其ノ参 ~迫リ来ル戦慄~

「なあ真由、肝試ししようぜ!」


「え、肝試し……!?」


 午後二時半頃、場所は鵲村第一小学校。

 放課後となった三年二組の教室で、雪臺真由は突然、肝試しの誘いを受た。世莉樺の六つ下の妹で、雪臺家次女である真由は、戸惑う。

 真由の前に立っているのは、計三人の少年少女達で、皆真由のクラスメートである小学生達だ。


「ね、行こうよ真由、今日暇なんでしょ?」


「夏って言えば、やっぱ肝試しだろ?」


 教室の机は既に下げられ、掃除当番の者達が教室清掃を始めようとしていた。多くの子供達はランドセルを背負い、帰路に就こうとしている。掲示係の生徒が、掲示板に画鋲で学級新聞を留めていた。


「でも……」


 真由は、言葉を濁していた。

 すると付け入るように、男子生徒の一人が言う。


「あ、もしかして真由、怖いのか~? 今でもお姉ちゃんと一緒じゃなきゃ、夜にトイレ行けないんだって~?」


「なっ!? 違うよ、それは弟の悠太!」


 真由は、俯くように降ろしていた視線を上げた。


「こーわいんだ、こーわいんだ、ゆーきむーろまーゆは怖がりーんぼーっ!」


 少女の一人が、即興で歌い始める。すると他の二人がそれに合わせ、手拍子を始めた。

 真由は顔を赤らめる。


「こ、怖くないっ! 怖くないもん!」


 三人の少年達は、なおも歌い続けている。

 しかし、その次の真由の言葉で、彼らは沈黙した。


「分かったよ、だったら私も行くよっ!」


 まってました、と言わんばかりに、少年の一人が応じる。


「そうこなくっちゃな」


 真由は顔を赤らめつつ、むっすりとした表情を浮かべていた。

 先程少年達に即興の歌でからかわれた事を、それなりに怒っている。


「だけど、肝試しってどこでするの?」


 真由が問う。


「とっておきの場所を見つけてあるのさ」


 少年は得意げだった。

 彼は、まるではやし立てるかのように真由に告げる。

 ――その場所を。


「廃校になった小学校……『笹羅木小学校』さ。そんな遠くにある訳でも無いし、うってつけの場所だぜ?」



  ◎  ◎  ◎



 世莉樺は部活を早退し、早めに家に帰った。剣道部顧問の教師には、『母が不在なので、妹と弟の世話をしなければならない』と説明してある。

 彼女が家に戻った頃、時刻は五時を過ぎていた。


「ただいま」


 自宅の玄関を開けて、土間に入る。

 すると世莉樺は気付いた。末っ子の悠太の靴はあるが、真由の靴が無い事に。


(……?)


 携帯を取り出して、世莉樺は時刻を確認する。

 液晶画面の時刻表示には、『17:14』とあった。つまり、現在時刻は五時十四分。

 真由は学校での決まりをきちんと守る子だった。いつも、小学校で定められた帰宅時刻を守り、五時前には家に戻ってきている。


(遊びに行ってるのかな?)


 その時、玄関の側の階段から足音がした。降りて来たのは、末っ子の悠太だ。


「あ、世莉樺姉ちゃんお帰り」


 悠太は既に、幼稚園から帰宅していた。


「うん。ねえ悠太、真由は? 帰って来てないの?」


「真由姉ちゃん、一回帰って来たよ? ランドセル置いて、なんか『きもだめし』? してくるって」


「きもだめし……肝試し?」


 世莉樺は家に上がる。

 脱いだ靴を揃えつつ、彼女は自身の弟である少年に問う。


「何処に行ったか、聞いてない?」


「ううん」


 悠太は首を横に振った。

 世莉樺は、怪訝な表情を浮かべる。


(けど、過ぎてるって言っても十分くらいだし、そろそろ帰ってくるよね)


 そう考え、世莉樺は制服姿のまま居間に入る。

 彼女の後ろを、悠太が追った。


「夕飯の支度しよう、手伝って悠太」


「真由姉ちゃんは?」


「きっとすぐ帰ってくる。お腹空かせてね」


 世莉樺と悠太は台所へ向かう。

 途中、世莉樺は居間に置かれたテレビのスイッチを入れた。特に見たい番組は無かったが、BGMのようなものにでもと思ってである。

 映った番組は、天気予報だった。


『本日六時から七時にかけ、鵲村で雨が降り始める見通しです。これから外出する際には、傘をお忘れなく』


 気象予報士の言葉に、世莉樺が反応する。


「え、雨……? 真由、降って来る前に帰ってくればいいけど……」


 世莉樺は窓に視線を向ける。

 先程まで晴れ渡っていた空が、まるで汚水を吸った脱脂綿のような雨雲に覆われていた。

 灰色一色に支配された空。世莉樺にはどこか無機質で、陰鬱に感じられた。



  ◎  ◎  ◎



 かつて多くの子供達が行き交い、学び、遊んだ場所。

 けれど、そこには最早かつての面影は無かった。子供達も、そこで教える教員も、誰も居なくなり――存在する意義すら失った建造物。

 ただそこに『ある』だけで、もう誰の記憶に留められる事も、取り壊される事すらも無く、悲しげに忘れ去られた場所。

 鵲村の、廃校となった小学校――笹羅木小学校。

 壁や天井は雨風に浸食されてボロボロになり、手入れのされていない校庭には雑草が繁茂している。とてつもなく不気味で、悍ましさすら感じさせる廃校。

 その体育館に、幼い少女は一人佇んでいた。

 横にボリュームを持ったショートヘア、黄色いパーカー、そしてミニスカート。少女は、とても可愛らしい容姿の持ち主であった。


 けれど――よく見れば、彼女が普通の人間ではない事に気付く。その小さな体から、時折黒い霧が瞬いているのだから。

 さらに、そのくりりとした瞳は生気を失い、何処にも焦点を結んでいなかった。


《……!》


 小さな少女は、顔を上げた。

 ――誰かが来る、この廃校に誰かが……。少女は、それを確かに感じ取る。


 途端、彼女はまるで、待ち望んでいたように笑みを浮かべた。

 幼い外見に相応で、無垢な、しかし――どこか不気味で、猟奇的な雰囲気を帯びた笑顔を。


《もっと作らなくちゃ、てるてる坊主……》


 少女の周囲を、真っ黒な霧が渦巻き始める。

 そのショートヘアや黄色いパーカーが、霧に煽られるように空を泳ぎ始めた。

 次第に黒霧は、少女の小さな体を包み込む。


《フフ……あははははははははは!》


 黒霧を纏う少女が発した笑い声が、体育館に届き渡る。幼くて、無垢で――悍ましげで、聞く者に畏怖の念を抱かせる笑い声だ。 

 黒い霧が消え去った時、幼い少女の姿も共に消えていた。



  ◎  ◎  ◎



「……そう。ごめんね、こんな時間にいきなり電話して」


 世莉樺は、真由のクラスメートの少女への電話を切った。

 そのうち帰って来る――そう考えていた真由は、一時間半の時間が経っても帰って来なかった。彼女に何かがあった、そう考えた世莉樺は、夕食作りを中断し、真由のクラスメートの家へ電話を掛けている。

 真由のクラスの連絡網に記された電話番号を確認し、世莉樺は次の家に電話を掛けた。


「……もしもし急にすみません、雪臺です。そちらに、うちの真由がお邪魔していませんか?」


 電話に出たのは、真由の友人の母だった。

 答えは同じく、『来ていない』である。


「そうですか……あの、もし宜しければ、彩夏ちゃんに代わって頂いても宜しいでしょうか?」


 世莉樺は落胆しつつ申し出る。

 数秒後、真由のクラスメートである少女が電話を代わった。彩夏という女の子で、真由の親しい友人である。


「あ、彩夏ちゃん? いきなり電話してごめん。実は、真由がうちに帰って来ていないの。あの子が何処に行ったか……何か知らない?」


 世莉樺は、不安な気持ちを出さないよう喋ったつもりだった。けれど、自信は無い。

 電話の向こう――少女から返ってきた答えは、『分からない』だった。

 いきなり電話をした事をもう一度謝罪し、世莉樺は電話を切る。


「っ……!」


 世莉樺は受話器を置いた。

 その瞳に、微かに涙が浮かんでいる。


「真由に……あの子に何かあったら、私の所為だ……!」


 少女は、右手を顔に当てる。

 学校にも電話した、真由のクラスメートの数人にも電話で聞いた。

 しかし、誰も真由の行先に心当たりは無い。彼女は嫌でも想像してしまうのだ。

 自分の妹の身に、何か悪い事が起きているのでは……と。


「どうすれば……!」


 世莉樺は涙声で漏らす。

 外は既に、雨が降っていた。真由は、雨の下で泣いているのかも知れない。

 その時、世莉樺の片手が、温かい物に包まれた。


「!?」


 視線を下に向ける。

 悠太が、世莉樺の手を両手で握っていた。


「悠太……?」


 五歳の幼い少年が、世莉樺の顔を見上げていた。


「泣かないで世莉樺姉ちゃん、真由姉ちゃんはきっと大丈夫だから……」


「……!」


 世莉樺は思い出す。

 そう、今一番考えるべきなのは、他でもない真由の身だ。泣いている時でも、パニックになっている時でも無い。


「そうだよね……ごめん、ありがとう」


 五つ下の弟に励まされるとは、世莉樺にとって予想外の事だった。世莉樺は再び受話器を取り、真由が親しい友達の家へ電話を掛ける。


「……本当!?」


 次の電話で、ようやく世莉樺は真由の行先を知る事が出来た。

 その子は放課後の真由と、数人の少年少女達の会話を聞いていたらしい。

 真由が行った先は、廃校となった笹羅木小学校という事だった。世莉樺は、真由が悠太に言ったという言葉を思い返す。


(肝試し……廃校に……!?)


 直後。世莉樺は朝に朱美が言っていた事を思い出す。

 鵲村で相次ぐ行方不明事件――それに、笹羅木小学校が関わっているのかも知れないという噂を。


「……!」


 受話器を持つ手が、手汗に滲むのを感じた。

 表現しようの無い恐ろしい予感に、世莉樺は背中に氷水を流し込まれるような感触を覚える。


「ありがとう!」


 真由の行先を教えてくれた少年に、雑な感謝の言葉を紡ぎ、世莉樺は受話器を戻した。

 そして彼女は、一目散に玄関へと駆け出す。


「世莉樺姉ちゃん!?」


 後ろから、悠太の言葉。


「ごめん悠太、ちょっと行ってくる。お腹空いたら冷蔵庫の野菜炒めチンして食べてて! 内側から家の鍵掛けてね!」


 弟にそう言い残し――世莉樺は制服姿で家を飛び出した。

 降り注ぐ雨を全身に浴び、道に出来た水溜りを躊躇いも無く踏み、彼女は駆ける。

 途中、携帯で朱美へ電話を掛け、例の真由が向かったという廃校――笹羅木小学校の場所を聞いた。


「真由……!」


 肺が呼吸に追いつかなくなっても、心臓が破れそうになっても、世莉樺は足を止めない。

 大事な妹――真由を、無事に家へ連れて帰る為に。





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