第35話 昭和19年3月、夏樹、玉砕か開放か

 空からの補給を受けている敵は、無尽蔵むじんぞうに砲弾を打ち続け、間断かんだんなく機関銃を撃ち続け、そして、迫撃砲も、手榴弾しゅりゅうだんもひっきりなしに投げてきている。


 3299高地西方の陣地に転進した第3大隊だったが、翌24日には早くも凄まじい攻撃に晒されて窮地きゅうちにおちいり、25日の今もどうにか踏みとどまって戦い続けている状況だった。


 俺たち輜重兵は連隊本部の位置まで下がっている。

 第3末木大隊のいる西方陣地より、さらにインパール道をはさんだ反対側の高地だ。


 東に見える山峰の向こうで、末木大隊はまだ懸命に陣地を確保している……。

 空は分厚い雲が立ちこめていた。


 神通力の天眼で戦況を見た限りでは、敵英印軍は再び3299高地を占領し、俺たちが捕まえたイギリス人とインド人の捕虜を吸収し、より大きくなっていた。

 ただし、3299高地をそのまま維持するつもりはないようで、ジープやトラックに何か細工をして動かないようにしているらしい。


 一方で、末木大隊の陣地に向かって、次々に重砲の砲弾が撃ち込まれている。


 大隊にはすでに弾薬は残り少ない。補給もできない。けれど、将兵はまだ戦い続けている。

 陣地に侵入しようとするインド兵士を、これでもかという近くまで引き寄せて、必中弾を浴びせ、時には決死の突撃を行って、文字通り命がけで陣地を守り続けていた。


 あまりにも悲壮な戦いに、見ている俺も辛い。


 午後2時30分。

 厳しい戦いはいよいよ極限を迎えようとしていた。


 陣地のあちこちが爆発し、すでに戦死した兵士の遺体が爆風に揺れる。

 銃弾を撃ち尽くした兵士が、万策尽きた中でもなお、石を投げて敵に攻撃をしていた。


 すでに生き残りは40人ほどだろうか。誰もが最後の覚悟をしているのが見ていて分かる。


 ある者は鉄帽を脱いで、日の丸を折りたたんで鉢巻きにしていた。


 ある者は、降り注ぐ銃撃から身を隠しながら、悠々ゆうゆうとタバコに火を点けて吸っている。


 ある者は、小銃に剣を付け、ギラギラと殺気だった鬼気迫る顔でその刃を見つめている。


 ――今や待つのは最後の突撃の命令だけ。大隊の最後の時が近づいて来ていた。



 もう見ていられなくて天眼を切って、肉眼で第3大隊のある方角を見つめる。

 山間から黒い煙が細く立ち上っている場所。あそこがそうだろう。もう聞き飽きた砲撃の音と銃撃音が相も変わらず聞こえている。


 上空の不気味な雲は風にゆっくりとうごめき、生けにえが捧げられるのを今か今かと待っている。



 背後の連隊本部の天幕から、通信士の大きな声が聞こえてきた。


「大隊は、刀折れ、矢尽き、玉砕せんとす。暗号書を焼き、無線機 破壊の用意をなしあり。今夜12時を期して最後の突撃を敢行かんこうし、現在地にて全員玉砕せんとす。

 連隊主力の武運長久を祈る! なお――」


 最後の突撃の無線だ。

 次々に部下の戦いざまが述べられている。が、電波状況が悪いのか、ところどころが途切れがちになっているようだ。

 ブツッと切れるたびに、もう駄目かと思ったが、再び無線が繋がりどうにか報告は続いている。


 本部の天幕の中の状況はよくわからない。

 だが、それからどうやら第3大隊には転進命令が出たようだ。すぐにインパール道を開放する決定が俺たちにも伝えられた。



 その翌日、開放されたインパール道を、数多あまたのジープが、トラックが一路、インパールに向かって走っていく。


 伝え聞くところによると、笹原連隊長はまず第1大隊、第3大隊に連絡して、無断でインパール道を開放させたそうだ。

 同時に師団長宛てに、連隊も玉砕の覚悟を固めたと無線で打電したという。

 けれども幸いと言っていいかわからないが、すぐに柳田師団長から、玉砕を思いとどまりインパール道を解放して以後の進出に備えるよう命令が下りたのだった。



 俺たちの目の前を、次々に通過していく敵の長い行列。そのエンジン音が谷間に響いている。誰もがそれを涙をたたえながら見ていた。

 増田も隣でしゃがんいる。「くそっ」

 だが、今の俺たちにはこれ以上戦う力は残されていない。こうして黙って見ているしかできない。それがまた悔しい。


 散っていった人々の顔が思い浮かぶ。

 命を賭して戦ったのに。俺たちは所期しょきの目的を達することができなかった。


 あいつらの死を、俺たちは無駄に――。


 ああ、だが。それでも俺はただの傍観者なんだ。

 なんて無力なんだろうか。


 空に広がる雲を見上げながら、俺は拳を握りしめて一人叫びたい衝動しょうどうと戦っていた。



――――

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