第49話 地下世界34-1
高級歓楽街にあるケラニア結族の宿。
二日ほどの宿泊と届けていたが外出している間に清掃が入ったようで最初に入室したときと同じ清潔さを取り戻している。香も新たに焚かれているらしい。
精神の安らぐ良い香りが鼻腔をくすぐった。
質の高いサービスに興味を惹かれよくよく部屋を見回してみると、昨日は気づかなかった点が見えてくる。
どうやら立地が歓楽街なだけに休憩などの用途もあるらしく窓はすりガラスな上に開閉式のドアがはめ込まれ、完全に視界が閉ざされている。
柔らかな光を放つ関節照明はオレンジの色彩が強く、見る人に暖かいイメージを与えた。
そんな艶のある室内で俺とリナは色気のある話もせずに二人で頭を捻っていた。
「このトラップって実質私達じゃ解除が不可能だと思います」
「解除の方法が個人限定じゃ確かに無理だな……」
「……このルートもダメですか……それにしてもよくこんなもの短時間で用意できましたね」
「全くいつの世も愛すべきは金貨だな。信念のない人間にはこれ一つで事足りてしまう」
「黄金の魔力には人はあらがえないものですね……」
テーブルの上に広げられたある建物の設計図を眺め、二人で香草酒を煽りながら呟いた。
設計図には隠し通路や部屋のギミック、トラップの解除方法に至るまであらゆるものが記されており、大富豪『ミッド・ポーカー』の邸宅の全容を包み隠さず示していた。
建築物はほとんどの場合、緻密な計算によって作成された設計図を元に作られている。
ミッド・ポーカー邸も例外ではない。
偉大な建築士によって造された彼の住居はアイリスでも指折りの建築事務所が設計をしていた。
一流の建築家は信念があり、設計図を他の人物に晒すなどという自らの仕事を貶めるような真似はしないが、その弟子や従業員全員にまで高潔な精神が宿っているとは限らない。
ケラニア結族にとっては設計図の入手など造作もないことだったようだ。
これだから結族は恐ろしい。
今は亡きリコの実、ルコの実に思いを馳せながらカシューナッツを酒と共につまんだ。
「この道はどうでしょう? こっちだったらさっきのルートみたいにえげつない罠はないと思いますが……」
「ちょっとまって、確かそこは……あぁ、そうそう。やっぱりか。そっちの道はポーカーの自室に近いから警備の人間が多く配置されてる」
「29人いる奥さんと子供よりも自分のほうが大切なんですね」
「29人も居れば代わりが効くとでも思ってるんじゃないか? それに元冒険者も娶っているみたいだしそれ頼みなのかもしれないな」
警備に携わっているのは傭兵業を営み、主にエルフで構成されているでソルトバン結族だ。
志の高く法外な報酬の支払われている彼らは買収こそできなかったが、ポーカーは雑務についている人間に対してはあまり良い人間ではなかったようで家政婦が何人か買収できたらしい。
彼女逹から警備の勤務記録や黒曜龍の場所は入手済みだ。
建築途中の別宅に最近なにかが運び込まれたと家政婦は証言していたとのこと。
怪しいのはまず間違いなくそこだろう。
これでポーカー邸の侵入者対策は設計図の情報もあいまり、丸裸と言っても過言ではない。
だからといって事が簡単に進むわけではないが。
すんなりとはいかないことをリナも理解していたようで、より良いルートはないものかと先程まで彼女も必死に資料を見つめていた。
伸びをしてだらんと椅子に座っているところも見ると、今はひと段落して少し気が抜けているようだが。
「29人の奥さんって色んな種族の方がいますけどギガントが一番多いですね。ポーカーさんもギガントなんですか?」
「いや、ポーカーはハーフリングだ。小人のくせに過去のことを気にせず巨人との確執はないみたいだな。それどころか背がコンプレックスなのか大きな人間ばかりを娶っているみたいだぞ」
「ギガントって女性でも身長3メートルくらいありますよね……?」
「……そうだな」
「いったいどうやってするんだろう……」
リナが顔を僅かに紅葉させて何かを想像しているようだ。
他種族間で子供ができる事案は少ないがあるにはある。子供の殆どは両親どちらかの種族になるが稀にハーフもいる。
「……何考えてるんだよ」
「い、いえ別に……」
頬を真っ赤に染めて別にもくそもあるか。
「まぁなんにせよ、その女好きのお陰で明日は警備が少なそうなんだから細かいことは気にするな。世界は思ってるよりも変な方向に広いんだ」
「き、きにしません」
リナは慌ててグラスに残った香草酒を一口で煽る。
顔の赤みは酒かはじらいか、どちらのものなのだろうか、と益体もないことを考えてみる。
「あとの問題は……設計図を見る限り転移が制限されている事か。でも、これはどちらにせよアイリスから出ないと黒龍に拾ってもらえないから関係ないか……」
俺の刻印が今のやり取りは聞いているぞと言いたげに蠢いた。
時間がないはずだった中、こうしてリナとふざけていられるのは俺達の行動の成果を黒龍に見られているという確信があるからだ。
あと少しで彼の眷属に手が届くかもしれない状態で、このタイミングで黒龍が俺達の命を奪うメリットは一切ない。
「あと10時間ぐらいで絶対に、本当にポーカーが外出するんですよね?」
数えるのもやめたほどしつこく念を押されて問いかけられるこの質問にため息をつきながら、短く答えた。
「ミカルドの情報が正確ならそうなるさ」
彼の調べが確かなら幸いなことにポーカーはもうすぐ外出するらしい。
三日おきにどんなことがあっても女性が恐ろしいほど近くで接客してくれる高級店に彼は顔を出すようだ。
なんでもナツというこれまたギガントの女性にお熱らしい。
警備の大半は嫌々ながらも彼の遊びに付いていき、邸宅の守りはおろそかになる。
その隙をつかない手はない。
ココ逹のことを考えればすぐにでも取りかかりたいが焦って失敗してしまえば元もこもない。
時間があるなら身体を休息させ行動に備える、冒険者でなくとも知っている簡単な理屈だ。
リナを盗み見ればリラックスしているのか不安を隠しているのか酒をまた継ぎ足して口に含んでいる。
俺自身も酒が進んでしまう。
これだけの情報がそろっていても心配の種はつきない。
どんなに準備しても想定外は起こり得てしまう。
そもそも、一介の冒険者が街の富豪に喧嘩を売るなど馬鹿げている。
しかし、やらねば自分よりも上位の存在に殺される。
酒精程度で改善する思考ではない
息を吐き出し、自身の計画に不備がないか再びポーカー邸の設計図を見直した。
第三十四話
ポーカー邸はアイリスの郊外、壁の近くに建設されている。
中心街の方が客観的にみて治安もよく安全だが、大きな敷地を確保するには少々都合が悪い。
いかに大富豪といえども結族の用地や白龍の居城がある街の中心に大規模な面積を用意することは不可能だ。
石と金属で構成された巨大な塀に向かって一人、俺は歩き出す。
金持ちの敷地というのは近づくだけでも警戒されてしまう。
『不可視のポーション』を服用し、経験に基づいた歩法で極力気配を殺しながら歩く。
臭い消しも、もちろん使用している。
限られた居住空間しかないアイリスの敷地としては考えられないほど広大な敷地に設けられたその塀は、長大で幾人もの傭兵が一定間隔で守護の任についていた。
彼らは時折現れる郊外を歩くただの一般人や、壁の外を目指すために家の前を通り過ぎる冒険者にまで目を向け警戒を怠らない。
通行人にぶつからないようにゆったりと進む。
高く聳え立つその塀からは中を窺い知ることはできない。
記憶の中の設計図を頼りに所定の位置までゆっくりと足を動かす。
その時、警備をしているエルフの男が不可視のはずの俺の方向へと目を向けた。
動揺せずに自らの動きをぴたりと止める。
「……気のせいか」
注目が外れたころを見計らい、歩みを再開する。
塀に近づくだけでかなりの労力だ。
以前のゴブリン強襲時には悟られなかったが、熟練した者は視覚以外で相手を認知する術に長けている。
エルフの彼はおそらく不自然な風の動きを肌で感じ取ったのだろう。
噂通り、ソルトバン結族の傭兵のレベルは高いらしい。
「す、すいません」
そんな傭兵の彼に近づく人影が一つ。
「ん? 私か? どうかしたのか?」
「あの、すいません。『金糸雀の囀り』って酒場がこの近くにあるって聞いたのですけど……」
手書きの地図を拾げて道を尋ねる少女。
短いスカートに大きな胸を強調するように胸元の開いた上着。
如何にも酒場で働いていそうな風体だ。
しつこくならない程度に施された化粧によって可愛らしい容姿を引き立たせ、少女と女性の良いとこどりをしたある種の色気を醸し出していた。
少女は銀糸の長髪。言わずもがなリナだ。
いつもは彼女のそばを離れない金属球も今回ばかりは『秘術の携行袋』でお留守番だ。
仮にこの企みがうまくいったあとにも生活は続く。
正体が察せられるような真似は好ましくない。
当然のこと、俺も装備を全て黒に塗り、窮屈ながらも尻尾や大きな耳をズボンの間や布を被ることで隠している。
だが、≪消音の小部屋≫は使えない。
いざというときに秘術のバックアップを受けれないのは容認できないリスクだ。
「あぁ、それなら目の前の通りを少し進んで左手に入ればすぐ見つかるぞ」
「えーっとぉ……真っ直ぐいって左ですね」
リナがしなを作り地図を指でなぞり、腕を寄せて胸をさらに強調する。
空気が弛緩するのを感じた。警戒の度合いを下げないまでも傭兵の意識がリナに向かっている。
正確には強調されたリナの胸か。事前情報通りにあの傭兵は胸好きのようだ。
ポーカー氏が警備のために傭兵を雇い入れてから数年。それ以来、彼に大きなトラブルは一切ない。
その年月は一流の傭兵でも僅かに気を緩ませるに足る時間だ。
意識が完全にリナに向かった瞬間、道の陰から十人程度の子供が現れる。
彼らの手には一様に大きな石が握られていた。
少年たちが一斉にその石を敷地に向かって投げ始めた。
投石に合わせてあらかじめ発動しておいた跳躍の効果を使い、俺も塀を超えて中庭に侵入する。
石と俺が塀を超えるとけたたましい警報音が鳴り響いた。
この塀と邸宅の間に仕込まれた秘術が発動したようだ。
設計図によると物体の侵入を告げるだけのもの。石の大きさは感知されない。
秘術には俺と石の区別すらついていないだろう。
不可視のままじっと息を潜める。
塀の外から話し声が聞こえた。どこかと連絡を取っているらしい。
「いつもの子供の悪戯だ。警報を切ってくれ」
金持ちは総じて恨まれる。
それが誠実な人間ではなくドラ息子なんて言われる類なら猶更だ。
投げ込まれた石の確認すらされないところを見ると、かなりの頻度でこういった行為が行われているようだ。
今回は金で雇った意図的なものだが。
「お前ら、何度も何度も! 次はシティガードに突き出すぞ!」
怒号の後に小さな足音が走り去るのを感じた。
「うるさくさせて済まないな」
「いえいえ、道を教えてくださってありがとうございました」
「……その酒場に行けば君に会えるのかな?」
「ふふ」
塀の外ではリナがエルフに誘われている。あとの対処はリナ任せだ。
俺は俺の仕事をしなければならない。リナもこの後、長距離から外装骨格を纏って此処を監視してもらう手筈だ。彼女もきっとうまくやってくれるだろう。
周囲を軽く見まわし、記憶に刻んだ道順を思い出す。
目の前には大きな扉の建物に、中庭から直接29人の妻の住まう別宅へと行ける渡り廊下。
さらに奥には目的の建築物が目に留まる。
庭を突っ切って奥に見える作りかけの建物に走りたくなる気持ちをぐっと抑えた。
現在地は中庭。まずはすぐそこの巨大な館に入らなければならない。
建築途中とはいえ黒曜龍が運び込まれたと思われる別宅の防衛秘術はすでに機能してしまっている。
正規の通路以外からの侵入ではその秘術が効果を発揮してしまう。
ココ達を救う前に罠にかかるわけにはいかない。
同じ理由で渡り廊下から入るわけにもいかない。
あくまで正面の入口から入らなければならないのだ。
つくづく仕組みが書かれた設計図があって良かった、と心の中で思う。
布をかぶり若干聞こえづらくなってしまった耳に意識を集中し音を探る。
臭いを嗅ぎ分けることも忘れない。
中庭のエルフの傭兵も、情報通りに数人しか配置されていないようだ。
いかに不可視とは言え、踏んだ芝生で存在がばれるかもしれない中庭を避け、整備された石畳の上へと上がる。
ゆっくりと進み大きな邸宅の入口へとたどり着いた。
巨人の家族が多いポーカー邸ならではの巨大な鉄の扉。
その扉には通常の人間サイズのドアも備え付けられている。
小声で小さなドアを開ける合言葉を呟いた。
「『偉大で素敵なミッド・ポーカー』」
センスの悪い合言葉を呟くと扉が少しばかり開いた。
本当に設計図様々だ。
手甲の宝石に意識を集中し、秘術を起動。
「≪解術≫」
≪解術≫の呪文が邸宅に仕掛けられた≪警報≫、侵入者をしらせる秘術に作用しその効果を無効化させた。
秘術の解除がすぐにばれることはないが、秘術を解除されたことにいつまでも気づかないなんて都合の良い展開はまずない。
塀からの侵入にもこれが使えればもっと話は早かったが、普段から住民からちょっかいが出される場所の秘術を解除するのは怖すぎる。
またちょっかいが出されて秘術がなくなったのを感知されてしまえばすぐに敷地内の炙り出しが行われてしまうだろう。
これからはまさに時間との勝負だ。
一刻も早く黒曜龍の元に辿り着かなければならない。
意を決し、俺は浅く開いた鉄の扉に身体を滑り込ませた。
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