っているのか。
娘の瑠唯を叩く程に、激昂しているのか。
「嘘を吐いてまで、虐められてる事を隠して……! お母さんが喜ぶと思ったの!?」
再び、瑠唯の母は瑠唯の肩を掴む。
その言葉で、瑠唯はさらに心痛な気持ちになったのだろう。
(そういえば……!)
思い返せば、瑠唯の母は言っていた。
“あの子、私が仕事で忙しいからって……余計な気を煩わせないようにって、私に嘘を言ったの。虐めは止まった、もう心配しなくて大丈夫って……”
瑠唯は、瑠唯の母に嘘を言っていた。
しかし、世莉樺がこの状況から察する所――何かが切っ掛けとなって、本当の事が瑠唯の母に伝わったのだろう。
瑠唯の母は、瑠唯が自身に嘘を吐いていた事が我慢できなかったのだ。
嘘を吐かないという約束を破っていた瑠唯。ずっと一人で、誰にも相談することなく虐めに耐えていた瑠唯。自身の為に、気丈に振る舞っていた瑠唯。
「ねえ、瑠唯!」
決して、瑠唯の母は頭ごなしに怒鳴っている訳ではないのだろう。娘を見つめる両目が涙に潤んでいる事、それが何にも勝る証拠である。
(っ……!)
瑠唯の気持ちが、世莉樺にも伝わってくる。
彼女は決して、悪意を持って母に嘘を吐いていた訳では無かった。忙しい母に、自分の事で負担を掛けたくなかった、ただそれだけなのだ。
「ち、がう……違う……!」
弱々しく、途切れ途切れな声で、瑠唯は返す。少女の視線は下に向けられ、涙にぼやけていた。
(……もう止めて! 瑠唯ちゃんが可哀想!)
瑠唯と一体化している今の世莉樺には、瑠唯の気持ちが誰よりも伝わってくる。声を発そうとしたが、世莉樺の気持ちは決して、声になる事は無かった。いや、声は確かに出せた。しかし瑠唯にも瑠唯の母にも、それは届かない。
その時、ガラスが砕け散る音が側から響いた。
「きゃっ!?」
食器棚の扉にはめ込まれたガラスが、突然粉々に砕けたのだ。側に居た瑠唯の母に、その破片が降り注ぐ。
恐らく瑠唯は、瑠唯の母以上に驚いたのだろう。
(瑠唯ちゃんの持っていた、不思議な力……)
思い当たる事があった。
世莉樺の記憶では、瑠唯の周りでは時折、不可思議な出来事が起こっていたとの話だ。突然窓ガラスが割れたり、という現象が度々あったとの事である。
今、何の前触れも無く食器棚のガラスが突然砕けたのも、恐らく無関係ではないだろう。
「お母さん!?」
叱咤されていた事も忘れ、瑠唯はうずくまるように床に腰を降ろす母に駆け寄ろうとする。散乱するガラスの破片を浴びたが、幸いにも瑠唯の母には怪我を負った様子は無かった。
しかし、想定外の出来事に驚いた事には間違いは無い。
「はあ……はあ……」
瑠唯の母は荒く呼吸をしつつ、驚愕に目を見開いていた。
そして、その見開かれた目がゆっくりと、瑠唯の方へと向けられる。
「……!」
世莉樺にも、その時の瑠唯の気持ちが伝わって来る。
瑠唯の母の瞳は、自身の娘に向けるような瞳では無かった。まるで悍ましい物でも見つめるような、恐怖の色を浮かべた瞳だ。
「お母……さん?」
その呼び掛けに、瑠唯の母はゆっくりと口を開く。
そして、母は言ってしまった。娘にとって何よりも耐え難い、決して言ってはいけないその言葉を。
「ば、化け物……!」
その瞬間、世莉樺は瑠唯の気持ちを感じた。
闇の底にゆっくりと沈んでいくかのような、深い深い絶望だった。
(!?)
その直後、世莉樺の視界が、まるで水面に黒いインクを落としたように歪んでいく。
歪みが晴れた時――世莉樺の瞳には、別の場所が映っていた。
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