第59話 昭和20年4月、春香、戦死の公報とどく

 焼け野原となった東京から戻って、およそ1月が経とうとしている。焦土と化した東京都は対照的に、ここ松守村では桜や桃の花が咲き、その下には黄色いタンポポの花が広がって、のどかで穏やかな時が流れていた。


 4月の陽気に誘われ、子供たちにせがまれたこともあって、いま私は子供たちと遊んでいる。


「勝~ってうれしい 花いちもんめ」

「負け~てくやしい 花いちもんめ」


 手をつないで歌いながら前に出ては「花いちもんめ」で足を上げる。終われば、次は対面したグループが進み出てきて、同じように足を上げた。

 ふふふ。もんぺだからいいけど、この歳の姿だと、こうやって足を上げるのがちょっと恥ずかしいね。


「あの子がほしい」

「あの子じゃわからん」

「その子がほしい」

「その子じゃわからん」


「相談しましょ」「そうしましょ」


 頭をつきあわせて、「ね。誰にする」と話し合う子供たち。

 東京大空襲後に、集団疎開の対象外だった1、2年生の小さい子もここにはいる。また4月からは1年間の学校停止となっていた。「――優子ちゃんにしよう」「わかった」


「決~まった」


 再び向かい合う私たちと相手のグループ。

「春香先生がほしい」

「優子ちゃんがほしい」


 え? 私?

 戸惑いつつも一歩前に出ると、向こうからも石田優子ちゃんが前に出てきた。


「じゃんけん、ぽん」


 私たちの組はグー。相手はチョキ。「やったぁ」という声とともに優子ちゃんの手を引っ張って、再び歌が始まる。

 なぜかご指名が多くって、あっち行ったり、こっち行ったり。……まあ、大人が私1人だからかもしれないけどね。


 そんな長閑のどかなひとときを楽しんでいると、突然、1人の女の子が何かに気がついたようにお寺の門の方を指さした。

「誰か来たよ!」


 その声で歌は止まり、私は子供たちと手を繋いだままでそちらを見やる。やって来たのは村役場の助役さんだった。珍しく1人きり。何かあったのだろうか。


 恵海さんに用事かな?

 そう思いつつ、「ちょっと待っててね」とみんなに断り迎えに行こうとすると、私を見つけた助役さんがまっすぐこっちにやって来た。

 その表情はどこか暗い。なんとなく嫌な予感がした。


「こんにちは。中へどうぞ」

と声をかけると、助役さんは立ち止まって一礼をして、

「いいえ。それには及びません。――これを春香さまに届けにまいりました」

 そう言って一通の封筒を差し出した。


 私に……。なんだろう。ますます嫌な予感が強くなる。おそるおそる封筒を受け取り、すぐに中を開いてみる。

 折りたたまれた紙をゆっくりと開くと、見慣れない文字が飛び込んできた。


 ――『死亡告知書(公報)』


 一瞬、何が書いてあるのかわからなかった。死亡、告知書? この通知はいったい……。


 意味が分からないままに読み進めていくと、そこには夏樹の名前が書かれている。


〝昭和十九年九月、ビルマ チン州にて戦死せられましたから御通知致します〟


 一度読み、意味がわからないので、もう一度読みかえす。ビルマ……、戦死……。

 ぼうっとたたずんでいると、その通知書の下から別の紙がピラッと落ちた。さっと拾いあげると、そこには『英霊えいれいに就ての御知らせ』と書いてある。


 助役さんが、

「残念です。謹んでおやみ申し上げます。――英霊の伝達は、3日後、分校の体育館にて行います」

と言う。


 英霊って、まさか夏樹のことを言っているのだろうか。なにを馬鹿なことを。夏樹が死ぬなんてあるわけがない。だって、あの人は私と同じ神格を持っているんだから。

 助役さんは何故そんなにあわれむような顔で私を見つめているんだろう。わけがわからない。

 


 考え込んでいる私に、助役さんは頭を下げ、

「それでは、まだお届けしなければならない家がありますので、失礼いたします」

と言う。

 ほぼ惰性のままで「はい。お疲れさまでした」と声をかけ、去って行くその背中を見送った。


 いきなりの事で少し混乱したけれど、考えれば考えるほどありえない話だ。

 だいたい夏樹が死んでしまったのなら、眷属けんぞくである私だって唯じゃ済まないはず。それに帝釈天様だって見守ってくれているはずだし。


 まったくねぇ。何の手違いなんだか……。ほんと、悪い冗談だよね。


 そんなことより遊びの続きをしようか。そう思って振り向くと、子供たちが痛ましげな表情で私を見ていた。

 その向こうには連絡を受けたのか、外に慌てて出てくる恵海さんと美子さんの姿も見える。


 やだなぁ。そんな大げさな。


 ともかく恵海さんのところに行こうとすると、傍にいた女の子が「先生」と言いかけた。けれど、その隣の子がぱっとその子の手をつかんで止めてしまう。

「大丈夫よ。そんなに気を使わなくったって。どうせ何かの間違いなんだから」

 そう微笑むけれど、子供たちの様子はどこかぎこちなかった。


 それもしょうがないか。

「みんなは遊んでいてね。私はちょっと恵海さんとお話があるから」

とその場を離れた。


 庫裡くりの玄関の前で、恵海さんと美子よしこさんが待っている。微笑みながら歩み寄ると、恵海さんが沈痛な表情を浮かべながら、

「御仏使さま……」

「恵海さん、それに美子さんも、大丈夫ですよ。夏樹あの人が死ぬことはないってことは、お2人にはわかるでしょう」

と笑いかけた。この人たちは私たちを仏の使いと思ってくれているんだ。それくらい当然だよね。


 まあそれでも改めて、冷静になってこの告知書を読んでおいた方がいいだろう。私は恵海さんに庫裡くりの部屋をお借りすることにした。


 こっちを見ているみんなの視線を感じるけれど、やっぱり普通の人にはわかってもらえないよね。仕方ないけど……。


 4畳半のせまい和室に入り、後ろ手にふすまを閉めて1人きりになる。畳の上に座り、先ほど受け取った手紙を再び広げた。

 1枚目は『死亡告知書』。これはもういい。

 他にわら半紙の通知が2枚。1つは『英霊についての御知らせ』、もう1つは県知事からの弔慰文ちょういぶんのようだ。


〝英霊についての知らせ

 御英霊の傳達伝達に際してはあらためてその日時、及び場所を通知いたします。

 尚、死亡賜金しきん等は御英霊傳達伝達の際に支給することになってますから御承知置き下さい。

  栃木第一世話課

 御遺族様〟


〝謹啓 夏樹殿の御戦歿せんぼつあそばされました公報を差し上げるにあたり、御遺族の御心中、御愁傷しゅうしょうの程、如何いかばかりかと誠に御同情に堪へたえません ここに謹んで御くやみ申し上げます。

 唯の上は御供養に専念せられると共に犠牲をにせられることなく、新日本建設のため御努力あそばされ、末永く御多幸ならん事をせつに御祈り致します。

 なお時節柄、何かと御多艱たかんなる御起居ききょあそばされる事と拝察致しますが、當廰当庁きましても及ばずながら御家庭についての御相談にじてりますから何卒なにとぞ御遠慮なく御申し出下さるよう申し添へそえます。

 昭和廿年四月 日

    栃木県知事 相馬 敏夫

 御遺族様〟


 読み進めていくうちに、自分の指先が震えていることに気がついた。……ああ、私、やっぱり動揺しているんだな。

 不思議と冷静な頭でそのことに気がついた。

 あの人が死ぬわけがない。それはわかってはいるものの、いざこうして『死亡告知書』を受け取り、正直なところショックを受けている。


 馬鹿みたい。

 そう自嘲じちょうしながら丁寧に通知を折りたたむ。夏樹が帰ってきた時に、こんなの届いたよと見せてあげよう。

 そう思いながら、窓の外に視線をやる。春の優しげな空に、ひばりが円を描くように飛んでいた。


 ――絶対に死ぬわけがないんだから。絶対に!



 先生や安恵さんからもお悔やみの言葉を頂戴したけれど、「大丈夫ですよ。これは何かの間違いですから」と言っておいた。誰もが変な顔をしていたけれど、信じられない人は信じなくてもいいと思う。


 和則くんと優子ちゃんの兄妹も、香代子ちゃんも妙に気遣ってくれているようで、微妙に変な気持ちになる。


 あ、そうそう。和則くんは勤労奉仕の名目で畑を、香代子ちゃんは寮母見習となってくれていた。

 それと学校が停止となってから、世間では学校の建物が簡易の工場となっていて、高学年の子たちはそこに勤労奉仕に通っているという。


 ここ松守村では農村であるせいか、食糧増産の名目で工場ではなく農作業に従事することになっていた。……つまり、和則くん以外は、幸いなことに今までとあまり変わらないということだ。


 連れて帰ってきた菜々子ちゃんは、見た目通りの4歳で、私が忙しい時は美子さんがおばあちゃん代わりになって遊んでくれている。美子さんも孫ができたようでうれしそうにしていた。


 もっとも夜はまだ寂しがるので、極力、一緒に寝るようにしている。

 なので寝る時は夏樹枕と私の間に菜々子ちゃんを挟めている。正直にいえば、この子のぬくもりに、私の方こそ癒やされているのが事実だったりする。


 ともあれ、あれから3日が過ぎ、今日は英霊伝達の日。

 村によっては村葬にするところもあるようだけれど、松守村ではそこまではしない。もちろん全員が清玄寺の檀家なので、戦死者が出るたびに恵海さんが御経を上げに行っていた。


 さすがに手違いとはわかっていても、取りに行かないわけにはいかないだろう。美子さんが一緒にというのを、1人で大丈夫と断り、もんぺ姿で分校の体育館に向かうことにした。


 英霊の伝達は、今まで気にしたことはあまりなかったけれど、帰ってきた英霊の数によって村役場であったり分校の体育館だったりしているらしい。


 おりしも途中の道ばたでは1本の桜の木が満開を迎えていた。そよぐ風に花びらがはらはらと舞い落ちている。

「桜、か……」


 若々しい緑の草たち、黄色いたんぽぽと菜の花、優しげな春の青空の下にある1本の桜。畑に隣接した農道脇の桜ではあるけれど、その姿はどこか力強く、そして美しい。

 英霊の伝達がある今日にはふさわしい景色かもしれない。


 分校の門をくぐり敷地に入る。運動場の向こうにある体育館には「英霊安置所」と紙が貼り付けてあった。

 体育館ということは、他にも何人もの御遺骨が届いているのだろう。戦争も末期になり、戦死者も増えているのだ。


 中に入ると、いつもは子供たちが使っているだろう体育館なのに、妙にシインとしているように感じられた。一番奥には祭壇が設けられていて、そこに遺影と白木の箱が並んでいるのが見える。


 その前にトレニア台が出されていて、そこが受付になっているのだろう。村長さんと助役さん、そして、役場の書記鈴木さんのほか、在郷軍人会会長の福田さんがたたずんでいた。


 並んでいるのは5つの遺影と5つの箱。そうか。4人もの若者が亡くなったのか……。


 夏樹のものとされている白木の箱は、左から2つめのようだ。軍服姿の夏樹の写真が、妙に懐かしく感じる。

 受付の鈴木さんの前に行って『死亡告知書』を手渡すと、「私にとりましても無念極まりありません」と言って下さった。この人も村役場で夏樹と一緒だったからね。


 もちろん、夏樹は今もどこかで生きているわけで、何と返事をしてよいのか困ってしまう。さすがにこの空気のなかで、それも4人の英霊を前にして、夏樹の戦死を真っ向から否定する勇気は私にはない。


 そのまま在郷軍人会の福田会長さんの前に行くと、

「英霊であります」

と言って、白木しらきの箱を差し出された。


 白木の箱か……。中に夏樹の骨など入っているわけがない。そう信じてはいても、いざこうしてこの箱を前にすると、神妙な気持ちになってしまう。


 おそるおそる両手をのばして、その白木の箱に触れた。滑らかな木目の箱。指先の感触は思ったよりも軽く、簡単にこわれそうだ。

 底に手を回して持ち上げ、胸に抱きかかえる。――が、これは軽い。軽すぎる。

 夏樹は生きているわけだから、それも当然だろうけど。


 そのまま遺影も受け取って、箱と胸の間に挟みこむ。村長さんたちが一斉に一礼してくるのを、こちらも一礼して「失礼します」と言って振り返った。

 まっすぐ立ち去ろうとした時、体育館の入り口から1人の若い女性と、それに付き添うように年配の女性が入ってくるのが見えた。その姿を見て、思わず胸がギュッと引き締められる。


 あれは、――香織ちゃん?


 間違いない。どこか思い詰めたような、それでいて感情を押し殺したような無表情な顔だけれど。間違いなく香織ちゃんだ。

 彼女は、一瞬、私を見て目を見開いたものの、そのまま足元に視線を落として歩いてくる。付き添いの女性は、彼女の嫁ぎ先の石川さんだった。


 ……まさか。秀雄くんが戦死した?


 振り返って改めて祭壇を見たとたん、全身に衝撃が走り抜けた。

 さっきまでは気がつかなかったけれど、一番右にある遺影は香織ちゃんの夫、井上秀雄くんだった。


 そんな!


 目の前で、先ほどの自分と同じように白木の箱を受け取り、そして、付き添いの女性が遺影を受け取っている。そのまま振り向いてこちらに歩いてくる香織ちゃんは、変わらず無表情のままだった。


 ふと脳裏に、かつて宇都宮に買い出しに行った帰りに蛍を見た時のことを思い出す。

 秀雄くんとひそかに付き合いをはじめ、不安を漏らしていた彼女のことを。


 あの蛍の乱れ舞う河原で、見とれている香織ちゃんに、私は「後悔しないように、今を大切にしなさい」と言った。

 あの時の「はい」の返事は小さかったけれど、確かに決意を秘めていたように聞こえ、そして、2人が結婚のお願いに来たのだったけど……。


 奥さま、と声を掛けられた気がして香織ちゃんを見ると、その目尻には涙の跡が残っていた。きっとここに来る前にも泣いていたんだろう。

 そのまま無言で、ちらりと私の抱えている白木の箱を見て、「旦那様……」とつぶやいて黙礼し、彼女と石川さんはそのまま通り過ぎていった。


 ……秀雄くんが戦死。亡くなった。死んだ。死んでしまった。

 ぐるぐるとそのことが頭の中で渦を巻いたままで、私も2人を追いかけるように出口に向かった。


 清玄寺に戻ると、先生以下、安恵さんや子供たちがずらっと並んでいて、私を出迎えてくれた。

 秀雄くんのことで気が滅入っていたこともあるのか、ひどく足が重い。


 子供たちは普段私に見せる表情とは違って、静かに、真剣な表情で並んでいる。内心を吐露とろすれば、こういう出迎えはやめて欲しかった。そんなことより今は1人にして欲しい。


 庫裡の玄関で恵海さんと美子さんが待っていてくれる。宿舎の玄関ではなく、そちらから入れということだろう。

 そのまま一礼して庫裡の玄関から入ると、恵海さんと美子さんも続いて入ってきて扉を閉めた。


「ひとまず離れの方へ」

という恵海さんにしたがって、離れへの廊下を進む。

 普段、私が寝起きしている離れの部屋は、すでにふすまが開け放たれていたので、そのまま中へと入り、とこに箱をおろす。


 恵海さんと美子さんが手を合わせようとするので、止めさせようかとも思ったけれど、それでは2人の気がおさまらないだろうか。

 白木の箱なんて今はどうでもいいと思ったけれど、何となく何が入っているのか見てみたくなった。


 そっと木箱の側面にあるふたを開くと、その奥には「陸軍一等兵 夏樹の霊」と書かれた木札が一枚収まっている。


 なにこれ? これで英霊って……。馬鹿にしてるの?


 急に何もかもがどうでもよくなって、思わず笑い出しそうになった。

 ああ、でも、違うか。遺体を収容できなかった場合、陸軍としてはこうするほか無かったんだろうね。


 ただそうすると、この木札を見て余計にやるせない気持ちになる人もいるんじゃないだろうか。私のように生存を確信できているわけじゃないんだし。

 香織ちゃんのところはどうだったのだろう。……心配だ。


 おそるおそる私の顔を見るお2人に、そっと微笑み返す。


「大丈夫。夏樹はまだ生きてる。私にはわかるんです。その証拠に――、ほら。遺骨なんて入っていなかったでしょう」


 けれどどういうわけか、2人はそろって困ったような表情を浮かべている。この様子、きっと私が強がっていて、夏樹の死を受け入れられないでいると思っているようだ。


 私は白木の箱の方に振り向いた。

 私の方こそ困ったな。香織ちゃんのことも心配だし。……夏樹、どうしたらいいと思う? 誰も信じてくれないんだけどさ。


 そう問いかけるも、当然のことながら木札は何も答えてはくれなかった。


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