其ノ弐 ~不穏ノ予兆~
都市部から離れた田舎に位置し、田畑や民家が軒を連ねる村だ。少し寂れた雰囲気がありつつ、古風な趣を感じさせ、豊かな自然や澄んだ空気に恵まれている。四字熟語で表現すれば、『風光明媚』という言葉がよく似合う農村だ。人口は田舎としては割合多い部類に入り、小中高の学校も備えていた。
末っ子の悠太は幼稚園に、次女の真由は小学校へ。
そして、雪臺家の第一子であり、長女の世莉樺は自転車を漕ぎ、高校に向かっていた。その背中には、剣道の竹刀袋が背負われている。
彼女が鵲村第一高校へ到着したのは、家を出発して約十五分程後の事。世莉樺が駐輪していると、一人の女子生徒が世莉樺に手を振りつつ、歩み寄って来た。
「世莉樺、おはよ」
自転車の鍵を掛けると、世莉樺は声の主に視線を移す。
「あ、おはよう朱美」
朱美――世莉樺がそう呼んだ少女もまた、世莉樺と同じ竹刀袋を背負っていた。
彼女は世莉樺と同じ一年生、つまり同級生。そして、同じ剣道部に所属する部活仲間である。高校入学後間もなく仲良くなり、世莉樺が送って来た三ヶ月程の高校生活の中で、最も関わりがあったと言える少女だ。
「熱くなってきたね、もう七月か……」
燦燦と照りつける太陽を、朱美は見上げる。
二人の少女は、共に高校の玄関へと向かっていた。
「そう言えば……もうそろそろ、公園のお祭りだよね」
「そういえばそうだったね。世莉樺、真由ちゃんと悠太君、連れて行ってあげるの?」
世莉樺は、朱美の問いに首を横に振った。
彼女の茶髪が、鈴の音でも鳴らしそうに空を泳ぐ。
「ううん、真由は友達と行くと思うし、悠太は行くかどうか分かんないから」
世莉樺は、朱美に訊き返す。
「朱美はどうするの? ……って、そっか、佑真君と行くんでしょ? きっと」
何気なく、世莉樺はそう訊く。
しかしその言葉で、朱美の様子が変わった。
「っ……」
朱美が突然、悲しげな表情を浮かべる。
世莉樺から視線を逸らし、彼女は胸元で拳を握る。
「え、朱美……?」
「ごめん世莉樺。佑真の名前は……今は出さないで」
佑真とは、世莉樺や朱美の同学年で、隣のクラスの男子生徒。佑真は、朱美の彼氏であった。
彼の名前を出した途端、朱美が悲しげに俯いた。朱美と佑真の間で何かがあった――世莉樺はそう判断する。
「……それよりもさ、世莉樺知ってる? この村で続いているっていう行方不明事件の事」
世莉樺が謝罪の言葉を紡ごうとした瞬間、朱美が先だって問う。
朱美の表情からは既に、悲しげな面持ちは消えていた。元の、溌剌とした様子に戻っている。
「え……うん。最近よく新聞とかに載ってる」
一新された話題に戸惑いつつも、世莉樺は返した。
「それでね、私ネットで調べてみたんだけど、その行方不明事件にはちょっとした噂があるの」
「え、どんな?」
世莉樺は訊き返す。
彼女はオカルト的な趣味は無かったが、真由と悠太を脅かす種になるかと思っていた。
「行方不明になった人は、失踪する直前、いずれもあの廃校……『笹羅木小学校』に行っていたんだって。確証は無いらしいけど」
「ささらぎ……小学校? そんな小学校、何か聞いたことあるような、無いような……」
世莉樺には、聞き覚えの薄い小学校。
否、全く聞き覚えが無いという訳では無かったものの、今の今まで思い出すことは無かった小学校である。朱美の言葉によれば、その笹羅木小学校は既に廃校になっているとの事だった。
「て言っても、ネットに転がってた情報だから、本当なのか怪しいんだけどね」
朱美もまた世莉樺同様、オカルトめいた趣味は無い。
暇つぶし程度にネットを検索していたら、たまたま目に留まった。その程度である。
「でも世莉樺、もしもその笹羅木小学校に何かがあって、本当にそれが原因で行方不明事件が起きてるとしたら……どう思う?」
「何かって……例えばどういう事? 朱美」
今更ながら、世莉樺は高校生が朝に話す話題としては不似合いなのでは、と感じ始める。
朱美は「うーん……」と漏らした後、紡いだ。
まるで幽霊の物真似をするように、両手を前方にぶら下げつつ。
「例えば……笹羅木小学校には悪霊が住みついてて、立ち入る者を見境なく殺しては、地獄へ引きずり込んでる……なんてね」
◎ ◎ ◎
その日も、世莉樺はいつもと変わらない、高校での一日を過ごした。
文学や数学の授業を受け、授業間の休み時間や昼休みには友人と語り合い、放課後には教室の清掃を行う。
そして世莉樺は部活仲間の朱美と共に、その場所へと向かう。
鵲村第一高校、剣道部部室だ。
世莉樺と朱美が向かっている頃、体育館の向こう側に位置する部室には、二人の少年が居た。
一人は普段着のまま竹刀の素振りをし、そしてもう一人は椅子に座り、一体どこから持ち込んだのか、新聞を広げている。その見出しには、『相次ぐ行方不明、警察の捜索の成果無し。神隠しか?』とあった。
「先輩、そんな新聞読んでて面白いんですか?」
素振りをしている少年は、新聞を読む少年に問う。敬語で話しかけた事から、先輩と後輩の間柄であると分かる。
「いや、面白いって訳じゃないけど……ちょっと気になる事があるんだ」
後輩に応じつつも、少年は新聞から視線を外さない。
新聞に視線を泳がせつつ、彼は心中で呟く。
(まさか……)
新聞を睨む彼の表情は、真剣な物を感じさせた。
少年は少し長めに切り揃えられた髪型をしており、容姿は悪くは無い。その瞳はどこか憂いを帯びていて、物悲しげな雰囲気を感じさせた。
新聞を見つめつつ、彼は自身の後輩である少年に、
「そういえば佑真、今日テストあったんだろ、どうだった?」
素振りをしていた少年は、一度その手を止める。
「あー、イマイチでした。ちょっと個人的な出来事の所為で、勉強捗んなくて……」
頭を掻きつつ、応じる佑真。
その時、剣道部部室への扉が開けられ、二人の女子生徒が入室する。
世莉樺と朱美だ。
「あ、二人ともお疲れ」
少年は、今し方入室した二人の女子生徒に言った。
世莉樺が応じる。
「お疲れ様です」
続いて朱美も、少年に向かって応じた。
「こんにちは、先輩」
二人の生徒が入室し、剣道部部室には計四人の生徒が居た。
一年生の世莉樺、朱美、佑真、そして彼らが敬語で接する、椅子に座った少年が一人。
「っ……!」
朱美の視線が、佑真へと向けられる。
この二人の男女は、以前より交際していた。
けれど、朱美が佑真に向けている視線は、自身の彼氏に向けるような眼差しでは無い。まるで、憎々しげな気持ちを押し出すかのようだった。
「……何だよ」
呟くように、佑真が発する。
たった三文字の言葉に、忌々しげな気持ちが込められていた。
「何だよじゃないでしょ!」
朱美の怒声が、部室に響き渡る。
それを皮切りに、佑真と朱美は互いに言葉をぶつけ合い始めた。
世莉樺は、椅子に座って新聞を読む少年に歩み寄った。
「何かあったんですかね、あの二人」
「……」
世莉樺の言葉に、少年は応じなかった。
彼は一度世莉樺と視線を合わせ、小さく頷く。
その間にも、二人の怒声が発せられる。
「一度くらい約束守れなかったくらいで、何でそんな怒るんだよ」
「一度くらい、ですって」
押し留めるように、朱美は黙り込む。
その拳は、固く握られていた。
「一度なんかじゃないでしょ、佑真はいっつもそうやっていい加減な事ばっかり……」
世莉樺は仲裁する隙を見つけ出そうと試みるが、早々に断念した。下手に介入すれば、二人の喧嘩の炎がさらに大きくなりそうだからである。
世莉樺が『先輩』と呼ぶ少年は、そんな最中に居るにも関わらず、新聞から視線を外さない。
その後も、佑真と朱美は互いに怒声を放ち合う。世莉樺と少年は、何もせずにその場に居た。
数分の時が経った頃――朱美が涙交じりの声で、佑真に向かって放つ。
まるで、張り裂けるかのような叫びを。
「もういい、佑真なんか……!」
同時に佑真も、
「俺だってもう沢山だ! お前なんか……」
その時だった。
佑真と朱美が続けようとした言葉を遮るように、その言葉が発せられる。
「やめろ!」
二人の怒声にも劣らないその声に、朱美と佑真は言葉を止められた。
部室内が、一瞬にして沈黙に塗り潰される。
朱美、佑真、そして世莉樺。彼らはほぼ同時に、その声を発した者へと視線を向けた。
朱美と佑真の喧嘩を一声で止めたのは、先程まで新聞を読んでいた少年だった。
彼は椅子から立ち上がり、朱美と佑真を見つめる。どこか悲しげで、それでいて威圧的な雰囲気のある瞳で。
「二人とも、その先は言うな」
朱美が、すかさず食って掛かる。
「だって先輩、佑真が……!」
「事情は知らないけど、もうそこまでにしろ!」
諭すように、少年は二人の後輩に紡ぐ。
「いいか二人とも……言葉ってのは、刃物と同じなんだよ! 相手の心を深く抉って、一生消えない傷を付けてしまう恐ろしい凶器なんだ!」
朱美と佑真は、少年の言葉に押し黙る。
それだけの説得力、そして迫力を帯びた少年の言葉は、さらに続けられた。
「一番大切な筈の人を汚い言葉で傷つけて……そして、一生消えない後悔を抱えながら生きたいか!?」
朱美と佑真は、押し黙るままである。
二人を叱咤する少年も俯き、まるで何かを思い出すように、悲痛な表情を浮かべる。
「佑真も朱美も、そんな事も考えられないような、子供じゃないだろ」
そう言い残すと、少年は部室の入り口である扉へと進み、部室から出て行く。
訪れる一時の沈黙――破ったのは、世莉樺だった。
「私も……正しいと思う」
朱美と佑真は、彼女へ視線を向ける。
「間違ってないよ。さっき、一月先輩が佑真君と朱美に言った事」
部室の片隅に、学校指定の手提げ鞄が一つ置いてあった。紺色の地に、金色で名前が刺繍されている。
刺繍された名前は、『金雀枝一月』。
鞄のチャックの部分に、銀色のチェーンでマスコットが吊り下げられていた。
寡黙で冷静な彼には不似合いな、可愛らしいクマのマスコットである。
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